ごきげんよう、読者諸賢。ボクはらーめ人間Z。らーめん視点からでないとブログが書けないまともない人間だ。
ラーメンを愛し健康を愛し、そして何よりも平和を愛するボクは、ラーメンと睡運瞑菜350g、そして核廃絶運動のアウフヘーベンの途中のエラーでキタチョーのロケットマンがロケットもどきを撃つのをやめるまで外でラーメンを食わないラーメンハンガーストライキと言うなんだかよくわからんラーメン断食の人造人間、つまりはホムンクルスとして異世界転生していた。早くまとも人間になりたい。
ラーメン食うに食えない誓約と制約をもって異世界転生したボクは200日超えて現在進行形でラーメン断食続ける底抜けの阿呆、つまりはプロのラーメン断食家である。
ラーメンはアートではない。ラーメンはデザインである。
※以降、今回もそういう雰囲気なので本稿はデスマス調でお送りいたします。
ボクは平日の仕事中にラジオを聴きながら仕事を嗜みます。やることが決まっている仕事に関してはラジオや音楽を聴きながらするほうが捗るとも言えますし、ボクの席のまわりにはオモチロイかオカチイ、もしくはオモチロオカチイ方々が多いのでワイガヤと騒々しくて集中できないからとも申します。
仕事中にボクが嗜むラジオは主にTOKYO FMです。TOKYO FMの中でもボクのお気に入りのラジオ番組は月曜〜木曜 15:00-16:50に放送されている「シンクロのシティ」であり、「シンクロのシティ」のVoice of Tokyoを聴くのを楽しみに毎日オフィス痛勤シていると言っても過言ではないのです。
先日、2017年10月25日のVoice of Tokyoは「Q美大生に聞きました、アートの価値ってどう決める?(外部リンク:参照)」という街の意見を紹介しておりました。
この際、メールの意見で紹介されたものでアートとデザインの違いについて言及している意見があったのです。詳細のすべてをボクも覚えているわけではないのですが「デザインとアートの違い」に関する意見だったのです。残念ながら上述のリンクには街の美大生に聞いた声のログしか残っていないのでそのメールでの意見については詳細を参照することができません。
ちなみにそのメールの意見「デザインとアートの違い」ですが「デザインは答えがあるものであり、アートは答えのないもの(問いかけ)である。」というものでした。
古人曰く、目から鱗が落ちると申します。ボクの目には鱗がありませんが、もしもボクの目に鱗が生えていたならばボロボロと鱗が剥がれ落ち、しかるのち目の鱗がツルッパゲになっていたことでしょう。
なぜボクがその「デザインは答えがあるものであり、アートは答えのないもの(人によって異なる答えを問いかけるもの)である。」という意見が目から鱗だったかと申しますと、ボクの中で長年モシャモシャしていた意識他界ラーメンがキモチワルイ理由が氷解したからです。
意識他界ラーメンとはボクがつけた意識高いラーメンの通称のことです。ボクは一見してそれがラーメンなのかナンなのかよくわからんラーメンをすべからく皆、意識他界ラーメンに分類します。そしてそういった何だかよくわからん意識他界ラーメンをみているとラーメン食うに食えなくなりカナチイ気持ちになってラーメンを受けて断ってしまうのです。
「デザインは答えがあるものであり、アートは答えのないもの(人によって異なる答えを問いかけるもの)である。」という意見は意識他界ラーメンが総じて「アート」に分類されるものであるということをボクに教えてくれたのです。アートがそのアートに触れたものに答えを問いかけるものならば、意識他界ラーメンというアートに触れたボクがモシャモシャするのは当然ではありませぬか。
そしてボクは常々、ラーメンとは答えのあるものだと思っておりました。つまりラーメンとは「デザイン」だったのです。見た目にも食べ方にも考えるまでもない答えが常に明快であるもの、それがラーメンだったのです。ラーメンは見ればそれは明快にラーメンなものであり、モシャモシャするのもはラーメンではなかったのです。
以上をまとめると本稿の標題にもあるとおり「ラーメンはデザインである。ラーメンはアートではない。」ということだったのです。
ラーメンとは答えのあるものを作るものであり、答えがよくわからんなんだかよくわからんものを創るものではない。
ラーメンとは答えのあるものを作るものであり、答えがよくわからんなんだかよくわからんものを創るものではなかったということです。
ちなみにアートと言うモノは凡才には理解できないものです。つまり意識他界ラーメンというアートを創ってしまうラーメン店主は皆すべからく天才であり凡才には理解不可能であるということです。
ましてや凡才の代表格とも言うべき底抜けの阿呆、ラーメン断食家のボクには絶対理解不能なのでボクにはそんな天才の創ったラーメンを食うことがデキないというのは至極当然のことだったのです。
今のボクの気分はジョジョの奇妙な冒険の東方仗助さんのように言わせていただくなら新しいパンツを履いたばかりの正月元旦の朝のようにスゴく爽やかな気分なものです。
これでボクもすっきりと意識他界ラーメンを食わないで済みます。
ではボクがすっきりと満足したところで本稿をシメようと思います。ごきげんよう、また会いましょう、諸賢!
(アイキャッチはライブペインティングのイラスト。その場の思いつきでラーメンを創作するのはある意味においてはライブペインティングとも通じるところがあるように思う。すくなからずボクはそういう何だかよくわからんものを雰囲気で食うためにラーメン店にいくのではない。ましてや「それはコウして食べるのだ。」「ちーがーうーだーろー。」といったムニャムニャとしたなんだかよくわからんウニャムニャを聞きながらラーメン食うような落ち着きとはかけ離れた環境でなんだかよくわからんものを食うという行為はボクにはナンの修行なのかよくわからないのである。本稿はOdai「好きなラジオ番組」によせて書きました。そしてタマタマ今週のお題「芸術の秋」っぽくもあったようです。)