ボクはらーめ人間Z。らーめん越しにしか世の中のことをみれないまともない人間。日々タンタンとブログを書くのを楽しんでいる。楽しむのはいいのだけどネタ切れだけは怖い。毎週水曜日ははてなブログの今週のお題にチャレンジしてお題をチートしている。今日は水曜日。今週のお題は「卒業」だ。
巷のまとも界において卒業というとふつーに考えたら、学校の卒業だ。幼稚園から大学まで3月が期末の日本ではこのシーズンは卒業シーズン。会社を退職するのも一部の企業では卒業と言ったりする。WELQ問題でしっかりせいなDeNAはむしろ卒業生の方がしっかりせい(外部リンク)だったり。芸能界を引退するのも卒業と言ったりする。そういう意味では堀北真希さんの芸能界卒業はショッキングだ。ショッキング過ぎて寝込みそうだ。ショックすぎて全然関係ないけどらーめん出家してしまいそうだ。ああ、早くまとも人間になりたい。
ボクにとっての卒業はなにかという話をしよう。改めて言うまでもなく、それはらーめんを卒業するということ。それはらーめん出家(内部リンク)するのと同じことを意味する。らーめん出家=らーめん卒業。だけどボクはらーめん卒業はしたくない。らーめんによせて楽しくブログを書くことができなくなってしまうからだ。しかしらーめん俗世の風当たりは強い。口に含んだらホロホロと舌の上でほどけてようなホロホロチャーシューのようなストレス耐性ゼロのボクのメンタルは油断をすると気づかぬうちにらーめん卒業してしまう危険性をはらんでいる。
「卒業」に対して逆張りの展開になってきてしまっているがボクはらーめん卒業したくない。
すこし話を脱線する。三ない運動(外部リンク)というのをご存知だろうか。高校生に対するオートバイと自動車の三ない運動は「免許を取らせない」「買わせない」「運転させない」。公職選挙法に基づく三ない運動は「政治家は有権者に寄付を贈らない」「有権者は政治家に寄付を求めない」「政治家から有権者への寄付は受け取らない」。こういったもののことだ。まとも界にはこういった三ない運動というものがある。
カミングアウトさせてもらうとボクはらーめん卒業をしないための三ない運動というのを実は実践している。折角なので以降でボクはそれを紹介させてもらいたいと思う。ボクが実践するらーめん卒業をしないための三ない運動とは「並ばない」「買わない」「関わらない」だ。
「並ばない」
文字通りボクは行列に「並ばない」。行列ができるらーめん店が必ずしもボクにとってのおいしいらーめん店ではないからだ。そもそもらーめん店の行列は殺伐としている。行列での喫煙やポイ捨ては禁止と注意書きがあってもおかまいなしな人たちがいたり、列に並ぶのは全員そろってからという注意書きがあっても無視する人たちがいたり、待ってる間に路上に座り込む人たちがいたり、行列の写真を撮らないと気が済まない人がいたり。日本のまとも界は民度が高いという都市伝説があるらしいのだけど、ボクはことらーめん店の行列で日本のまとも人間が民度が高いというのを実感できた試しがない。もともと行列ができるお店で限定らーめんの告知などがあるとラヲタが押し寄せて輪をかけて行列が長くなる。正直、行列に激しく並んだあとの食後に「並んでよかったなあ」とピークエンドできることはレア。後悔は後には立つけど役たたない。ボクは行列店があえて限定らーめんをやろうと思う理由がよく分からないのだけど、これはまた別の機会に書くつもりだ。ボクは行列店にはよほどのことがないかぎり足を運ばない。行列すると分かっていてあえて並びに行くのはマゾ。ボクはマゾじゃない。
次に「買わない」。
らーめん以外のお店の関連商品を売っているらーめん店がある。アパレルとかも扱っていたりする。Tシャツやパーカ、スエットの類。そういうのはボクもいいなって思う。いいなあと思えばボクも買う。ボクが「買わない」とキメたのはらーめんをオマケにしてしまうような関連商品だ。ボクは自分自身が痛い目をみて(内部リンク)そういう商品は買わないとキメた。その理由でラーメンラリーを買うのをやめた。らーめんがオマケでらーめん店に行く人たちは平気でお店のらーめんを「不味い」と言ったりする。らーめんが「口に合わない」ならボクはそのお店に行く理由がない。ボクはらーめんを食べたいかららーめん店に行くからだ。ボクにとってらーめん店にらーめんを食べに行くことがオマケになることはあり得ない。隣でらーめんをオマケで食べている人がいると思うと気分が悪い。なのでボクはらーめんがオマケになってしまうようなお店の関連商品は金輪際「買わない」。そういう商品のことを批判すると思いもよらなかったところから誹謗中傷を受けたりする。だからもうそういった関連商品の批判もしない。批判してわざわざ誹謗中傷を受けに行くのはマゾ。ボクはマゾじゃない。
最後に「関わらない」。
ボクはラヲタ、ラーメンユーチューバー、女子ラーメン、千と千尋の神隠しをキメるらーめん店主(内部リンク)には絶対に「関わらない」とキメている。ボクは年間に食したらーめん杯数をアッピールするのを見ていると「こいつ大丈夫か?」と不安になってしまう。らーめんをキメるのにいちいちアホ顔リアクションするラーメンユーチューバーを見ると面白い面白くない以前に「こいつ大丈夫か?」と不安になってしまう(外部リンク)。ブログで仕事忙しい仕事忙しいをアッピールされると「こいつ大丈夫か?」と不安になってしまう。ブログで芸能人と知り合いアッピールされると「こいつ大丈夫か?」と不安になってしまう。そういうのは全部自慰行為にしかボクには映らないからだ。ボクには他人の自慰を見て興奮するといった性癖はない。他人の自慰を見せられるのは不快。あえて自分から他人の公開自慰行為を見に行って激しく後悔したくない。ボクは批判したいと思った相手を批判をする暇があるくらいならその相手と「関わらない」で済む方法を考えたい。ボクはボクが批判したくなった相手と「関わらない」で済むための方法を探す努力を惜しまない。ブログならサブスクライブしない。ユーチューブならチャンネルサブスクライブしない。インスタならフォローしない。もちろんツイッターならミュート、FF外からのメンションは通知オフ。「関わらない」ためにできるかぎりの努力を惜しまない。唯一幸いなのはそういうボクが批判したくなってしまうようなラヲタ、ラーメンユーチューバー、女子ラーメン、千と千尋の神隠しをキメるらーめん店主はまとも界でのプレゼンスが低いことだ。まとも界の関心ない。ボクが批判をしたくなる人々のメディアがはてなのホットエントリに入ったのを目にした記憶がボクにはない。ボクからあえて拾おうと思わなければいいだけ。ボクからは絶対に「関わらない」。ボクはマゾじゃない。
楽しくブログを書きたいなら、批判したくなった相手がいたときにグッとこらえてスルーするのがいいとボクは思っている。下手に批判すると全く予想だにしなかったところから金ダライ (かなだらい)が落ちてくるかもしれないのだ。金ダライが一体何かを知らない人もいるかもしれないがあれは頭に落ちてくると本当に痛い。ボクはらーめんによせてブログ書くのを楽しみたい。予想だにしないところから落ちてくる金ダライを如何にして感知して避けるかといった修行をするためにブログを書いているわけではないのだ。金ダライを避けるに失敗して気づいたらベッドの上でらーめん卒業するのだけは避けたい。
インスパイアされたリンクや与太話。
- しっかりせい、DeNA |
- 三ない運動 - Wikipedia
- ガチガチの競合他社に転職いたします。 - Everything you've ever Dreamed
- 批判してもいいかな? - 感想文
- 豚の日 - Wikipedia
あまり関係ないけど今日は豚の日らしい。ボクにとって「飛ばねえ豚はただのチャーシューだ」。ああ、早くまとも人間になりたい。
(今週のお題「卒業」によせて書きました。アイキャッチは乾杯のイラスト「生ビール」。「卒業」で検索するとあまりにもベタだったのでランダム検索を使ってみた。卒業おめでとうをビールで乾杯はあり得ることだ。いらすとやさんと偶然に感謝!)