ごきげんよう、読者諸賢。ボクはらーめ人間Z。らーめん視点からでないとブログが書けないまともない人間だ。
ラーメンを愛し健康を愛し、そして何よりも平和を愛するボクは、ラーメンと睡運瞑菜350g、そして核廃絶運動のアウフヘーベンの途中のエラーでキタチョーのロケットマンがロケットもどきを撃つのをやめるまで外でラーメンを食わないラーメンハンガーストライキと言うナンだかよくわからんラーメン断食の人造人間、つまりはホムンクルスとして異世界転生していた。早くまとも人間になりたい。
ラーメン食うに食えない誓約と制約をもって異世界転生したボクは200日超えて現在進行形でラーメン断食続ける底抜けの阿呆、つまりはプロのラーメン断食家である。
ザ・ラーメン死亡説。
今日はボクの持論仮説であるザ・ラーメン死亡説について書いてみようと思っている。大した内容ではない。一言で言えばボクは「町の中華料理店が絶滅に瀕している」と思っているというだけにすぎない。つまり言いたいことはそれだけといえばそれだけである。
ボクのザ・ラーメン死亡説について説く前にボクの定義するところのザ・ラーメンとはなにかについて述べておきたい。
ボクの定義するザ・ラーメンとは昔ながらの中華そばのスタイルを守っているラーメンのことである。一目見ればそれがラーメンだとボクが認識することのできるラーメンである。すくなからず具、中華麺、そしてスープの三位が常に一体であるものであり、どれかひとつでも欠けたときボクはそのラーメンをザ・ラーメンに分類しない。ボクの主観による分類においてはザ・ラーメンと意識他界ラーメンを区別する。ボクがラーメンを分類するとき、ザ・ラーメンとは意識他界ラーメンのことではなく、意識他界ラーメンとはザ・ラーメンのことではないのである。
余談であるがボクが意識他界ラーメンと呼んでいるものは、ナンだかよくわからんこだわりをもったナンだかよくわからんオッサンもしくはオバハン、つまりは意識他界ラーメン店主が創り出したアート、つまりはナンだかよくわからんムニャムニャのことである。詳しくは以前、別のエントリにおいても意識他界ラーメンについてボクは説明しているので興味があれば関連記事を参照されたい(関連記事:参照*1、参照*2)。
そしてボクがザ・ラーメンと呼ぶラーメンを意識他界ラーメン店では食うことはデキない。ナゼなら意識他界ラーメン店で食うことがデキるのはナンだかよくわからんムニャムニャであり、意識他界ラーメン店で食うことのデキるものがナンだかよくわかったらそれはナンだかよくわからんムニャムニャではないからである。そしてナンだかよくわかるものをつくるラーメン店は意識他界ラーメン店ではないのである。
ボクが知る限りにおいて2017年11月26日現在、ザ・ラーメンを食うことができるのは町の中華料理店と呼ばれるようなお店かいわゆるステレオタイプな長寿庵に代表される町の蕎麦屋である。
ザ・ラーメンおよび町の中華料理店がナゼ絶滅に瀕しているのか。
最近、半チャンラーメンが静かに衰退しているなどというオモチロオカチイことを書いている記事があった。しかし、衰退しているのは半チャンラーメンではない。ボクに言わせれば衰退しているのは町の中華料理店であり、半チャンラーメンではないのだ。つまりこれこそボクの言うところのザ・ラーメン死亡説というわけなのである。
以降よりボクがナゼ町の中華料理店が絶滅に瀕していると思っているかについて理由をいくつか挙げていきたいと思う。理由は以下の3点である。
- 日高屋というちょい飲み屋の台頭。
- 糖質制限というブーム。
- 人手不足、後継者問題。
1. 日高屋というちょい飲み屋の台頭。
日高屋というちょい飲み屋の台頭(脅威)については先んじてエントリを書いた。詳細についてはそのエントリを参照されたい(関連記事:参照*3)。
要旨だけ少し触れる。ボクは日高屋が新規出店した地域で10年以上続いてきた町の中華料理店が閉店したのを目の当たりにしたのである。その町の中華料理店は閉店の理由を明らかにはしなかったが、ボクには日高屋の出店によってそれまで以上に営業がむずかしくなったようにしか思えなかったのである。
ボクに言わせれば日高屋はもはやちょい飲み屋でありラーメン店、町の中華料理店を凌駕する存在である。時にそれはラーメン店や町の中華料理店だけでなく飲み屋や他の飲食店へも影響が及ぶ。
日高屋の新規出店は町の中華料理店に限らず飲食店全般の脅威だといっても過言でないとボクは思っている。
2. 糖質制限というブーム。
町の中華料理店で人気のメニューと言えば当然、小麦や米を使った料理である。半チャンラーメンに餃子を追加で注文するのは無類である。
しかし今や空前の糖質制限ブームである。炭水化物は悪者扱いされている。しかし、炭水化物を避けては町の中華料理店はメニューをつくることがデキないのである。
この点においては意識他界ラーメンは、時に麺のないナンだかよくわからんムニャムニャであったり、時に麺が肉なナンだかよくわからんムニャムニャであったり、時に野菜しかないナンだかよくわからんムニャムニャであったり、時にビーガンしか食えないナンだかよくわからんムニャムニャであったり、ナンだかよくわからんムニャムニャをつくることによって糖質制限というブームの潮流による危機を回避するできてしまう。
大変ボクとしては遺憾なことではあるのだが、糖質制限というブームの下においてザ・ラーメンは絶滅の危機に瀕し、意識他界ラーメンは生き残ってしまうのである。
つまり糖質制限というブームが続く限りにおいて町の中華料理店は客層が限られてしまい、存続が難しくなってしまうのである。
3. 人手不足、後継者問題。
そして最後が人手不足、後継者問題である。そもそもボクが町の中華料理店と呼んでいるようなお店はナゼ存続できているのかもよくわからんお店であることが多い(関連記事:参照*4)。
お店は外観からして清潔感とは程遠いこともしばしばだ。そしてナニより店主とおぼしき人物も大抵お爺ちゃんかお婆ちゃんなのである。ボクの目からみればお爺ちゃんかお婆ちゃんの趣味でやっているようにしかみえないと言っても過言ではない。
そんなお爺ちゃんかお婆ちゃんの趣味でやっているお店が儲かっているわけがない。儲かっているわけがないので、人手を外から雇えるわけもないのである。そして新しい働き手を獲得しようとしていないのだから後継者がいるはずもないのである。
つまりここに至っては自然消滅という話である。
ザ・ラーメンは後継者が途絶え、ザ・ラーメンの影形も失ったナンだかよくわからんムニャムニャが世の中では今後ラーメンと呼ばれていくのである。カナチイことだ。
以上の3点により、ボクは町の中華料理店はその姿を市場から消し、ひいてはその町の中華料理店でしか食うことのできなかったザ・ラーメンも世の中から消えると思っているものである。
これがボクの提唱するザ・ラーメン死亡説である。
しかし、未来は不確実である。ボクの言う3つの理由で本当に町の中華料理店が絶滅するか否かについては必ずしも現実にならないかもしれない。
ウマいブレイクスルーが見つかり、町の中華料理店とザ・ラーメンが生き残る術が見つかるやもしれぬ。だからボクは今しばらくラーメン俗世の動向を観察し研究することを続けていきたいと思っている。ナニか発見があったなら、ボクはまたしかるのちコウカイするだろう。
それではまた会おう。さらばだ、諸賢!
(アイキャッチはラーメンのイラスト。正直なところをいうとボクのイメージするザ・ラーメンといらすとやさんのラーメンのイラストには認識の差異がある。ナゼならナルトもメンマもホーレンソウもないからである。あくまでいらすとやさんのラーメンのイラストはラーメンであり、ボクの思うザ・ラーメンではないのである。)