#ほぼにちらーめん

プロのラーメン断食家であるボク,らーめ人間Zが可能な限り毎日タンタンとメンタルしっかり政治・経済・社会・技術の垣根なく知らなかったことを知るために書いているただの日記ブログ.よろしくね,ピース.ほぼ日刊イトイ新聞とは無関係.写真をはじめとした皆あまねく全てのコンテンツの無断転載はお断り!

ラーメン断食家と書いて《らーめんだんじきや》のボクはPVでおちこむこともあるけれどはてなブログが好きなのではてなブログをやめられない。

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 ごきげんよう、読者諸賢。ボクはらーめ人間Z。らーめん視点からでないとブログが書けないまともない人間だ。

 ラーメンを愛し健康を愛し、そして何よりも平和を愛するボクは、ラーメンと睡運瞑菜350g、そして核廃絶運動のアウフヘーベンの途中のエラーでキタチョーのロケットマンがロケットもどきを撃つのをやめるまで外でラーメンを食わないラーメンハンガーストライキと言うなんだかよくわからんラーメン断食の人造人間、つまりはホムンクルスとして異世界転生していた。早くまとも人間になりたい。

 ラーメン食うに食えない誓約と制約をもって異世界転生したボクは200日超えて現在進行形でラーメン断食続ける底抜けの阿呆、つまりはプロのラーメン断食家である。

ラーメン断食家と書いて《らーめんだんじきや》と読むことにした。

 ボクはプロのラーメン断食家である。駆け出しのプロのラーメン断食家のころ、ボクはラーメン断食家とかいて《らーめんだんじきか》と読んでいた。なんとなく専門家と書いて《せんもんか》と読むのでそのノリで《らーめんだんじきか》と読んでいたに過ぎない。特に深い考えがあって《らーめんだんじきか》と読んでいたわけではない。

 そしてプロのラーメン断食家であるボクは詭弁家でもある。そしてボクは詭弁家を《きべんか》ではなく《きべんや》と読む。なぜならボクは詭弁家を《きべんか》と読むよりも《きべんや》と読むほうが読みやすいなと思ったからだ。特にそれ以上の深い理由はない。

 ところでプロのラーメン断食家《らーめんだんじきか》であり詭弁家《きべんや》というのではなんだかどうにも韻が悪く不格好なのではないかとボクは考えるようになった。どちらかをどちらかの読み方にあわせねばならぬ。そこでどちらをどちらにあわせるのが良いか三日寝ずに考えた。

 そしてラーメン断食家《らーめんだんじきか》の方を詭弁家《きべんや》の方にあわせることにした。つまりラーメン断食家と書いて《らーめんだんじきや》と読むことにしたというわけである。

 プロのラーメン断食家《らーめんだんじきや》であり詭弁家《きべんや》であるとするととてもボクは家系ラーメンっぽくなったものだ。つまり御都合主義である。

 そしてその御都合主義に則ってボクは家系ラーメンブロガーを名乗ることにした。

 こってり豚骨系スープのごとき語り口とノリでオモチロイこと、オカチイこと、そしてオモチロオカチイことのほうれんそうを忘れない。そしてラーメンライスのようにダブルで炭水化物を貪ることになるような余分な余談をさしこむことを潔く諦めない。それがボクの思うところの家系ラーメンブロガーであるというわけである。

PVでおちこむこともあるけれどボクははてなブログが好きなのではてなブログをやめない。

 ボクの提唱する家系ラーメンブロガーはボクの詭弁によりコロコロとその意味するところが変わるかもしれない。しかし、詭弁を語るからこそのボクは詭弁家《きべんや》として生き続けるのであり、詭弁を語らなくなったらボクは詭弁家《きべんや》として死ぬのである。

 ボクは死ぬのはオソロチイ。だからボクは詭弁をやめることができない。

 ラーメン食わないラーメン断食家《らーめんだんじきや》はラーメン食わなくても死ぬことはないが、詭弁家《きべんや》のボクは詭弁を弄することをやめたら死んでしまう。

 つまりラーメン食わずにブログで詭弁を弄し続けることをやめないブロガー、それがボクに言わせれば家系ラーメンブロガーなのである。

 そしてボクが家系ラーメンブロガーであるかぎり、ボクはどんなにPV(プライベート)でおちこむことがあったとしても、ボクはこのはてなブログが好きなので、ボクははてなブログをやめない。いや、やめることがデキないのだ。

 それではまた会おう、さらばだ諸賢!

(アイキャッチは評論家・批評家のイラスト。いらすとやさんを「家」で検索してみたら出てきたイラストというだけの話であり特に深い意味はないのである。)