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らーめ人間Z。がほぼ日刊でらーめんについて綴るただの日記。文体ときどきフミコフミオインスパイア。食べたラーメンの記録、訪問店の感想だけでなく、ラーメン関連のイベント、キャンペーンの情報などもシェアしていくよ。よろしくね。ピース。ほぼ日刊イトイ新聞とは関係ありません。写真をはじめとしたすべてのコンテンツの無断転載はお断り!

「走ることについて語るときに僕の語ること」を読み終わりました。

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 ボクはらーめ人間Z。らーめん視点からでないとブログが書けないまともな人間だ。ボクは先日、「走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)」と言う村上春樹さんのメモワールを読み始めたと言うことを書いた(関連記事)。

 実は、少し前に読み終わっていたのだけれども、なかなか筆が重くて読み終わったということをブログに書けていなかった。毎日少しずつ書き足したりして公開してもいいレベルかなと思ったので、今日公開することに踏み切ったというわけだ。

 「走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)」の感想を書くにあたって、まず最初にプロローグから引用をさせてもらうことにしよう。

真の紳士は、別れた女と、払った税金の話はしないという金言がある──というのは真っ赤な噓だ。ボクがさっき適当に作った。すみません。しかしもしそういう言葉が本当にあったとしたら、「健康法を語らない」というのも、紳士の条件のひとつになるかもしれない。たしかに真の紳士は自分の健康法について、人前でべらべらしゃべりまくったりはしないだろう。そういう気がする。 《中略》
もちろん誰もが知ってのとおり、ボクは真の紳士ではないので、そんなことをいちいち気にすることもないわけだが、それでもやはりこういう本を書くのは、なんとなく気恥ずかしいものである。しかし、言い訳をするみたいで恐縮だが、これは走ることについての本ではあるけれど、健康法についての本ではない。
《中略》
「さあ、みんなで毎日走って健康になりましょう」というような主張を繰り広げているわけではない。あくまでボクという人間にとって走り続けるというのがどのようなことであったか、それについて思いを巡らしたり、あるいは自問自答しているだけだ。

 ボクがこの本を読んでみようと思った理由は、らーめんについて語るときにボクの語ることと言うテーマで今後ボクがブログを書いていきたいと思っていたからだ。タイトルそのものが、村上春樹さんの走ることについて語るときにボクの語ることのインスパイヤをキメることになることが事前に分かっていた。だから失礼のないよう、まずは村上春樹さんの本を読んでみようと思ったと言うわけだ。

 正直なところ言うと、当該本を読んでみて、ボクは当該本のインスパイアをキメるまでもなく、これまでボクがブログでらーめんについて語ってきたフォーマットが村上春樹さんの走るについて語るときにボクの語ることのフォーマットに沿ってなされていることに気づいた。

 ボクは普段かららーめんについて語るときに、みんなにらーめんを食べて欲しくて食べて欲しくて震えている西野カナさんのフォーマットに従って書いているわけではない。そもそも「みんなでらーめんを食べて健康になりましょう」などと言う事は口が裂けても言えるものではない。論ずるまでもなくらーめんは健康にいい食べ物では決してないからだ。ボクがこのブログを書いているとき、ボクはボクがらーめんだと思っているらーめんについて思いを巡らせたり自問自答しているだけだ。まとも界においてはラーメンとされているものは、時にボクの中ではらーめんとは認められないことがある。だから一般に言うボクのブログはラーメンブログではない。ボクのブログはらーめんブログなのだ。

 ボクは当該本を読み終えることによって理解することができた。ボクはボクのありのまま思ったことをレリゴーレリゴー書いていさえすれば、らーめんについて語るときにボクの語ることというフォーマットに沿ったボクのらーめんブログになるということを。ボクはボクのままでよかったのだ。

 最後に〆るにあたってエピローグからも少々引用させてもらおう。

ボクはこの本を「メモワール」のようなものだと考えている。個人史というほど大層なものでもないが、エッセイというタイトルでくくるには無理がある。前書きにも書いたことを繰り返すようなかたちになるが、ボクとしては「走る」という行為を媒介にして、自分がこの四半世紀ばかりを小説家として、また一人の「どこにでもいる人間」として、どのようにして生きてきたか、自分なりに整理してみたかった。

 村上春樹さんの走ることについて語るときにボクの語ることはメモワールだった。

 これについてもボクは当該本のインスパイアをキメるまでもなく、ボクがこのブログでブログでらーめんについて語るときにボクが語ってきたことはボクとらーめんの個人史だった。

 そういったわけでこれからもボクはらーめんを媒介にして自分がらーめん人間としてどのように生きていくか生きてきたか自分なりに整理していく道具としてブログを活用していきたいと思っている。よろしくね。ピース。

与太話のコーナー。

 ボクは当該本を読み始める前に以下のようなことを書いた。

実はボクはハルキ挫折者。ボクはどうしてもハルキのまどろっこしいレトリックを呼んでいると苛々してしまう。やたらリビドーアッピールが激しいのも読んでいてツラい。ツラいというよりも、いい歳をしたオトナのボクが読むにはハルキはイタい。ハルキ、イタいよ。ハルキ読んでるとボク自身がイタくなってきてしまう。あれ?何このキモチ。このキモチってナルトがサスケに抱いてたキモチ?ハルキ挫折したボク、いつの間にかハルキとトモダチ?!

今回、「走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)」を改めて読んでみてボクは村上春樹さんのスゴさを目の当たりにした。ハルキストと呼ばれる人たちがなぜ村上春樹さんにノーベル文学賞を、と言うのか分かった気がしたのだ。やはり村上春樹さんの小説もメモワールも読んでいると読み手の方がイタくなってきてしまう。つまりナルトメソッドに沿うならば、気づかないうちにボクらは村上春樹さんのトモダチになってしまっているのだ。村上春樹さんの作品を読むという行為は強制オペレーション・トモダチの発動に等しかったというわけだ。人類みな村上春樹さんとトモダチというのであれば、それはノーベル文学賞どころかノーベル平和賞も望めるだろう。ボクは今後のノーベル文学賞とノーベル平和賞の受賞者の発表が楽しみで仕方がない。そう遠くない未来、ともに村上春樹さんが受賞することはあり得ない話ではないだろう。よろしくね。ピース。

お題「読書らーめん。」によせて書きました。アイキャッチは世界中の人たちが仲良くしているイラスト。村上春樹さんの作品を読めば人類みなトモダチだ。いらすとやさんも村上春樹さんの作品を読んだことがあるといいなあ。そうだったらボクらはトモダチだ。よろしくね。ピース。)