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らーめ人間Z。がほぼ日刊でらーめんについて綴るただの日記。文体ときどきフミコフミオインスパイア。食べたラーメンの記録、訪問店の感想だけでなく、ラーメン関連のイベント、キャンペーンの情報などもシェアしていくよ。よろしくね。ピース。ほぼ日刊イトイ新聞とは関係ありません。写真をはじめとしたすべてのコンテンツの無断転載はお断り!

タンタンとラーメン断食していたら文化的に意義のある連続ラーメン断食200日をスルーしていた。

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 ごきげんよう、読者諸賢。ボクはらーめ人間Z。らーめん視点からでないとブログが書けないまともない人間だ。

 ラーメンを愛し健康を愛し、そして何よりも平和を愛するボクは、ラーメンと睡運瞑菜350g、そして核廃絶運動のアウフヘーベンの途中のエラーでキタチョーのロケットマンがロケットもどきを撃つのをやめるまで外でラーメンを食わないラーメンハンガーストライキと言うなんだかよくわからんラーメン断食の人造人間、つまりはホムンクルスとして異世界転生していた。早くまとも人間になりたい。

 ラーメン食うに食えない誓約と制約をもって異世界転生したボクは200日超えて現在進行形でラーメン断食続ける底抜けの阿呆、つまりはプロのラーメン断食家である。

 そう、気づいたらボクは外でラーメンを食わないで200日を過ごしていたのである。

タンタンとラーメン断食200日を達成してたよ。

 思えば連続ラーメン断食100日超えたらプロのラーメン断食家を襲名すると息巻いていた頃はボクもまだ継続日数を日数計算サイトで計算してしまうような大人げないお子ちゃまだった。つまりは黒歴史である。

ふつうなら黒歴史などというハズカチイものは消したいところであるのであろうがボクは歴史を改竄しない。ボクはあるがままを受け入れる。だからボクの黒歴史を潔く受け入れた。

 ボクがプロのラーメン断食家を襲名したのは2017年7月23日だった。その2017年7月23日から今日までは103日である。つまり連続ラーメン断食の日数で言えば203日というわけだ。

 連続ラーメン断食100日を超えて以来、倍の200日まではカウントダウンすらしなかったわけであるが、あっという間に100日以上が過ぎ去った。

 月日は百代の過客とはまさに至言である。光陰矢のごとしとも言われている。こんなに時間が経つのが早いとさらに倍の400日もあっという間にやってきてしまいそうだ。オソロチイことである。

 連続ラーメン断食100日から200日までの道程はとても快適かつ柔軟なものであった。というのもボクはブログを書くことをラーメンに限定することから開放されたからである。

 ラーメンは食わなくてもラーメンについて書くことはいくらでもできるし、ウチでラーメン食ってもラーメンについて書かなくたっていいのだ。変幻自在、融通無碍をボクは得た。

 はてなブログ編集部が出すお題に答えることも以前はラーメンによせて書くのがつラいやなお題もあったが、今ではそれほど苦もなくなんだかよく分からん詭弁を弄してお題に答えることは難しくなくなった。

 あるときはツイッターの垢バンがバンバンされてるのがつラいやということについて書くし、その一方で罵詈雑言をツイートしてるラーメン店ヒドいやということを書く。

 またあるときはZOZOTOWNの送料自由についてだって書く。それにつなげてお値段自由なラーメンのことを書く。

 こうして日々タンタンとボクの身の回りであったこと、身の回りでは起きなかったことについて思いの丈を述べていくならば、ボクのネタリストが尽きることはないということに気づいてしまったというわけである。スバラチイではないか。

 チリは積もればゴミになる。ボクのチリアクタのような手記が貯まってゴミになるのか、はたまた玉になるのか、今のボクにはまだ分からない。

 しかし、あとから思い返した時にボク自身が「アノ頃はこんな阿呆、あんな阿呆をやっていたのか...」とボクの黒歴史を後悔することの役には間違いなく立つはずである。SNS界隈のセオリーに従うならばコーカイすることは正義なのである。

 最後に連続ラーメン断食200日の知見を思い出しながら、書いておこうと思う。

 しかし、連続ラーメン断食200日を達成してみた結果得た知見らしい知見は特にない。ラーメン断食が何かの役に立っているという自覚がボク自身ないからである。

 外のラーメンを断てば断つほど健康になるというわけでも特にない。

人類が核廃絶というまともですばらしい文化的到達点に至るまで、ボクは詭弁駆使して外でラーメンを食わない!

 知見という知見を無理やりボクのしわ深き脳の四畳半から捻り出すならば、オモチロオカチイラヲタたちがラーメン愛を説けば説くほどに、ボクはラーメン食うに食えない哀でもって受けて断ってしまうらしいと気づいたことは一つの知見である。ボクはそんな自分の特異体質に気づいてしまった。

 ラーメンと阿呆の血のしからしむところにありのままにレリゴーレリゴーしたがったならば、ボクはいくらでも外のラーメンを食うに食えずに受けて断つことができる。

 ボクはラーメンが好きだ。愛していると言っても過言ではない。むしろボクはラーメン断つのに異議がある。しかし愛しているものを断つからこそ、そこには意義が生じるのである。ボクはキタチョーのロケットマンがロケットもどきを撃つのをやめるまで、ラーメンを食わないとその辺の神社に参詣しアマテラーメンオオミカミというラーメン阿呆神に誓った。

 神よボクに艱難辛苦を与え給え、そしてしかるのちにボクにラーメンを与え給え。ラーメン食う愛に溺れたオモチロオカチイラヲタたちには一切のラーメンは与えんでもよい。むしろ意識他界系ラーメンに呪われるがよい。

 ラーメン哀で受けて断つこの戦いは熾烈を極めて終りがみえない。ボクがどこに辿り着くのか全くわからない。しかし人類が核廃絶というまともですばらしい文化的到達点に至るまで、ボクは自分が駆使できる詭弁の限りを尽くして外でラーメンを食わない!

 願わくはボクにノーベル平和賞を。プリーズ・ノーベルプライズ!

 ではまた会おう、さらばだ諸賢!!

(アイキャッチはクールジャパンのイラスト。このクールジャパンのイラストの中になぜかラーメンは存在しない。クールジャパンと言えばラーメン、ラーメンといえばクールジャパンのはずではなかったか。いらすとやさんに問い合わせてみたいところであるが、ボクは潔く諦めた。なぜならまだボクはノーベル平和賞を受賞していないからである。ボクにノーベル平和賞を、しかるのちにいらすとやさんのクールジャパンの中にラーメンのイラストを。オモチロオカチイラヲタたちはいらすとやさんのイラストにならんでよい!本稿はお題「復習らーめん。」によせて書きました。)