#ほぼにちらーめん

プロのラーメン断食家であるボク,らーめ人間Zが可能な限り毎日タンタンとメンタルしっかり政治・経済・社会・技術の垣根なく知らなかったことを知るために書いているただの日記ブログ.よろしくね,ピース.ほぼ日刊イトイ新聞とは無関係.写真をはじめとした皆あまねく全てのコンテンツの無断転載はお断り!

ボクは「表記ゆれ」にだけは常に気をつけてブログを書いている。

スポンサーリンク


 ごきげんよう、読者諸賢。ボクはらーめ人間Z。らーめん視点からでないとブログが書けないまともない人間だ。

 ラーメンを愛し健康を愛し、そして何よりも平和を愛するボクは、ラーメンと睡運瞑菜350g、そして核廃絶運動のアウフヘーベンの途中のエラーでキタチョーのロケットマンがロケットもどきを撃つのをやめるまで外でラーメンを食わないラーメンハンガーストライキと言うナンだかよくわからんラーメン断食の人造人間、つまりはホムンクルスとして異世界転生していた。早くまとも人間になりたい。

 ラーメン食うに食えない誓約と制約をもって異世界転生したボクは200日超えて現在進行形でラーメン断食続ける底抜けの阿呆、つまりはプロのラーメン断食家である。

ボクは「表記ゆれ」にだけは常に気をつけてブログを書いている。

 ボクはプロのラーメン断食家であるが、それと同時にタダのブロガーである。タダのブロガーであるボクの書くブログは、タダの日記であり、タダの手記であり、タダの個人史であり、タダのメモワールであり、タダのエッセイであり、タダの備忘録であり、タダのメモである。ボクは自分自身のためにブログを書いており他人様の役に立とうなどという意識の高い理由ではブログを書いていない。

 ちなみにもし他人様の役に立とうなどという意識の高い理由でブログを書いているパーフェクトヒューマンがいたとしたら、ボクは胡散臭いと思うだろう。人間はパーフェクトではないから人間なのである。つまりパーフェクトヒューマンは人間ではないということだ。だからボクはゼッタイにそんなパーフェクトヒューマンとリアルワールドでのファーストコンタクトでありワーストコンタクトは回避したいと思っている。しかし読者諸賢がパーフェクトヒューマンとのファーストコンタクトでありワーストコンタクトを試みたいというのなら、その試行は自由だ。ボクはその試行に水をさすような野暮はしない。ゼヒ、しかるのちコーカイしてほしい。

 話が脱線してしまったのでもう一度言うのであるが、ボクは自分自身のためにブログを書いている。ボクは他人様の役に立とうなどという意識の高い理由ではブログを書いていない。意味のあることも意味のある内容としては書かない。あとでボクだけが読み取れるキーワードを添えて書いている。ボクだけが読み取れればいいのである。つまり本ブログを読む際の要諦はまじめに読まないことである。まじめに読んだところでボクの真意は理解できない。しかし読者諸賢がボクの真意らしきものをポジティブな方向に自分本位に解釈してくれるのは自由である。仮にそれでナンだかよくわからんけど諸賢の役に立つことがあったならボクとしてもうれしいことである。

 閑話休題。そんなまじめに読むものではないボクのブログであるわけであるが、ボクがブログを書くときにこれだけは気をつけたいと思っていることがある。

 それは「表記ゆれ」である。

 表記ゆれとは google:表記ゆれ とは などでGoogle検索してみていただければ分かることである。だからわざわざ引用するほどのものではないが以下のようなもののことを指して表記ゆれという。

表記ゆれとは、同音・同意味の語句について異なる文字表記が付されることである。特に1つの文書において、同じ語句に対して異なる表記が存在することを指す場合が多い。
 
表記ゆれが起こりやすい言葉としては、「サーバー」と「サーバ」、「バイオリン」と「ヴァイオリン」などの例がある。

引用元: 表記ゆれとは - IT用語辞典 Weblio辞書

 ボクはいわゆるまとも界(俗世)の言葉をラーメン俗世(ラーメン業界)の言葉に置き換えて書くことがある。その時に同じことを同音・同意味の語句について異なる文字表記でなされるものがあることを知っている。

 そう、「意識高いラーメン」である。

 ボクは世間一般的に「意識高いラーメン」と呼ばれているものを「意識他界ラーメン」と書く。ボクはこれが同音・同意味の語句について異なる文字表記が付されているものだという解釈をしている。ナゼなら世間一般的に「意識高いラーメン」と呼ばれているものがボクが「意識他界ラーメン」と呼んでいるものと同じものであるという認識でいるからだ。

 ちなみにボクの言う意識他界ラーメンとはラーメンの名を冠してはいるものの、それをボクが目にしたときボクにはナンなのかよくわからないムニャムニャにしか見えないものである。ちなみにムニャムニャとボクが表現しているものについてはボク自身それがナンなのかわからない。ナンだかよくわからんからムニャムニャなのであり、ムニャムニャだからナンだかよくわからんのである。つまりボクが意識他界ラーメンと呼んでいるものは、ナンだかよくわからんナンだかよくわからんものであるということである。

 というわけで意識他界ラーメンとはナンだかよくわからんムニャムニャのことである。それは時に麺しかないムニャムニャであり、時にそれは麺がないムニャムニャであり、時に麺が肉であるムニャムニャであり、時に麺が豆腐であるムニャムニャであり、時に野菜しかないムニャムニャであり、時にビーガンしか食えないムニャムニャであり、時に意識他界店主からの「ちーがーうーだーろー!」と食い方のレクチャーがはいるムニャムニャであり、時にフンベツのあるオトナのボクからはとても言えないような形状をしている陶器の器に盛られているナンだかよくわからんムニャムニャである。その他にも多くのナンだかよくわからんムニャムニャがラーメン俗世には存在しているわけであるがあまりにもその種類は多岐に渡っており、ボクはそれらを今ここにモレなくダブりなく網羅することがデキない。だからボクは潔くラーメン俗世のよくわからんムニャムニャをモレなくタブりなく網羅することを諦めた。ボクは潔さには一家言あると言っても過言でない。ナゼならフンベツのあるオトナだからである。

ボクは世間一般に言うところの意識高いラーメンを意識他界ラーメンと書く。

 さてナンの話だったのか。そう、表記ゆれである。ボクは世間一般に言うところの意識高いラーメンを意識高いラーメンとは書かない。表記ゆれに配慮するボクは常に世間一般に意識高いラーメンと表記する意識他界ラーメンを意識他界ラーメンと書くように心掛けている。こうして説明をするとナンだか冗長になりナニを言ってるのかわからなくなるものだが、表記ゆれをしないことで文章がわかりやすくなると言われている。だからボクはそういうベストプラクティスには素直かつ謙虚に乗ろうというものだ。ボクは潔さに加えて素直さと謙虚さにも一家言ある。つまり立派なオトナなのである。

 ちなみにボクが使う言葉で表記ゆれに気をつけて使っている言葉は他に「通勤」を「痛勤」ないし「痛筋」、「食通」を「食痛」などがあるが、ボクが気を遣っている表記ゆれをモレなくダブりなく網羅することについては、すでに本稿が十二分に冗長であるので潔く諦めることとする。

 ナニより一番伝えたかったのは「意識他界ラーメン」の表記ゆれのことであるので、それさえ満足に説明できれば二十分である。

 ボクはまじめで潔く、素直かつ謙虚であるので本稿はここまでとしてシメたい。それではまた会おう。さらばだ、諸賢!

(アイキャッチは意識の高いラーメンのイラスト。いらすとやさんの意識の高いラーメンはボクの言うところの意識の他界ラーメンであり、ナンだかよくわからん麺しかないムニャムニャのことである。これは同じことを指す。つまりは表記ゆれである。)