#ほぼにちらーめん

プロのラーメン断食家であるボク,らーめ人間Zが可能な限り毎日タンタンとメンタルしっかり政治・経済・社会・技術の垣根なく知らなかったことを知るために書いているただの日記ブログ.よろしくね,ピース.ほぼ日刊イトイ新聞とは無関係.写真をはじめとした皆あまねく全てのコンテンツの無断転載はお断り!

何気ない日常生活に修行を求めるのは間違っているだろうか。

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 ボクはらーめ人間Z。らーめん視点からでないとブログが書けないまともない人間だ。まとも人間になるために日々修行している。早くまとも人間になりたいものです。

 ある日、らーめ人間U(以降Uと記載)からボクは質問を受けた。「お前、いつも修行修行って言ってるけど、お前のいう修行って何?」と。Uは痛いところを突いてくるよね。とても性格がいい。ボクの言う「修行って何?」。すごくいいお題だなあとボクは思った。だから今日、ボクは「修行って何?」について書いてみようと思う。

 そもそものところでいうとボクは「これを修行」とキメているものがない。時にははてなブログの運営スタッフが出すお題に答えることを修行と言うし(関連記事)、時には朝の大人気アトラクションであるエレベーターに並ばないために階段を昇ることを修行と言ったりする(関連記事)。どちらも修行。全部修行。ボクはボクが何か困難に直面したらそれらがすべて修行だと思うようにしている。このブログを書いているのは文章修行だ。ご丁寧にキモいとかネガコメしてくる性格のいい人がいてもOPP*1、そんなのかんけーねーとタンタンと書き続けていくつもりだ。非表示にさせてもらうだけだ。

 ボクは人間というものは生きていれば日々なにかしらの困難に直面するものだと思っている。困難に直面しないとしたら気づいていないだけで「お前はすでに死んでいる」なのかもしれない。その困難になにかしら自分なりの解を導き出しながら前に進んでいるのだと思っている。抗体はない善心あるのみ。そしてその解に正解はない。ボクの言う修行とはその日々出していくひとつひとつの解をかぎりなく正解にちかづけていくためのものだと思っている。それがまとも人間になるための修行。

 … あれ?正解がないならまとも人間にはいつまでたってもなることがデキない気がしないでもないが。。

 まあ、いっか。この解も正解ではないだろう。あまり不覚は考えない。だから、この解が正解なのかどうかを探っていくのも修行というわけだ。やはり日々修行というわけだね、まとも人間になるための。

 仕事もひとつの修行だ。ボクは先日、とある外部の会社の製品紹介セミナーに参加して、そのセミナーの内容をまとめてレポートしてほしいという依頼をボスから受けたことがあった。ボスからは特にそのとある企業のCIOのキーノートは興味深いから入念にレポートしてほしいと言われていた。

 その目玉のとある企業のCIOのキーノート・スピーチ。当該CIOは登壇するなり自己紹介もなしにおもむろに「自社商品さいこーですか?」とオーディエンスに聞き始めた。みんな自分のことを知っている前提なのだろう。すごい。どうやらオーディエンスが「オー!」と答えることを期待しているらしい。一回目はオーディエンスもつかみが分からなかったのだろう「オー!」はまばらだった。当該CIOは気に入らなかったらしい。耳を傾けるポーズをしながら「自社製品さいこーですか??」とまた聞いてきた。二度目はオーディエンスもつかみが分かったのだろう結構大きな「オー!!」が返った。当該CIOは満足したらしい。今度はおもむろにスマホをポケットから取り出し「もう一度、自社製品さいこーですか???と聞くからオー!!!という掛け声と共に手を宙に打ち上げてくれ!!」と呼びかけてきた。「自社製品さいこーですか???」と当該CIO。オーディエンス「オー!!!!」。

… パシャ!

ボクはこの一連のやり取りを見ていてこれは一体何の修行なんだろうか?と思った。ボクは当該CIOの自社製品を使ったことがない。だからさいこーもヘッタクレもないのだ。とりあえずボクがするべき修行は「オー!!!」と拳を宙に打ち上げて「わが人生に悔いなし」をキメるラ王になることではないはずだと思った。だからボクは拳を宙に打ち上げなかった。隠れたので写真にも写ってないはずだ。存在を消すのも修行というわけだ。ボクはあの場にはいませんでした。

その何の修行なのか分からない一連の強制イベントが終了したあと悦に浸りながら当該CIOが話した話は基本的に自社製品アッピールでしかなかった。並べ立てられる「ゴージャス」「ファービュラス」「ワンダフル」「ファンタスティック」。そういうのは叶姉妹だけにしておいてほしい。ボクには当該CIOが何を言いたいのかが理解できなかった。これは一体何の修行なのだろうか?

 とりあえずボクは当該CIOの話を持ち帰っても意味が無いということだけはよく理解できた。仕方がないので自分でその製品について調べることにした。調べた結果をまとめてボスにレポートした。どうやらボスは満足してくれたらしい。つまり今回に関して言えば、意味のないセミナーであったということを察して自分でゼロから製品情報を調べるのがボクの修行という解釈をボクはしたというわけだ。別にこれが正解だったと言うつもりはない。今回ボクが修行とキメたのがそういう修行だったということに過ぎない。

 これをUにも伝えてみた。しかしUはあまり納得してくれなかったようだ。仕方がない。ボクの修行はUを納得させるためのものではない。ボクが修行だと思ったものが修行なのだ。これからもタンタンと修行していきたいとボクは思っている。

与太話のコーナー。

 拳を宙に打ち上げてくれと言われるとボクは世紀末覇者ラオウしか思い出すことがデキない。日本の国技である相撲の横綱である稀勢の里さんの化粧まわしがラオウだと話題だ。『「世に覇者はひとり」と孤高の姿を貫いた長兄ラオウ』という解釈でラオウを選択したらしい。

 ボクもラ王が好きだ。哀しみを知り、先日無想転生に目覚めた(関連記事)。稀勢の里さんには負けないぞ。エイエイオー!

お題「ほぼにちらーめんブログ運営ポリシー。」によせて書きました。アイキャッチは滝に打たれる修行僧のイラスト。日々修行です。いらすとやさんと修行です。早くまとも人間になりたいものです。)

*1:おっぱっぴー