#ほぼにちらーめん

プロのラーメン断食家であるボク,らーめ人間Zが可能な限り毎日タンタンとメンタルしっかり政治・経済・社会・技術の垣根なく知らなかったことを知るために書いているただの日記ブログ.よろしくね,ピース.ほぼ日刊イトイ新聞とは無関係.写真をはじめとした皆あまねく全てのコンテンツの無断転載はお断り!

ラーメンワンコイン論とはなにか。

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 ごきげんよう、読者諸賢。ボクはらーめ人間Z。らーめん視点からでないとブログが書けないまともない人間だ。

 ラーメンを愛し健康を愛し、そして何よりも平和を愛するボクは、ラーメンと睡運瞑菜350g、そして核廃絶運動のアウフヘーベンの途中のエラーでキタチョーのロケットマンがロケットもどきを撃つのをやめるまで外でラーメンを食わないラーメンハンガーストライキと言うナンだかよくわからんラーメン断食の人造人間、つまりはホムンクルスとして異世界転生していた。早くまとも人間になりたい。

 ラーメン食うに食えない誓約と制約をもって異世界転生したボクは200日超えて現在進行形でラーメン断食続ける底抜けの阿呆、つまりはプロのラーメン断食家である。

ラーメンワンコイン論の謎。

 ラーメン俗世においては日々ナンだかよくわからん喧々諤々のラーメン評論が繰り広げられている。ボクはプロのラーメン断食家の活動の一環としてそういったナンだかよくわからんラーメン評論が繰り広げられる都度、つぶさに観察し研究をしているのだ。つまりラーメン評論評論をしているというわけである。

 ボクが興味のあるラーメン評論のひとつが「ラーメンワンコイン論」である。ラーメンワンコイン論とはとにもかくにもラーメンとはワンコインで食せるものであるべしというナンだかよくわからん言説のことである。

 そんなヤツはいないだろと思うのであればgoogle:ラーメン ワンコインでGoogle検索してみるだけでも見つけることはできるはずであるので確認してみてほしい。ちなみに大つけ麺博という御都合主義なラーメンイベントでは食いまわりサイズという名目でラーメンワンコインをアッピールをしていたことは記憶に新しいものである(関連記事:参照*1

 ちなみにこの言説を説くラーメンワンコイン論者がナゼ「ワンコイン」つまりは500円にこだわっているのかについては謎である。

 第一に物価が流動的であることを無視している点が謎である。原価が高騰すればそれにあわせて値上げするのは当然である。仮に当初は500円で提供できていたラーメンも原価の状況次第では値上げがありうるのである(もちろん値下げも同様にありえなくはないが)。

 原材料という意味で言えばラーメンの場合、分かりやすいところで言えば昨今は中華麺の原材料である小麦が高騰している。そして今や未曾有の人手不足である。意識他界ラーメン店主がワンオペでやっているなら意識他界ラーメン店主の給料を削ればよい話であるが、スタッフを雇いたいならそれなりの対価を払わねばならぬ。1杯500円のラーメンで仮に原価3割に抑えるとしたら1杯あたりの粗利は350円だ(150円の原価でつくれるラーメンにラーメンワンコイン論者が満足するか否かについても謎である)。一日一体何杯売れば十分な人件費を払い、かつ諸経費を賄えるのか。

 ちなみに一日100杯売って35,000円の粗利しかウマないのは単純な掛け算でも分かる算数である。その粗利が確保される前提で一ヶ月丸々休みなく働いて合計1,050,000円の粗利である。かなり捕らぬ狸の皮算用であるが、これでも相当サクセスケースなのではないかとボクは思っている。ここから人件費と諸経費をひいて一体どれだけが手元に残るというのか。

 第二にワンコイン(500円)という数字をどこからもってきたのかが謎である。もちろん長いラーメンの歴史の中でラーメンがワンコインだった時代もあったであろう。しかしラーメンワンコインが一般的だったのは一体いつごろの話であるか。google:ラーメン価格推移でGoogle検索して調べて見る限り2000年代にはラーメン600-700円がわりかしフツーになっているとおもわれる。ラーメンワンコイン論者はバブル崩壊前後の1980-1990年代からタイムリープでもしてきたのだろうか。よくわからない。

 最後に三つ目を例によって無理やり弄りだしてみることを試行してみよう。余談だがボクが三つ目を無理やり弄りだすことに固執しているのは、まとも界には「3の法則」というものがあるからである。「3の法則」とは2つだと物足りなく、4つだと覚えることがデキない、3こそが無類の数字であるというナンだかよくわからん法則のことである。

 さて、ボクがラーメンワンコイン論者が頑なにラーメンがワンコイン、つまりは500円であるべきとする根拠が謎であるという3つめはワンコイン=500円とすることの謎である。まとも界には未だ現金というものが存在する。ワンコインというなら1円、5円、50円、100円、そして500円がワンコインである。ナゼ500円未満のワンコインであるべきをラーメンワンコイン論者は主張しないのか。たしかに500円未満のワンコインでラーメンを食わせろというのは今のご時世において無理ゲーを通り過ぎてアタマがオモチロオカチイものである。とはいえ前述したとおり原価のことを考えれば無理ゲーとまで言わなくとも500円でも十分すぎるほどにムチャを行っていっていると言ってよい。500円未満のワンコインでは理性が働くのに、ナゼ500円というワンコインでは理性が働かなくなるのか。謎である。

 余談であるが日本において500円がワンコイン、つまりは硬貨となったのは「1982年(昭和57年)(引用元: 五百円硬貨 - Wikipedia)」であるそうである。ちなみに1980-1990年代においてはワンコインでフツーにラーメン食えていたようであるので、ラーメンワンコイン論者の金銭感覚が1980-1990年代からアップデートされていないのではないかというのはあながち遠からぬ仮説であるのかもしれない。しかし、ボクはラーメンワンコイン論者とは一切の接触を望まないものである。ゆえにその真相を確認する術はない。

 以上、3つの謎によりボクはラーメンワンコイン論がよくわからんわけである。しかし、ナンだかよくわからんからこそモノゴトとは観察し研究する異議と意義があるのである。

日本においてもキャッシュレスが一般的になってもラーメンワンコイン論は生き残るか。

 例えば、日本は未だにキャッシュ至上主義者が大半をしめているものだが、インバウンド需要をより獲得したいというのであればキャッシュレス至上主義者も受入れていかねばなるまい。キャッシュレス至上主義者が大勢をしめたときにはワンコインという概念そのものがなくなるときがいつかはくるかもしれぬ。

 そのようにワンコインという概念そのものがなくなったとき、果たしてラーメンワンコイン論とはなくなるものなのか、はたまたワンコイン=500円という概念だけがのこりラーメン500円論として生き残るのか。現時点ではボクにはわからないものだ。

 未来は不確実であり、不確実だから未来はオモチロイのである。

 未来がナンだかよくわからんムニャムニャになるか、ナンだかよくわかる合理的なものになるかは興味深いものだ。

 ボクはこれからもラーメンワンコイン論の今後を観察および研究していきたいと思ってる。ナニかまたオモチロオカチイ気づきがあった際には、しかるのちボクはきっとコウカイするだろう。

 それではさらばだ、諸賢。また会おう!

(アイキャッチはいろいろなワンコインのイラスト。そう、ワンコインといってもいろいろあるのである。ナゼかたくなにラーメンワンコイン論者が500円をワンコインと主張するのかについては本稿でも触れたとおり謎である。/本稿はお題「ラーメン界の噂。」によせて書きました。)

*1:大つけ麺博2018は本当に「麺好きは黙って行くべき」なのかを考察してみた。