ごきげんよう、読者諸賢。ボクはらーめ人間Z。らーめん視点からでないとブログが書けないまともない人間だ。
ラーメンを愛し健康を愛し、そして何よりも平和を愛するボクは、ラーメンと睡運瞑菜350g、そして核廃絶運動のアウフヘーベンの途中のエラーでキタチョーのロケットマンがロケットもどきを撃つのをやめるまで外でラーメンを食わないラーメンハンガーストライキと言うナンだかよくわからんラーメン断食の人造人間、つまりはホムンクルスとして異世界転生していた。早くまとも人間になりたい。
ラーメン食うに食えない誓約と制約をもって異世界転生したボクは200日超えて現在進行形でラーメン断食続ける底抜けの阿呆、つまりはプロのラーメン断食家である。
ラーメン店の主役はラーメンである。ラーメン店の主役はラーメン店主ではない。
閑話休題。ラーメン俗世には御都合主義があふれている。ラーメン俗世には御都合主義しかないと言っても過言ではない。
先日、ボクはラーメン店主からオーラを感じないし、ラーメン店主からオーラが見えることはないと言うことを書いた(関連記事:参照*1)。
競合するはずのラーメン店同士がお互いを褒め合うというのは冷静な第三者視点から見たらふしぎなものである。ボクはそれを意識他界ラーメン店同士の高度な褒め殺し合いと呼んでいる。
「オーラがハンパない。」が意識他界、高度な褒め殺し合いなのか否かはさておき、ラーメン店主にオーラがあるかないかなどということはどうでもよいのである。ラーメン店の主役はラーメン店主ではない。ラーメン店の主役はラーメンだからだ。
しかしながら一方で昨今、ラーメン店において主役はラーメンではなくラーメン店主であったり、ラーメンではないノベルティであったりする意識他界ラーメン店が存在していることは事実だ。
ナニ食ってるとラーメンが主役のラーメン店でラーメン店主やラーメン店のノベルティが主役面するようになるのかボクにはわからないが、ラーメン食いにラーメン店に行くというよりもラーメン店主に会いに行ったり、ラーメン食いにラーメン店に行くというよりラーメン店のノベルティを買いにラーメン店に行くというオモチロオカチイ人びとが少なからずいるというのは動かしがたい事実なのである。
ちなみにそういうラーメン店にラーメン店主に会いに行くであったり、ラーメン店にラーメン店のノベルティを買いに行くといったナンだかよくわからんオモチロオカチイ人びとがすることはナンだかよくわからんオモチロオカチイことになることは自明である。そして、そういったオモチロオカチイ人びとのするオモチロオカチイことについて書き始めるとそれだけでブログが一エントリどころか数エントリ書けてしまう。そして何よりそういったオモチロオカチイ人びとのことについて書くことは本稿の主旨を離れてしまう。だからボクは潔くそういったオモチロオカチイ人びとについて書くことを本稿においては差し控えたい。ボクは潔さには一家言ある。つまりフンベツのあるオトナなのである。
それにしてもいつ頃からラーメン店の主役がラーメンではなくラーメン店主であったり、ときにラーメン店のノベルティが主役となるようになってしまったのだろうか。
有名なラーメン店主と言えば大勝軒の創業者である故山岸一雄さんであるが、故山岸一雄さんがご存命の際に故山岸一雄さんが大勝軒の主役、タレント扱いされていた記憶はない。少なくともボクにはそういう記憶はない。
次に有名なラーメン店主といえば故佐野実さんであるというのがボクの個人的見解である。しかし故佐野実さんに対していい印象をもっている人びとがどれだけいるのかは知らないが、少なくともボクはテレビで観ていた故佐野実さんにいい印象をもたなかったものである。故佐野実さんをキャラクターとして面白いと思っていた人びとの中でステレオタイプなラーメン店主のイメージとして故佐野実さんのイメージが世の中に広まったのであれば、むしろボクはそれを迷惑に思っているラーメン店が多くてしかるべきと思うものだ。しかし何やら未だに意識他界ラーメン店界隈では故佐野実さんを神格化して扱っているように思われる。テレビで観た故佐野実さんに対していい印象を持っていないボクにはモシャモシャしたものを感じるものだ。しかし、故佐野実さんの影響によってラーメン店の主役がラーメン店主のように錯覚するオモチロオカチイ人びとが現れるようになったか否かについては定かでない。
ボクからすればラーメン店主はラーメンつくるという職能をもっただけのその辺にいるタダのオッサンないしオバハンである。ボクはテレビで見たことがあるというだけの理由で芸能人を見かけたとしても何も特別な感慨は湧いてこないものだが、ましてやラーメンをつくるという職能をもっているというだけのその辺にいるオッサンやオバハンであるラーメン店主に対して湧いてくる特別な感慨などないものだ。だから、ことボクに至ってはあのラーメン店主に会いたい、あのラーメン店主に会いに行くというナンだかよくわからん動機でラーメン店にいくということはないのである。ボクはラーメンを食いたいからラーメン店に行くのであり、ラーメン店主に会いにラーメン店には行かないのである。
ラーメン店のノベルティが主役になってしまっているラーメン店、中でもラーメンラリーが主役になってしまっているラーメン店にボクはゼッタイにいかない。
そしてラーメン店のノベルティに関してはTシャツやキャップ、ラーメンラリーなどのシールなどを売っている意識他界ラーメン店があるわけだが、ボクはそんなものは買わない。
ボクらも以前はそういったラーメン店のノベルティを買っていた時期があったことは潔くみとめよう。しかしボクらはそういうモノを買うのをやめたのである。ナゼならむしろそういったノベルティ、特にラーメンラリーを目的にラーメン店を訪れるオモチロオカチイ人びとがいることが分かったからである。
ラーメン店にラーメンを食いに行くことを主目的にするのではなくラーメン店のノベルティを買うことを主目的にラーメン店にいくという人びとはアタマがオモチロオカチイ人びとである。
特に前述したようなラーメンラリーのようなラーメン店のスタッフをシールにするというナンだかよくわからん意識他界ノベルティを買うことを目的にラーメン店にいくような人びとはひときわオモチロオカチイと言っても過言ではない。オモチロオカチイを限界突破してしまっている人びとである。最近はナリを潜めているが、5ちゃんねるでラーメン店、ラーメンラリー転売ヤー、そして反ラーメンラリー転売ヤーに対して日々侃々諤々の誹謗中傷・罵詈雑言を巻き散らかしているような人びとの集まりである。そんなアタマがオモチロオカチイ人びとをホイホイするようなノベルティであるラーメンラリーを嬉々として売るような意識他界ラーメン店もまたオモチロオカチイ存在であると言えよう。ラーメンラリーを扱うような意識他界ラーメン店はアタマ一つ限界突破した意識他界ラーメン店であるであると言っても過言ではない。ボクはラーメンラリーというオモチロオカチイをアタマ一つ限界突破した意識他界ラーメン店のノベルティにだけはゼッタイに関わりたくないものである。
参考:google:ラーメンラリー 5ちゃんねる
とてもまともで素晴らしい人びとが集まっているラーメンラリーの5ちゃんねるはナゼか近頃ナリを潜めている。不毛な物事にあれだけ熱量(不毛エネルギー)をかけていた人びとが忽然とそのナリを潜めているのはとても不気味である。ラーメンラリーを集めているはずのまともで素晴らしい人びとは一体イマはどこで侃々諤々の誹謗中傷・罵詈雑言に花を咲かせているのであろうか。不毛エネルギーのはけ口はどこへ行ったのであろうか。
ちなみにラーメン店主やラーメンラリーをはじめとしたようなラーメン店のナンだかよくわからんノベルティをラーメン店の主役と思うか否かは、諸賢の自由である。そして、何を目的にラーメン店にいくのかについても同様に諸賢の自由である。しかし、ボクは少なくともラーメン店の主役はラーメンだと思っており、ラーメン店主やラーメンラリーをはじめとしたラーメン店のナンだかよくわからんノベルティがラーメン店の主役ではないと思っているということに過ぎない。
そしてボクはプロのラーメン断食家であり、キタチョーのロケットマンがロケットもどきを撃つのをやめるまで外でラーメンを食わない核廃絶運動の自虐的代理戦争の徒である。
だからそもそもボクは外でラーメンを食わないのである。しかし、ラーメン店主やラーメンラリーに代表されるようなアタマのオモチロオカチイ人びとホイホイなノベルティが主役になってしまっているような意識他界ラーメン店はことさらゼッタイに行かないのである。ナゼなら危険だからである。
あらかじめ危険だと分かっているものに近寄らないのがオトナとしてのフンベツである。だからオトナであるボクは危険な場所には近寄らないのである。
それではまた会おう。さらばだ、諸賢!
つかラーメン店主に変なオーラとかいらないよね。ラーメンが主役。 / “ラーメン店主にオーラなど感じない。ましてやラーメン店主にオーラは見えないと言っても過言ではない。 - #ほぼにちらーめん” https://t.co/c7s1pLW4Ul
— フミコ・フミオ@本採用 (@Delete_All) 2017年11月14日
ボクの文章師匠であるフミコ・フミオさんの素晴らしいご意見に感化されボクは本稿を書くことにキメた。
(アイキャッチは本日の主役のイラスト(女性)。本稿はお題「ラーメン界の噂。」によせて書きました。)
*1:ラーメン店主にオーラなど感じない。ましてやラーメン店主にオーラは見えないと言っても過言ではない。