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らーめ人間Z。がほぼ日刊でらーめんについて綴るただの日記。文体ときどきフミコフミオインスパイア。食べたラーメンの記録、訪問店の感想だけでなく、ラーメン関連のイベント、キャンペーンの情報などもシェアしていくよ。よろしくね。ピース。ほぼ日刊イトイ新聞とは関係ありません。写真をはじめとしたすべてのコンテンツの無断転載はお断り!

「これからは個性の時代!ラーメン官僚が選ぶオンリーワンラーメンの優良店10選」に反論するよ。

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 読者諸賢、ごきげんよう。ボクはらーめ人間Z。らーめん視点からでないとブログが書けないまともない人間だ。

 ラーメン俗世には何だかよく分からんモチベーションで毎日ラーメン食う愛を貫き不健康路線をただひたすら一直線に駆け抜けるガチのラヲタと呼ばれる人びとがいるらしい。ラーメンは不健康食品の代表格だ。だからボクはそういったやらんでもいい、いやむしろやらんほうがいいと言っても過言ではない毎日ラーメンを食うという愛を説くという可愛げのない阿呆を披露されると、気持ち悪くなってラーメンを食うに食えない哀をもって受けて断ってしまう。

 そうして160日を超えてラーメン断食を続けるボクはただの阿呆ではない。プロのラーメン断食家だ。

 閑話休題。もう一度ラーメン俗世に話を戻す。ラーメン俗世のガチのラヲタと呼ばれる種族の中には「ラーメン官僚」と呼ばれている官僚なのかただのヒ魔神なのか何だかよく分からん人がいるらしい。年間に700敗だか800敗だかコロコロと数字が変わるのが不可解だが、少なくとも毎日ラーメン食っている典型的なラーメンと阿呆の血のしからしむところに従って生きているラーメン阿呆神である。

 そのラーメン官僚がじゃらんnetというメディアでステマ臭のプンプンするエントリを不定期に寄稿なのか連載なのかしている。ボクはそれがはてなブックマークのホットエントリに入ってくる度にウザ... ...拝読させていただいてはもしゃもしゃしている。

「これからは個性の時代!ラーメン官僚が選ぶオンリーワンラーメンの優良店10選」に反論するよ。

 直近、公開された当該ラーメン官僚の記事が「これからは個性の時代!ラーメン官僚が選ぶオンリーワンラーメンの優良店10選(参照*1:外部リンク)」というものだったのだが、ボクはこの記事を読むとか読まないとか以前にタイトルだけ読んで「こいつ、大丈夫か?」と思ってしまったのだ。しかし、そこはグッとこらえて一応目を通してみたので今日はこの記事についての感想を書きたい。

豚骨・鶏ガラ・野菜から採った出汁に醤油ダレを加えた褐色のスープ、黄色味を帯びた中華麺、チャーシュー・メンマ・ナルト・ネギなどのトッピング。
 
かつて、そのようなステレオタイプなイメージが存在したラーメンは、2000年以降、確かに一定の進化を遂げた。
しかしながら、現在でもなお、「二郎インスパイア系」「家系」「豚骨魚介」「鶏白湯」といった大きなジャンルは、厳然と存在する。
大多数の店舗が提供するラーメンは、それが同一ジャンルの枠内に属するものであれば、どの店舗を選択しようと、味はほぼ変わらない。例えば、家系ラーメンを提供する店であれば、「A」という店を選ぼうが、「B」という店を選ぼうが、口にできる味はほとんど同じだ。(もちろん、例外はあるが)
そんな状況ではマンネリ化は避けられず、放置しておけば「ラーメン離れ」といった現象すら引き起こしかねない。

引用元:これからは個性の時代!ラーメン官僚が選ぶオンリーワンラーメンの優良店10選 @jalannet

 当該記事はタイトル読んだ時点でボクは激しくもしゃもしゃしたわけなのであるが、本文冒頭を読んでもうお腹いっぱいになってしまった。ボクとラーメン官僚とではラーメンというものに対する考え方が根本的に違っていて交わることがないということがよくわかったからだ。

 まずタイトルから反論をすると、これからは個性の時代と言っているわけなのだが、個人でやっている飲食店はどこも個性の塊である。それは今に始まった話ではない。何をもってラーメン官僚が「これから」と言っているのかは知らないが、今更気づいたのであればこれまでどこに目をつけてラーメンを万敗も食ってきたのだろうか。

 そして個人でやっている飲食店のメニューはどこにいこうがオンリーワンである。個人経営の飲食店のメニューはどこにいこうが何かしらの唯一無二日本一だと言っても過言ではない。それが優良か否かも食べる当事者の舌先三寸である。万敗食うまでどこの個人経営の飲食店が個性の塊だと言うことに気づかないような人に優良と言われてもまるで説得力がない。

 さて、上述に引用させていただいた本文冒頭の言い分にも反論させていただこう。まず第一にラーメンにはラーメンという型があるとボクは思っている。かんすいを使った小麦粉のメンに、動物(豚や鶏)や乾物からとった出汁に各種タレを合わせたスープ、そしてチャーシュー・メンマ・ナルト・ネギといったトッピングを添えたものが一般的にラーメンと呼ばれていた。メンとスープ、そしてトッピング。その3つの型は固定であるが、それぞれをどのように仕上げるかは自由。それこそがラーメンなのである。

(ちなみにつけ麺はラーメンなのかであるとか、まぜそばはラーメンなのかであるとか、麺のないラーメンはラーメンなのかであるとか、麺が肉なんだがはラーメンなのかであるとか、野菜だけなんだががラーメンなのかであるとか、ビーガンベジソバはラーメンなのかであるとか、もはや何だかよく分からんものに関しての議論は本稿の主旨を激しく逸脱する。だからそういったことに触れるのは潔く別の折にすることにして本稿においては書くことを差し控えたい。)

 次に例として家系の店ならどこに口にできる味はほとんど同じなどとラーメン官僚は宣っているようであるが、同じ家系でも店が違えば全く味はことなるのがラーメンという食い物の妙味である。ラーメン官僚はラーメン食いすぎて舌がバカになっているのではないだろうか。ボクにはラーメン官僚がナニ食ってるとこんな頓珍漢な意見を繰り出せるのか理解できない。

 そんな舌がバカになってしまい、例えば同じ家系なら店は違っても味は大差ないと言ってしまうような人に《そんな状況ではマンネリ化は避けられず、放置しておけば「ラーメン離れ」といった現象すら引き起こしかねない。》と言われてもミジンコの陰茎ほどの説得力もボクは感じない。

 むしろラーメンはステレオタイプな型があるからこそ最近は海外にも出店が相次いでいるのである。仮に日本人が日本食としてのラーメンに飽きてラーメン離れしたとしても、そのステレオタイプを新しいと思う海外でウケればいいのである(実際味千ラーメンなどは中国でウケているそうである)。

ラーメンとはステレオタイプな型のある日本食であり、その型の上での表現が自由な素晴らしい食い物である。

 ラーメンとはステレオタイプな型のある日本食であり、その型の上での表現が自由な素晴らしい食い物である。ラーメンと呼べるものは系統はことなっても型は守っているのである(ラーメン官僚の言い方に従うなら「二郎インスパイア系」「家系」「豚骨魚介」「鶏白湯」は系統はことなれどラーメンの型は守っている)。しかし同じ系統でも提供するお店によってその味たるや千差万別である。それゆえにボクはラーメンに飽きることはないし、ラーメン離れすることはないのである。

 一方、ラーメン官僚の言うようにラーメンがステレオタイプであり、同じ系統なら味も代わり映えしないという理由でラーメン官僚たちのようなガチのラヲタのシンパたちがラーメンに飽きてくれるというのなら、ボクには願ったりである。なぜならそういった何だかよく分からんガチラヲタとそのシンパたちからラーメン食う愛を語られることを、ボクはラーメン食うに食えない哀で受けて断つことをやめることができるからである。

 ボクの場合、そんな千差万別のラーメン店の中で自分の舌の好みにあって、行列に並ぶ必要がなく、ひとりで黙って静かに静謐なラーメンすすることのできるラーメン店をみつけられたら何も言うことはないのである。正直なところ、そういうラーメン店を見つけることは非常に困難を極めている。しかしボクはそういうラーメン店を見つけるまで外でラーメンを食わない。

ボクは「ラーメン離れ」することを潔く諦めた。潔きことはよきことなり。読者諸賢に異論があろうとも、あればことごとく却下だ。よろしくね。ピース。

(アイキャッチは沼にハマる人のイラスト(女性)。ラーメンの何だかよく分からん沼にハマるとラーメン官僚のような何だかよく分からんステマ記事を書くことになるので気をつけたい。本稿はお題「ラーメン界の噂。」によせて書きました。)

*1:これからは個性の時代!ラーメン官僚が選ぶオンリーワンラーメンの優良店10選