#ほぼにちらーめん

プロのラーメン断食家であるボク,らーめ人間Zが可能な限り毎日タンタンとメンタルしっかり政治・経済・社会・技術の垣根なく知らなかったことを知るために書いているただの日記ブログ.よろしくね,ピース.ほぼ日刊イトイ新聞とは無関係.写真をはじめとした皆あまねく全てのコンテンツの無断転載はお断り!

ボクは軟式高校野球部しかない高校の硬派な応援団だった。

スポンサーリンク


 ボクはらーめ人間Z。らーめん視点からでないとブログが書けないまともない人間だ。毎週水曜日はボクがはてなブログ編集部が出題するお題に答えてはてなブログを楽しむことにしている日だ。今週のお題「高校野球」。高校野球とラーメンでブログ書くのはつラーメンである。だから今回はらーめん視点から出ないとブログかけないまともない人間としてブログを書かせてもらうこととしたい。ボクの高校時代の思い出話を高校野球と絡めて語らせていただこうと思う(まだボクは2017年1月8日に生を受けて、220日目であるわけだが、どうして高校時代の記憶を持っているかについては秘密である。この世の四畳半インスタ空間は並行して存在していて時には過去にもスワイプ移動することもできるからとだけ言っておきたい。何を隠そうボクは隣接する四畳半インスタ空間を行ったり来たりしつつラーメン神のいない世界を探し続けている四畳半インスタ空間バガボンドなのである。もしかしたら並行世界での体験を間違えて語っている可能性もあるが、ボクの記憶はこんがらがっているので、ボクの中では真実なのである。ご容赦いただきたい(関連記事:参照*1)。

ボクの通っていた高校には硬式野球部はなかった。

 遥か太古、カンブリアの昔、ボクは高校生であったらしいと言われている。T都生まれUS育ち悪そなヤツは大体トモダチじゃないはずのボクであるが、なぜか高校ではK県H市の公立名門進学校に通っていたそうであるから誠に不思議である。

 そんなボクの通っていた高校には硬式野球部がなかった。あったのは軟式野球部だった。もちろん洗練されたT都生まれUS育ちのシティボーイだったボクは甲子園の高校野球の全国大会には興味を持つことはあっても、軟式野球部に興味を持つはずがあるべくもなく、もちろんボクが軟式野球部に所属することがなかったということは言うまでもない。そして、健康優良不良少年だったボクが所属するつもりアブラマシマシニンニクカラメだったのが帰宅部であったということは完全に蛇足である。予備校に行くフリをしてY駅近くに当時あったネギ辛もやしラーメンをオヤツ代わりにキメる日々を夢想していたということは公然たる秘密である。だから本稿においてネギ辛もやしラーメンについては書かない。

 硬式野球部のない高校なんて「嘘だろ?!」と余計なお世話を思う方もあるかもしれないが、ボクの通っていた高校には事実硬式野球部がなかったのであるからどうにもしようがない。過去には硬式野球部があったとかなかったとか言われていたような気がしないでもないのであるが、練習の際に硬球が頭にあたって怪我をした生徒がいたとかいないとかいった理由で廃部になったとかならなかったとかいった話を小耳に挟んだような気もするし、小耳に挟まなかったような気もする。いずれにせよ、いいかげんな情報といい加減な記憶であるのでこれ以上ボクはこのことについては書かない。

 しかし、なぜか硬式野球部のないボクの高校にも応援団は存在していたのである。御存知の通り、応援団とは、文化部/運動部を問わず部活動を行っている生徒を応援するということを生業とするなんだかよく分からない謎の集団である。生業とは書いたが、他人を応援したところで一銭たりとて稼ぐことはできないものであるから不思議である。

 硬式野球部のない高校の応援団はスープしかないラーメンのようなものである。故佐野実さんが「麺は男、スープは女」とか言っていたらしいがボクにはさっぱり何を言ってるんだかよく分からない。むしろ「こいつ、大丈夫か?」とさえ思ってしまう。応援団という謎集団の応援活動の華は春ないし夏の甲子園を目指す高校球児を応援することである(少なくともボクはそう思っていたし、今もそう思っている)。甲子園を目指す高校球児のいない高校の応援団には残念ながら華があるとは言い難い。ボクにはそんな麺のないラーメン …いや甲子園を目指す高校球児の所属する硬式野球部のない高校の応援団が何のために存在しているのか理解できなかったが、ボクの通っていた硬式野球部のない高校に応援団は立派に存在していたのである。

 そんな華のない何のためにあるのかよく分からない応援団がボクの通っていた高校には存在していたわけであるが、当然ながらそんな応援団が存在することには大変異議があるため、生徒自ら誰も率先して入団しないというまともで素晴らしい応援団であった。

 生徒が当該応援団に異議があると思うのもそれもそのはずである。硬式野球部のない高校の応援団の活動内容は主に学校内イベントでの応援活動だったからである。ナニを応援してるのかよく分からないが、陸上競技大会だったり、文化祭だったり、体育祭だったりで声が出なくなるまでキレッキレの殺陣(たて)を演じさせられるのである。運動部が県大会とか全国大会とかメジャーな大会にまでコマを進めることができれば応援しにいくことはあったかもしれなかったわけであるが、軟弱なモヤシのようなシティボーイ&ガールズの集まりである公立名門進学校が県大会などにコマを進めることはまずなかった。だから、校内でのナニを応援してるんだかよく分からないことを応援するためのためにボクの高校の応援団は存在していたのである。

 前述したとおり、そんなナニを応援してるのかよく分からない謎集団に自ら率先して入団しようなどというよく分からない純粋培養の男汁が詰まった男子学生などはもちろんボクの通っていた高校にいるわけがないわけであるから、どうやって応援団が存続していたのか疑問に思う方がおられたならば、その方は聡明である。ゴモットモな疑問であるからだ。

 実はそんな伝統ある応援団存続のために連綿と続けられていた強制スクランブルという仕組みが当該応援団にはあったのである。誰が考案したのかボクは知らないが、その強制スクランブルを実現するため、ボクが通っていた高校の応援団は部活動ではなく委員会という立て付けになっていたのである。応援団という重厚壮大な看板を掲げた委員会であるとは、にわかに部外者には信じられないかもしれないが、ボクの通っていた高校の応援団は事実正式名称を《応援委員会》と名乗っていたのである。ピッカピカの高校一年生の一学期に以降三年間、応援イベントがある度に強制スクランブルを要請される応援団員というなの応援委員というなんだかよくわからない人員(男子最低一名)がクラスから人柱として生贄に捧げることになっていたのである(さすがに三年間強制スクランブル招集はきつかろうということで、人道的配慮として、生け贄に捧げられた生徒がどうしても嫌だという場合は当該応援団を辞めることはできたわけだが、生け贄としての役割を最低高校一年の冬までは果たすことを余儀なくされていた。どこが人道的であるのかは未だもってボクには理解できないでいるわけだが、きっとそれはボクが阿呆だからだろう)。

 そして、その人身御供をキメるための手段として用いられていたのが「ジャン拳」と呼ばれる殺陣拳(さつじんけん)である。来るべき民主主義とは程遠い選出手段であるが、大体お察しの通り、この「ジャン拳」という殺陣拳に恐ろしいまでに弱かったのが、ボクという健康優良不良少年だったというのはご明察の通りである。高校一年、一学期、クラス一丸となって一斉に担任高校教師とジャン拳をし、負けた者が勝ち残るというなんだかよく分からないシステムで、名誉ある一年Z組(ボクが一年何組だか忘れてしまったわけではない)の応援団員ならぬ応援委員に選出されたのが誰あろうボクだったのである。

 こうして圧倒的かつ空前絶後のジャン拳敗者であったボクは軟式高校野球部しかない高校の応援団員となったのである。これもまた前述したことであるが基本的には校内における意味がよく分からない強制イベントの応援を行うというなんだかよく分からない応援団であったわけだが、その練習は苛烈を極めた。というのもボクの通っていた高校では高校一年の一学期、たしか5月だか6月にいきなり陸上競技大会という応援団の強制スクランブル招集がかかる大強制イベントが催されていたからである。高校入学から一ヶ月だかそこらで全ての応援団の殺陣をおぼえることを強制されるのである。応援団の殺陣というものはキレッキレの殺陣であるわけだが、その振付は真に複雑怪奇であり、覚えるのは冗談抜きに大変である。今も昔も物覚えの良さには定評のあったボクであったが、興味のないものにはとことん物覚えが悪いことにも定評があったということは公の秘密である。もちろん応援団の殺陣などにボクが興味を示すはずがあるわけがなかった。そんな何だかよく分からない応援団に興味ゼロ。レスザンゼロ。永遠のゼロだったボクに用意されていたのは1ヶ月かそこらで応援歌という謎の歌を10種類も覚えることであり(校歌も合わせるとその数11種類となったわけであるが)、その応援歌と校歌に合わせた振付の殺陣をマスターすることであった。どうせマスターになるならポケモンマスターになりたかったものだが当時ポケモンが発売されていたかどうかについては記憶が定かではない。

 そういったわけで、ボクが強制収容されることになった応援団という謎集団での修行は苛烈を極めた。毎朝6時からの朝練、ランチの時間を切り詰めての昼練、そして放課後の夕練である。朝練は学校の渡り廊下での発声練習である。ハッキリ言って近所迷惑だったと思っているのだが、地域住民の方からなぜ苦情がこなかったのかとても不思議でならない。2017年の近頃では保育園の幼児がうるさいと保育園に怒鳴りこむ地域住民がいるわけであるが、ボクらのうるささと幼児のうるささでは幼児のうるささなどミジンコの陰茎ほどのものであったのではないかと思わなくもないわけであるが、思い出さなかったことにしてスルーすることにしたい。殺陣の練習を行うのは専ら朝練のときであったような気がするが記憶が曖昧である。尊敬と羨望の眼差しで温かく見守られていた応援団という謎集団であったのでグラウンドを使っての練習は他の運動部と予定がバッティングしないランチ時間を切り詰めての昼練と他運動部が休憩している間隙をついての夕練のときであった(ここまで書いて、昼練が渡り廊下で朝練がグラウンドだったような気がしてこないこともなかったが、カンブリアほどの昔の記憶であるから、記憶が曖昧なのは仕方がない。だからボクは昼練と夕練がグランドで行われていたということにして書き進めていこうと思う)。

 昼練と夕錬はまさに文字通り過酷を極めた。応援団のボクらが着用していたのは明らかに校則違反の長ランとボンタンであった。春夏秋冬長ランボンタンスタイルがボクらのユニフォームであった。そんなユニフォームを日々着用し、砂利だらけの校庭という世界の中心をありのままの裸足でレリゴーレリゴー占拠して応援の練習を叫ぶのである。その姿たるや他人から見たら阿呆以外のナニモノでもないわけだが、声が出ていないとカンブリアの当時でさえ「センパイ、どこでそんな髪型にしてもらうことができるんですか?」と質問したくなってしまう東方仗助さんも喧々諤々であろうキレッキレのヤンキーにしかみえない髪型のヤンキーセンパイから「お前、声がでてないじゃー!」「オラー、拳立て10回!!」と言われてしまうので声が出なくなるまで声出しをするハメになったから何だかよく分からなかったものである。声を出していようが、声を出していまいが、結局声を出していると声がでなくなりヤンキーセンパイから請求される拳立てから逃れることはできないのである。

 蛇足であるが拳立てを強いられた際の掛け声は「押忍!」である。10回の拳立ては「押忍!」☓10となるわけだが「押忍!」言っているうちに何回拳立てしたのか忘れてしまったものだから不思議である。ヤンキーセンパイがOKというまでやっていたような気がしないでもないが、記憶が定かではない。ちなみに罰ゲームとしか思えない拳立てであるが、当日初回のヤンキーセンパイによる「お前、声がでてないじゃー!」では拳立て10回だったものが、次にヤンキーセンパイから「お前、声がでてないじゃー!」されるときには30回になり、三回目以降の「お前、声がでてないじゃー!」では100回とかいう長ランボンタンスタイルでは無理ゲーな筋トレを強いられることになっていたわけだが、もちろん拳立てがヤンキーセンパイからの指定回数こなせなかった場合には練習後にグラウンドを3周してこいとかいうわけのわからないオーダーを受けることになり、雑兵一兵卒であるボクらは「押忍!イエッサー!!」としか言えなかったものであった。下手な部活動よりもよほど体を鍛えていたような気がしないでもないのだが、一体何のために鍛えていたのかはさっぱり未だもってさっぱり不明である。もちろんボクらは一連の筋トレおよびランニングをボクらのユニフォームである春夏秋冬長ランボンタンスタイルで行っていたので、もし地球温暖化問題が深刻になっている昨今、同様のことをやっていたら、熱中症になってヘタしたらボクは死んでいたのではないかという気がしてならない。ボクは卒業以来母校にお礼参りするようなことをしていないので、今も同様の練習スタイルを当該応援団が貫いているかについてはボクのあずかり知るところではない。

 正直、ここまで書いてきてすでにボク自身何を言っているのかよく分からなくなってきてしまったわけであるが、そんな過酷な高校一年一学期の応援団の練習を乗り切ったボクが滞り無く高校生活最初の強制イベントである校内陸上競技大会に見事キレッキレの殺陣を披露し、何の問題もなく応援団としての責務を全うしたということは言うまでもない。しかし、そんな成功体験の自慢話をアッピールすることは野暮であるのでこれ以上書かない。

ボクの高校生活は甲子園とは一ミリの接点もなく終了した。

 その後、委員会として強制的に応援団に所属させられるのは一年生の冬までであったわけだが、ボクは結局、ボクは三年間応援団を続けてしまったわけである。もちろん、ボクが応援団ならぬ応援委員会に所属している間にボクが校内における強制応援イベントに強制スクランブルされることはあっても、学校外で文化部/運動部の別を問わず強制スクランブルがかかったことはなかったということは言うまでもない(一度くらいはあったのかもしれないが、記憶に残らないほど校外での活動がなかったことは確かである)。だからボクの高校生活と高校野球とはミジンコの陰茎ほどの接点もなく終了したのである。しかし、そんなただただ過酷を極めるだけの応援練習ばかりを強いられる応援団ならぬ応援委員にボクがなぜ所属し続けていたかであるが、それは秘密である。もちろん、その理由が秘密であるのは、ヤンキーセンパイたちが連綿と継承してきた過去問という名の伝説ポケモンのようなレアモンに惹かれたためではもちろんないし、ヤンキーにしか見えないヤンキーセンパイが実は聡明で勉強を教えるのがうまかったからなわけでもない。そして何よりヤンキーセンパイたちがことあるごとに応援団ならぬ応援委員は麗しい黒髪の乙女にモテるぞであるとか、ヤンキーセンパイに麗しい黒髪の乙女を紹介するぞという甘言を耳打ちされたからというわけではないといったことだけは断っておきたい。でなければ、どうしてあんな男汁が染みこみすぎて黒光りし誇りまみれで「応援団」という文字がもはやかすれて読めないような看板が掲げられているアブラマシマシニンニクカラメな応援団ならぬ応援員会の委員会室に日がな入り浸ったりしたであろうか。いや、するはずがないのである。

 もちろんその後、ボクが実は聡明なヤンキーセンパイや頼りになるヤンキーOBセンパイの御助力の甲斐もあってそれなりによい大学に進学できたか、であるとか、実際に麗しい黒髪の乙女にモテたかであるとか、麗しい黒髪の乙女を紹介してもらえたかどうかという展開についてはこの稿の主旨と激しく逸脱することであるので一切書くことを差し控えたい。

 何よりサクセス・ストーリーという自慢話ほど語るに値しないものはないからである。よろしくね。ピース(関連記事:参照*2)。

(アイキャッチは派手な衣装で椅子に座る成人たちのイラスト。ヤンキーセンパイたちのしていた格好はある意味このイラストよりも気合が入っていたわけであるが、あまりにも常軌を逸した髪型をしていたのでボクは思い出すことができない。何より髪型を貶すとクレイジー・ダイヤモンドを発現しそうな勢いがあったため、ボクは一度もヤンキーセンパイの髪型に対してコメントをすることを差し控えていたことについては言うまでもないのである。)

*1:神様がボクをラーメン断食にした。そこに選択の余地はなかった。

*2:誰かが自慢話を始めるとスネ夫が自慢するときに流れるテーマが流れている。