#ほぼにちらーめん

プロのラーメン断食家であるボク,らーめ人間Zが可能な限り毎日タンタンとメンタルしっかり政治・経済・社会・技術の垣根なく知らなかったことを知るために書いているただの日記ブログ.よろしくね,ピース.ほぼ日刊イトイ新聞とは無関係.写真をはじめとした皆あまねく全てのコンテンツの無断転載はお断り!

除夜の鐘が地域住民の「うるさい」という苦情で中止を受けて断つ.

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 ごきげんよう,読者諸賢.ボクはらーめ人間Z.ラ王真贋の遣い手にしてラーメーン視点からでないとブログが書けないまともないヒューメンだ.
 
 ラーメーンを愛し健康を愛し,そして何よりも平和を愛するボクは,ラーメーンと睡運瞑菜350g,そして核廃絶運動のアウフヘーベンの途中のエラーで世界週末時計の時計の針が過去最大にもどるまで,つまりは世界が令(うるわ)しく平和になったと断言できるまで,外でラーメンを食わない超ラーメンハンガーストライキ2と言うナンだかよくわからんラーメン断食を超えたラーメン断食をさらに超えたラーメン断食の人造人間,つまりはホムンクルスとして異世界転生していた.早くラーメーン食べたい.
 
 外でラーメン食うに食えない誓約とはてなブックマークしたくてもすることができない制約をもって異世界転生したボクは丸2年を超えて現在進行形でラーメン断食続ける底抜けの阿呆,つまりはプロのラーメン断食家,二つ名は「戦えラーメンマン」である.

除夜の鐘が地域住民の「うるさい」という苦情で中止になるのは不寛容が蔓延しているからなのかを千手院(東京都小金井市)の事例で確認してみた.

 先日,ボクは上記の記事を読んだ.除夜の鐘が「うるさい」という苦情が殺到し自粛を余儀なくされた寺院があるというのである.年に1度,大晦日から元日の夜にかけて年にたった一夜の伝統行事も許容できない人びとが遂に現れるようになってしまったかと思いつつ,ボクは記事を丁寧に読んでみることにした.除夜の鐘が「うるさい」と苦情が殺到し裁判の果てに除夜の鐘を自粛したという寺院について書かれていた部分は下記の箇所である.引用して紹介したい.

 年1度と聞けば、まもなく迎える大晦日でも不寛容の声が鳴り響く。東京・小金井市にある曹洞宗の寺院・千手院は、除夜の鐘を5年前から止めたそうだ。
「近隣の方から苦情が来て裁判所で調停が開かれたのですが、100万円かかる防音パネルを設置しなくてはならなくなりました。音が遠くまで聞こえなくなるし不自然なので、今年も鳴らすことはありません」(住職)
引用元:「運動会の花火」「除夜の鐘」に苦情多数で禁止拡大の不寛容 | デイリー新潮

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 ちなみにこの記事を読んでボクが奇妙に思ったのは,裁判所で調停が行われ,その判決の結果,当該寺院が除夜の鐘を鳴らすのをやめないならば,防音パネルを設置しなければならなくなったというくだりであった.もしも地域住民がただわがままだから,不寛容だから「うるさい」と苦情の声をあげ除夜の鐘を理不尽にやめさせるために裁判所で調停が行われたのだとしたら,裁判所がこのような判決をくだすものであろうか?それなりに納得のいく理由があるからこそ防音パネルの設置をするようにという判決を裁判所がくだしたのだと考える方がボクは自然なのではないかと思ったものである.

 であるから,次にボクは小金井市にあるという曹洞宗の寺院・千手院がどのような場所にあるのかというのをGoogleマップとGoogleストリートビューで確認してみることをしてみた.

 すると思いのほか当該寺院は民家が密集する地域にあり,敷地も思いのほか広くないということを見てとることができたのである.寺院の敷地のスグ隣に民家があるのである.隣接する民家の方々にしてみればスグ目と鼻の先で鐘が鳴らされればうるさいのは当然である.というか除夜の鐘であるとか除夜の鐘でないとか関係なく鐘をつかれるという行為を行われることそのものが「うるさい」のだろうということが容易に想像できたわけである.防音パネルがなければ生活に支障をきたすレベルで「うるさい」騒音となりうるものとして認められたからこそ裁判所もそういう判決をくだしたのであろうとボクは納得したものである.

 さて,ここで最初の記事に話が戻るわけなのだけれど,ボクは少なからず小金井市にあるという曹洞宗の千手院に関して言えば除夜の鐘とか除夜の鐘でないとか関係なく鐘をつかれる行為そのものが騒音となり得るケースであると思うものであるから防音パネルをつけてまで鐘をつくことを続けるといった迷惑行為をすることを潔く諦め鐘をつくのを自粛することにしたことは賢明な判断であったのではないかなと思ったものである.であるからことこの寺院が除夜の鐘を自粛することにしたことは不寛容とかいう話ではなくただ単純に地域に住まう人びとの人権に配慮した当然の対応という話であるという話だということが分かるのである.

 偏向した報道のいうことを鵜呑みにするとあたかも世の中に不寛容が蔓延し,どんどん生きづらい世の中になっているように思わされてしまうものであるものであるのだけれど,そこに法的な判断がなされているのであればそこには何かしらその判断がされるに至るに足るだけの十分な納得のいく根拠があるのであると考えるのが自然である.

 少なからずボクは小金井市にあるという曹洞宗の千手院に関しては住民が不寛容ゆえに除夜の鐘が禁止になったという認識はしなかったし,そんな誤解を誘導した冒頭の記事はろくでもないなと思ったものである.

 安直にしょーむない記事に騙されるのはみっともないのでやめよう.というわけでボクは冒頭の記事のようなしょーむない記事が書かれなくなるまで外でラーメンを食わない.

 それではまた会おう,さらばだ諸賢!

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参考.

参考までに同じことを書いている別の記事をボクが有料サブスクライブしている日本経済新聞で発見したので参考までにどのように同じことが書かれているかを紹介したい.同じことを書いているにも関わらず冒頭のデイリー新潮の記事とはかなり印象が異なることを見てとることができると思うものである.

大みそかの夜に鳴り響く「除夜の鐘」に変化が起きている。"騒音"のクレームや檀家の高齢化による参拝者の減少で、鐘を突く時間を昼間に早めたり中止したりする寺院が目立ち始めた。参拝者増につながる例も出ているが、年の瀬の風物詩が消えていく状況に関係者の心中は複雑だ。 千手院(東京都小金井市)は2014年、除夜の鐘を中止した。民家が密集する地域にあり、敷地内の工事で鐘を移動させたところ、近隣住民から「この距離で鐘が鳴ると、高齢の母が体調を崩す」と苦情が寄せられたためだ。住民らが申し立てた民事調停で、防音パネルを設置した上で指定した時間内に限り、鐘を突ける道を残したが、設置費用の高さからパネル設置に踏み切れない。
年末には再開を望む声が寄せられる。住職の足利正尊さん(43)は「地域の人が楽しみにしていた行事なので残念だが、寺は困った人の思いを聞くところ。近所の人が安堵しているのなら正しい選択だった」と話す。
引用元:昼間に響く「除夜の鐘」 参拝者減や「騒音」苦情で: 日本経済新聞

 ちなみにこの記事は「2018年12月27日」に公開されているものである.冒頭の記事は「2019年12月12日」で丸1年後発である.丸1年もあとにしょーむない記事を書くことのできるデイリー新潮の記者の質が窺い知れるものである.

《本稿はお題「最近気になったニュース」によせて書きました.》