#ほぼにちらーめん

らーめ人間Z。がほぼ日刊でらーめんについて綴るただの日記。文体ときどきフミコフミオインスパイア。食べたラーメンの記録、訪問店の感想だけでなく、ラーメン関連のイベント、キャンペーンの情報などもシェアしていくよ。よろしくね。ピース。ほぼ日刊イトイ新聞とは関係ありません。写真をはじめとしたすべてのコンテンツの無断転載はお断り!

世界と競る豊洲新市場スタートから感じた「刺身が生なんだが」の先見性。

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 ごきげんよう,読者諸賢.ボクはらーめ人間Z.ラ王真贋の使い手にしてラーメーン視点からでないとブログが書けないまともない人間だ.
 
 ラーメーンを愛し健康を愛し,そして何よりも平和を愛するボクは,ラーメーンと睡運瞑菜350g,そして核廃絶運動のアウフヘーベンの途中のエラーで世界週末時計の時計の針が過去最大にもどるまで,つまりは世界が平和になったと断言できるまで,外でラーメンを食わない超ラーメンハンガーストライキ2と言うナンだかよくわからんラーメン断食を超えたラーメン断食をさらに超えたラーメン断食の人造人間,つまりはホムンクルスとして異世界転生していた.早くラーメーン食べたい(関連記事:参照*1参照*2
 
 外でラーメン食うに食えない誓約と制約をもって異世界転生したボクは丸1年を超えて現在進行形でラーメン断食続ける底抜けの阿呆,つまりはプロのラーメン断食家,二つ名は「戦えラーメンマン」である.

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世界と競る豊洲新市場スタートから感じた「刺身が生なんだが」の先見性.

 読者諸賢はザ・はてなブログワールドにおける著名な迷言のひとつに「刺身が生なんだが」というゴーリキーワードがあるのをご存知だろうか?

さしみ【刺し身】とは「新鮮な魚介類などの肉を,生のまま薄く切って醤油などをつけて食べる料理.つくりみ.おつくり.」
さしみ【刺し身】とは「新鮮な魚介類などの肉を,生のまま薄く切って醤油などをつけて食べる料理.つくりみ.おつくり.」という意味./出典元:スーパー大辞林(アイフォーン内蔵辞書)より.

 「なにを言ってるんだ,刺身とは生なものじゃないか!」とおっしゃる諸賢,ご明察である.刺身とは一般的に生なものである.生であるから刺身なのであり,生でないのは刺身ではない.実際にニッポンにおいて圧倒的なシェアを誇っているスマートフォンであるアイフォーンに内蔵されている日本語辞書であるスーパー大辞林で「さしみ」の意味を調べてみると上記のとおりの結果を得た.

 スーパー大辞林によれば「さしみ【刺し身】」とは「新鮮な魚介類などの肉を,生のまま薄く切って醤油などをつけて食べる料理.つくりみ.おつくり.」とされている.

 しかしボクは初めてザ・はてなブログワールドにおいて「刺身が生なんだが」というゴーリキーワードに出会ったその瞬間から「刺身が生である」という当たり前のことをあえて狙いすまして主張することの意味をこれまでそこはかとなく考えてきたのである.

 当たり前と思われていることを疑ってみるということにボクはたいへんに哲学的価値を見出すものである.一見しょーむないことを哲学してみるということはたいへんにライフの価値あるヒマつぶしになるものであるといっても過言ではない.

 しかしその価値あるヒマつぶしがビジネスになるともマネーになるとも今本稿をお読みの読者諸賢のお役に断つことはあってもお役に立つとは言っていないので,賢明なる読者諸賢におかれましては本稿から言外のなんだかよくわからん拡張をなさらないように気をつけてほしい.

 というわけで「刺身は生なのは当たり前である」というテーゼと「刺身は生なのは当たり前でない」というアンチテーゼについてそこはかとなく考えみようというのが本稿の趣旨であるというわけである.

 ちなみにこのテーゼとアンチテーゼに関しては一般論的にはテーゼは真であり,アンチテーゼは偽である.しかし「刺身が生なんだが」を主張するメンにおいてはテーゼが偽であり,アンチテーゼは真であるというわけだ.

 では刺身という「絶対的全体としての世界」でみた際に刺身とは生でなければならないものなのだろうか?

 そして「刺身は生なのは当たり前である」テーゼと「刺身は生なのは当たり前でない」というアンチテーゼをそこはかとなく吟味していった結果,ボクは「刺身とは生なものではなくてもいいのではないか?」と思うようになったのだ.

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 閑話休題.

 では「刺身は生なのは当たり前である」テーゼと「刺身は生なのは当たり前でない」というアンチテーゼをそこはかとなく吟味していった結果,なぜボクが「刺身は生なものではなくてもよいのではないか?」と思うようになったのかのきっかけとなったのは,今日(2018年10月11日)からスタートすることとなった豊洲新市場に関して報じる次の記事なのであった(そう「刺身は生なものではなくてもよいのではないか?」という見解にボクが行き着いたのはまさに今日(2018年10月11日)のことなのである).

 この記事の内容を引用し,ボクが注目したポイントを太字にしてご紹介しよう.

共働きや高齢世帯は手間のかからない加工品を好み、生鮮品需要は減退傾向。しかも大手スーパーは契約栽培で産地から直接買い上げたり自ら農業に参入したりして独自に調達。アマゾンジャパン(東京・目黒)など生鮮品を扱うネットスーパーも広がりをみせる。
国内消費向けの農林水産品10.5兆円のうち、卸売市場が扱うのは6.7兆円。市場を通らない水産物は48%と半分に迫り、卸売市場の存在感は下がる一方だ。
 
引用元:豊洲新市場11日スタート、世界と競る 輸出拠点化、先駆け期待 :日本経済新聞(太字:筆者)

 
 なにを根拠にしていっているのかは不明だけれどこの記事によると「共働きや高齢世帯は手間のかからない加工品を好み、生鮮品需要は減退傾向」なのだそうである.その上「国内消費向けの農林水産品10.5兆円のうち、卸売市場が扱うのは6.7兆円。市場を通らない水産物は48%と半分に迫り、卸売市場の存在感は下がる一方」とのことである.

 つまりここからボクがなにを思ったかといえば「生鮮品需要が減退傾向」ということは「刺身の需要も減退傾向」ということである.つまり「刺身が生なんだが」と「刺身が生であること」に対して疑義を生じるメンは2018年の現代にはそこはかとなく数多く存在するのではないかということだ.

 また後者の方の「生鮮品需要が減退傾向」な上に「卸売市場を経由しない生鮮品が増えている」ということに関してはそこから思ったのは「刺身が生であること」とは関係ないのだけれど,以前からボクは産地からそこはかとなく離れた築地市場で新鮮な水産物を食すという行為が「目黒のサンマがウマい」といった古典的な落語のオチっぽくて頭が悪いなあと思っていたところとそこはかとなく化学反応した.

 その化学反応の結果,ボクは豊洲新市場ってそもそもいらないんじゃないか?という素朴なクエスチョンが芽生えたわけなのだけれど,この素朴なクエスチョンに関しては本稿の趣旨とは関係がそこはかとなくなかった.これはつまりは余談,つまり脱線である.

豊洲は総事業費6000億円、敷地面積は40ヘクタールと築地市場の1.7倍。建物の中にセリ場や仲卸が入る「閉鎖型」構造で、鮮度を保つ低温管理が可能になる。ただ年90億円超の赤字を見込む。土壌対策費などがかさんだうえ、食品流通の構造変化が背景にある。
 
引用元:豊洲新市場11日スタート、世界と競る 輸出拠点化、先駆け期待 :日本経済新聞(太字:筆者)

 
 脱線ついでに同記事から豊洲新市場は「本当に必要なのか?」と素朴なクエスチョンにボクが感じた部分がもう一箇所あったのでその箇所を上記に引用した.どうやら豊洲新市場はやればやるほど赤字になるようなのだ.生鮮品需要先細りの上に赤字垂れ流しの新市場になんの価値があるのかボクにはよくわからんが,豊洲新市場の今後についてそこはかとなく議論することについても本稿の趣旨を逸脱する.なので豊洲新市場が年90億円もの赤字を垂れ流すことについての是非についても本稿で問うことについても潔く差し控えたい.

 というわけで話を元に戻すわけなのだけれど,今日(2018年10月11日)スタートした豊洲新市場に関する日本経済新聞記事をボクは読んでいた際に昨今は「共働きや高齢世帯は手間のかからない加工品を好み、生鮮品需要は減退傾向」であることを知り「生鮮品需要が減退している」ならば「刺身の需要も減退している」のではないかと思い至ったわけである.「加工品を好む」メンにとっては「刺身が生なんだが」と仮に主張するメンがいたとしても不自然ではない.つまり「刺身は生なものではなくてもよいのではないか?」という前提の否定に行き着いたというわけである.

 まとめると2018年の現代においては加工品を好み生鮮品を好まないメンがいるわけなので,生鮮品を好まず加工品を好むということは刺身つまりは「新鮮な魚介類などの肉を薄く切ったもの」が加工されていないもの,つまりは「生である」ということに対して疑義ないし不満が生じるメンがいたとしてもなにも不自然なところはないということである.というわけで「刺身は生なのは当たり前である」テーゼと「刺身は生なのは当たり前でない」というアンチテーゼはボクの中においては今日をもって前提となる「刺身が生であるということ」が否定されたわけなのである.ゆえに「刺身は生なのは当たり前である」テーゼと「刺身は生なのは当たり前でない」というアンチテーゼは両方共に「真」となり得る,ということにあいなったというわけなのである.

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 最後に特に大事でもないけれどたっぷりともう一度書いておくと長年に渡ってボクがザ・はてなブログワールドにおけるゴーリキーワードとしてそこはかとなくその主張の意味するところを考えてきた「刺身が生なんだが」であったわけなのだけれど,今日(2018年10月11日),今ここに「刺身が生であるということ」という前提が否定され「刺身は生なものではなくてもよい」ということになったわけなのである.そしてボクが今そこはかとなく思うのは「刺身が生なんだが」を主張したメンの先見性である.少なくともボクが最初にこのゴーリキーワードを知ったのは2011年頃であったわけなのだけれど,ニッポン人というヒューメンはついにそのメンの主張の意味するところに追いついたというわけなのである.

 得てして凡人などというものは奇人変人および天災の類の主張するところは理解できないものなわけだけれど,理解できないことを理解できないからと切り捨ててしまうのはナニカの真理を追求する可能性の芽を摘んでしまうのである.「刺身は生でなくてもよい」という見地に行き着いたボクは加工品の方がより安全であると考えた食材に関しては今後はあえて狙いすまして「刺身が生なんだが」と主張してみることにしてみたいと思っている.というか食の安心と安全に不安があるところで刺身が生なものを食わないということなのである.

 それではまた会おう,さらばだ諸賢!

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参考:
豊洲新市場スタート(2018年10月11日)に関連したニュース.

 いきなり新市場スタート初日からターレが炎上するというたいへんに不吉な幕開けとなった.豊洲新市場はナニカに呪われているのではないだろうか....

 新市場スタート早々に排水口をゴミで詰まらせて文句をいう意識他界系業者が発見されて話題になっていた.豊洲市場がいらないのでは?ということに関してはボクも賛同するのだけれど,ゴミの廃棄の仕方もろくに知らない業者がいる市場ではなにも買いたくも食したくもないですな.

 前述のゴミを詰まらせた件について,はてな匿名ダイアリー,通称増田さんのフォローが入っていた.「おいしい魚をいっぱい食べよう!」という最後のご意見に関してはボクも賛成だ.

「刺身が生なんだが」に関する補足.

 「刺身が生なんだが」というゴーリキーワードが爆誕した現場はボクのブログ師匠でありツイッターフレンドでもあるフミコ・フミオ先生(以降はフミオさんと表記)のブログにおいてであった.

 そしてボクが初めて「刺身が生なんだが」というゴーリキーワードと邂逅したのは上記のエントリという認識なのだけれど違ったら申し訳ない. google:刺身が生なんだが site:delete-all.hatenablog.comといった感じでフミオさんのブログをサイト内でグーグル先生にクエスチョンして「刺身が生なんだが」が発見されるエントリが上記のエントリなのである.

 なんの運命のイタズラかは知らないけれど「刺身が生なんだが」というゴーリキーワードが爆誕したお店が豊洲市場がスタートするのと前後してなくなってしまったようである.

《アイキャッチはアジのお刺身のイラスト.「刺身が生なんだが」を主張したメンが「生なんだが」と主張したのはアジの刺身だったそうである.ちなみにボクの今日のランチはアジフライだったわけなのだけれど全ては偶然の出来事であり何も作為性はない.全ては因果律の下に起きた必然であると言えよう./本稿はお題「最近気になったニュース」によせて書きました.》

*1:世界終末時計が過去最短に。ボクは世界が平和になるまで外でラーメンを食わない!

*2:ボクはザ・ラーメンのことをラーメーンと呼ぶことにした。