#ほぼ日らーめん

#ほぼにちらーめん

らーめ人間Z。がほぼ日刊でらーめんについて綴るただの日記。文体ときどきフミコフミオインスパイア。食べたラーメンの記録、訪問店の感想だけでなく、ラーメン関連のイベント、キャンペーンの情報などもシェアしていくよ。よろしくね。ピース。ほぼ日刊イトイ新聞とは関係ありません。写真をはじめとしたすべてのコンテンツの無断転載はお断り!

プロのラーメン断食家として自然と行っている不毛な活動を総括してみた。

スポンサーリンク


 ごきげんよう、読者諸賢。ボクはらーめ人間Z。らーめん視点からでないとブログが書けないまともない人間だ。

 ラーメンを愛し健康を愛し、そして何よりも平和を愛するボクは、ラーメンと睡運瞑菜350g、そして核廃絶運動のアウフヘーベンの途中のエラーでキタチョーのロケットマンがロケットもどきを撃つのをやめるまで外でラーメンを食わないラーメンハンガーストライキと言うナンだかよくわからんラーメン断食の人造人間、つまりはホムンクルスとして異世界転生していた。早くまとも人間になりたい。

 ラーメン食うに食えない誓約と制約をもって異世界転生したボクは200日超えて現在進行形でラーメン断食続ける底抜けの阿呆、つまりはプロのラーメン断食家である。

2017年もいよいよ佳境を迎えるにあたりプロのラーメン断食家として自然と行っている不毛な活動を総括することにした。

www.hobonichi-ramen.com

 ラーメン断食を100日続けることがデキたらプロのラーメン断食家を襲名するというコミットメントを現実のものとしてボクがプロのラーメン断食家となってから、ボクのラーメン断食は100日の倍、200日以上が経過した。実際のところ何日継続したのかこの機会に調べてみることにした。2017年4月14日から今日(2017年11月30日)まで実に230日だったようである。またしてもキリのよい数字となったものだがタマタマの偶然である。読者諸賢の中には俄には信じがたいと思う諸賢もいるかもしれないが断じて御都合主義などではないとお断りしておきたい。

www.hobonichi-ramen.com

 閑話休題。本稿における主題とはナニか。そう、230日もラーメン断食を続けてくることがデキたことは自分でもスバラチイと思うものだが、果たしてボクがプロのラーメン断食家としてやるべきこと、あるべき姿とはタダ、ラーメン食うに食えない哀を説くだけでよいものかということである。

 もちろんこれまでの長期間に渡るラーメン断食という負けられない戦いを事故演出するために様々な詭弁を駆使してくることをしてきた。それらの詭弁を駆使した諸活動についてはボク自身とても異議および意義があり大変に納得しているものである。なのでそういった諸活動についてはこれからも引き続き継続していきたいと思っている。

 念のため、ボクが行っている諸活動を知らない諸賢のためにボクの行っている活動のいくつかを下記に紹介しておこう。

www.hobonichi-ramen.com

www.hobonichi-ramen.com

www.hobonichi-ramen.com

 さて、本題に戻ろう。もちろん上述の諸活動は異議かつ意義のあるものである。だから引き続き継続していくわけなのであるが、これらの諸活動がプロのラーメン断食家としてやるべきこと、あるべき姿を具現化した活動であるかと問われたならばボクにも疑問符がつくものだということは否むことがデキない。

 ラーメン食う愛をラーメン食うに食えない哀で受けて断つことのデキるボクという類い希なるラーメン断食の才に恵まれたプロのラーメン断食家だからこそデキることはナニか?そんな不毛なことに情熱を傾け続けることのデキる不毛エネルギーの大家であり大火であるボクだからこそデキることはナニか?ボクは会社の昼休みのナップタイムをとる間も惜しんで七日八晩考えた。

 そしておもむろに答えは容易にでたのである。

 まず読者諸賢の誤解なきように、改めて先に述べておこうと思うのだが、ボクはラーメンが嫌いなわけではない。むしろボクはラーメンが好きである。ラーメンを愛していると言っても過言ではない。

 しかし、今やラーメン俗世を席巻しているのはナンだかよくわからんムニャムニャ、つまりは意識他界ラーメンである。ボクはナンだかよくわからんムニャムニャはウマければナンでもいいとかよくないとかいう以前に色々とマズいと感じるものだ。ボクはマズいと思うものをムリして食うことがデキない。ナゼならボクはナンだかよくわからんものをあえて口に入れなければならないほど食べるものに困っていないからである。ナンだかよくわからんものをあえて口に入れなければならないのは不慮の事故などで未開の地に放り出されてしまった人間だけで十分である。

 話が若干、脇にそれてしまったが、ようはボクはラーメン断食を続ける中においてラーメン俗世のラーメンと呼ばれているものについてつぶさに観察を続けていたのである。そして自然かつおもむろにボクは目にとまったものをラーメンと呼べるものとラーメンと呼べないものに分類していたのである。この分類する活動というのがボクがラーメンを食うに食えずに受けて断つ上でまず第一に自然と行う行為として定着していたのである。つまりボクはプロのラーメン断食家であると同時に気づいたらラーメンと呼べるものとラーメンでないもの呼べないもの(ナンだかよく分からんムニャムニャ、つまりは意識他界ラーメン)とを分類する意識他界ラーメン研究家にもなっていたというわけなのである。

 そして「ラーメンと呼べるものとラーメンと呼べないものに分類する」の他にもボクがラーメン断食を続ける中で自然と行っている活動がないかを考えてみると、そういったラーメン断食をしていく中で自然と行っている行為は他にもあることに気がついた。それはラーメン食う愛を説いて回っている人びとのオモチロオカチイ主張の数々を見つけては名前をつけるという活動である。そのいくつかを紹介したい。

 まず「ラーメンワンコイン論」である。ボクはこれまでもすでに何度かラーメンワンコイン論については言及をしてきたものだ。ラーメン俗世にはナンだかよくわからん根拠たる根拠もなくラーメンはワンコインであるべきと主張するオモチロオカチイ人びとがいる。その人たちに言わせるとワンコインを超えるあまねくラーメンは皆すべからく高額ラーメンでありソンなラーメンだというのである。ボクはこのラーメンワンコイン論を説く人びとについて観察を続けていきたいものだ。

 次に「ウマければナンでも論」である。これは食い物はウマければナンでもよいという理論であるようである。ボクはナンだかよくわからんムニャムニャ、つまりは意識他界ラーメンに関しては存在自体がマズいものであるという解釈でいる。だから意識他界ラーメンに関してはウマければナンでもよいとかよくない以前に食うことがデキないわけであるが、ウマければナンでも論を説くオモチロオカチイ人びとは舌がバカになっているのかナンなのかはよくわからないがとにかくナンでも口に入ればよいようにボクには思われる。ウマければナンでも論者の「ウマい」の意味するところがボクにはわからない。しかしわからないものを理解しようと試みることはオモチロイものだ。だから「ウマければナンでも論」についてもボクの観察、研究対象としてとてもオモチロイものである。

 次で一旦最後にしておこうと思うのだが他には「ラーメンかわいい論」というものがある。ボクはこのラーメンかわいい論に至ってはこの主張をしているオモチロオカチイ人びとのことを「おまえ大丈夫か?」としか思わないものだ。ラーメンかわいい論者はボクの知りうる限りラーメン女史会なるナンだかよくわからん薄気味悪い女子会を開催している人びとの中でのみ、その存在を確認している。しかし、ラーメンがかわいいという根拠については深く述べられてはおらず一体ナニを言っているのかわからないものだ。ラーメンかわいい論者以外にもラーメン店主に「オーラがハンパない。」などということを言っているオモチロオカチイ人びとがいるわけだが、ラーメンかわいい論者はそういったヘンなオーラが見えてしまうオモチロオカチイ人びとと同様にナニか見えてはいけないものが見えているのではないかとさえボクは思ってしまう。つまりはオカルトの領域である。しかし前述の「ウマければナンでも論」同様に物事というものは理解デキないものほど研究対象としては興味深いものである。ナニを言っているのかよくわからんからこそ観察する意義があるのである。例えその結果、ボクがラーメン食うに食えない哀を説くハメになったとしても、むしろそれはプロのラーメン断食家として望むべきところであるというのは言うまでもない。

 上述に挙げてきたようなナンだかよくわからんオモチロオカチイ人びとは自らをラーメン評論家と名乗っていることがある。つまりそのラーメン評論家を自然と評論していたボクはラーメン評論評論家と言えるものだろう。つまりボクはプロのラーメン断食家であり、意識他界ラーメン研究家であり、そしてラーメン評論評論家だったというわけだ。

プロのラーメン断食家として自然と行っている不毛な活動の総括をまとめる。

 以上のことを自分なりにまとめてみるとボクはプロのラーメン断食家であると同時にその活動は拡がりをみせており、時にラーメンと呼べるものとラーメンでないもの呼べないもの(ナンだかよく分からんムニャムニャ、つまりは意識他界ラーメン)とを分類する意識他界ラーメン研究家であり、時にラーメン俗世のラーメン評論の評論家であるラーメン評論評論家であり、時に核廃絶運動の自虐的代理戦争の徒としての平和主義者なのである。これからも活動の幅はひろがっていくことだろう。どこまでボクの活動の幅がひろがっていくものか、ひろがっていった先、どれだけカバーできるネタが増えるものかとても興味が尽きないものである。

 プロのラーメン断食家であるボクは、その活動の中で自然と行っている意識他界ラーメン研究、ラーメン評論評論、そして核廃絶運動の自虐的代理戦争の手段としてのラーメン断食(ラーメンハンガーストライキ)をやるべきこと、あるべき姿として公式に掲げることにした。まったくもって不毛極まりない活動であることは否まない。しかし、一見意味のない不毛な活動であるからこそボクの中ではやる異議も意義も生まれるのである。そしてその異議と意義があるとボクが思う限りそこから生まれる不毛なエネルギーは尽きることがないと言えよう。

 世界に平和が訪れるまでボクの不毛エネルギーは尽きないだろう。不毛エネルギーが尽きるまで、ボクは外でラーメンを食うに食えない。はやく世界に平和が訪れてほしいものである。

 それではまた会おう。さらばだ、諸賢!

(アイキャッチは平和祈念像のイラストgoogle:世界平和 いらすとや でGoogle検索したらでてきたイラストであり、それ以上の深い意味合いはないのである。/本稿はお題「ラーメン界の噂。」によせて書きました。)