ボクはらーめ人間Z。らーめん視点からでないとブログが書けないまともない人間だ。今日は2017年4月14日、最大震度7を2回記録した熊本地震から1年を迎えた。まともないボクだけど、今日のような日はできる限りまともなことをブログに書きたいと思っている。熊本地震について日経新聞から引用すると「犠牲者は関連死を含めて225人。被災自治体の多くで復興計画が作られ、道路などのインフラ復旧が進む一方、今なお4万7千人以上が避難生活を余儀なくされており、生活再建は道半ばだ(外部リンク)」そうだ。犠牲者の方々のご冥福を祈るとともに、ボクは今後も微力ながら寄付等可能な範囲で熊本の復興支援へ協力をしていこうと思っている。
らーめんの文脈で熊本地震の復興支援と言うと地元では味千ラーメンの炊き出し(関連記事)等があり、東京では様々な有名店でチャリティーラーメン(売上全てを寄付にあてていた)の提供があったりという活動が行われたのが記憶に新しい。
ボクも去年(2016年)はご多分に漏れずチャリティーラーメンには足を運び、復興支援の寄付に参加した一人だ。
先に予防線をはっておきたいと思う。ボクはらーめん店による復興支援活動自体についてはとても素晴らしいことだと思っている。しかしボクは去年実際にチャリティーラーメンを食べに行ってボクは他の客にガッカリしてしまったのだ。だからボクはこの次に何か災害が起こって腹を支援のためにチャリティーラーメンの提供があったとしてもチャリティーラーメンを食べることによって復興支援に協力するという手段はとらないつもりでいる。この次にこういった復興支援に協力することがあるとしたらボクは別の形で復興支援に協力したいと思っている。
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ボクがチャリティーラーメンの何にガッカリしてしまったかを説明するためには、チャリティーラーメンによる復興支援がどのように行われていたかを説明しなければならない。
チャリティーラーメンによる寄付はチャリティーラーメンの売上をすべて寄付に当てると言う形で行われていた(少なくともボクが食べにいったチャリティーラーメンはその形式をとっていた)。
売上は「ラーメン代+お気持ち」と言う形になっていた。ボクの食べに行ったチャリティーラーメンの場合はラーメン代が500円だった。そもそもラーメン代500円と言うのはほぼ原価だったのではないかとボクは思っている。仮にその500円での提供のラーメンが普段の値決めであれば1,000円だったと仮定するなら、原価3割として原価300円、残り200円分が我々の負担と言う形になっていたのだろう。なのでラーメン屋さんの負担が300円、我々の負担が200円と言うことでラーメン代しか払わなかったとしても一応は寄付したと言う形にはなっていたのかなと思っている(実際はもしかしたら500円で原価になっていたのかもしれないし、もっと原価が低いのかもしれないが、ボクは当事者ではないから実際は分からない)。しかしボクは少なくとも本来であれば1,000円のラーメンであったはずと考えるならば、「お気持ち」として追加で500円を寄付したいと思うのが人情だとボクは思っていた。他の客も同様に考えていたとしたら300杯の提供であれば300杯×1,000円で300,000円の売上になるところだ(最低でもその金額という甘めの期待値だと思ってほしい)。ボクが食べに行ったところではギリギリその価格を超えていたわけだがボクが期待した善意からすると少ないと感じたくらいだった(関連記事)。実際、ボクが食べ終わって寄付をする際に他の客を見ていると500円しか払っていない人が多く見受けられた。1,000円を払って500円のお釣りを求めている人も中にはいたりした。あのときのあのチャリティーラーメンを食べに来ていた人たちの中でそういったことをしていた人たちにとって「寄付」とはなんだのだろうとボクは思ってしまった。もちろんボクには分かるべくもない。ボクはそんな他の客を見てガッカリしてしまった。チャリティーラーメンはただの安い限定ラーメンだと思って食べにくる人たちをホイホイするイベントになってしまっていたようにボクには見えてしまった。だからボクはもうチャリティーラーメンには並ばない。
正直あのチャリティーラーメンの結果からボクが思ってしまったのは復興支援の寄付をしたいと思ったらーめん店はお店の普段の売り上げの中から30万円寄付した方がよいのではないかということだ。ボクはあえてらーめんを介して寄付を募る必要性を感じられなくなってしまった。
だから最後に繰り返しになってしまうが、ボクは去年(2016年)、実際にチャリティーラーメンを食べに行く形で寄付をしてみた上で、災害等に対する支援のための寄付はチャリティーラーメン以外の手段を介して行うことにキメた。ボクは今後はチャリティーラーメンには並ぶつもりはない。
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与太話のコーナー。
昨年(2016年)、ボクは一度チャリティーラーメンを通じての寄付に参加してみたわけだが、チャリティーラーメンは寄付を募るのによい方法ではあまりないなと思ってしまった。だからボクはチャリティーラーメン以降の熊本への寄付はふるさと納税を使った。ふるさと納税はいろいろと物議をかもしている。「納税」などという名前がついているので分かりづらいが、ふるさと納税はそもそもは「寄付」である。だからふるさと納税では返礼品を辞退することができる。だからボクは本気で寄付をしたいと思うならふるさと納税を使う形で返礼品をもらわずに寄付をするのはいい方法の一つだと思っている。仮に返礼品を辞退しなかったとしてもまともな自治体なら返礼品による還元率を3割未満に抑えている(政府の方針で返礼品の還元率を3割未満に抑えるようにお達しも出ている)。だから仮に返礼品をもらったとしてもさほど罪悪感を感じる必要もボクはないと思っている。よほどチャリティーラーメンで「お気持ち」分を払わない方がボクは「こいつ、大丈夫か?」だと思う。ボクは「こいつ、大丈夫か?」とは関わりたくない(関連記事)。
ボクは(日本における)被災地への寄付と言う意味ではふるさと納税はありだと思っている。
(お題「ラーメン界の噂。」によせて書きました。アイキャッチは募金箱を持った子供達のイラスト。復興支援の寄付に関して言えば、あえてどうしてもラーメンの文脈で寄付をしなければいけない理由は無い。より良い寄付の仕方があればボクはより良い寄付の仕方の方を選びたいと思っている。)