#ほぼにちらーめん

プロのラーメン断食家であるボク,らーめ人間Zが可能な限り毎日タンタンとメンタルしっかり政治・経済・社会・技術の垣根なく知らなかったことを知るために書いているただの日記ブログ.よろしくね,ピース.ほぼ日刊イトイ新聞とは無関係.写真をはじめとした皆あまねく全てのコンテンツの無断転載はお断り!

松本サリン事件から30年を受けて断つ(2024年6月27日)。

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 ごきげんよう,読者諸賢.ボクはらーめ人間Z.ラ王真贋の遣い手にしてラーメーン視点からでないとブログが書けないまともないヒューメンだ.ラーメーンを愛し健康を愛し,そして何よりも平和を愛するボクは,ラーメーンと睡運瞑菜350g,そして核廃絶運動のアウフヘーベンの途中のエラーで世界週末時計の時計の針が過去最大にもどるまで,つまりは世界が令(うるわ)しく平和になったと断言できるまで,外でラーメンを食わない超ラーメンハンガーストライキ2と言うナンだかよくわからんラーメン断食を超えたラーメン断食をさらに超えたラーメン断食の人造人間,つまりはホムンクルスとして異世界転生していた.早くラーメーン食べたい.外でラーメン食うに食えない誓約とはてなブックマークしたくてもすることができない制約をもって異世界転生したボクは丸7年を超えて現在進行形でラーメン断食続ける底抜けの阿呆,つまりはプロのラーメン断食家,二つ名は「戦えラーメンマン」である.

(拉麺断食之参阡弐拾肆)松本サリン事件から30年を受けて断つ(2024年6月27日).

長野県松本市でオウム真理教が猛毒サリンを噴霧し、8人が犠牲となった1994年6月の松本サリン事件から27日で30年となるのを前に、1人が亡くなった会社寮の跡地にある「田町児童遊園」に26日、地元2町会が献花台を設置した。近隣住民らが花を供え、祈りをささげた。
出典:松本サリン事件、犠牲者出た跡地に献花台 27日で30年:日本経済新聞

 長野県松本市でオウム真理教が猛毒サリンを噴霧し、8人が犠牲となった1994年6月の松本サリン事件から今日(2024年6月27日)で30年となったのだという.その後,地下鉄サリン事件へと発展してしまった事件であるだけに2度とこうしたテロ事件の再発を許さないためにもこの事件のことを我々は忘れることがあってはならないし,子々孫々に至るまで語り継いでいかなくてもならない.

発生翌日、県警は第1通報者の会社員、河野義行さん(74)宅を容疑者不詳のまま家宅捜索し、薬品類を押収した。7月3日には、捜査1課長が原因物質を「サリンと推定される」と発表。上原さんは「薬品A班」のリーダーに任命され、多くの文献や専門家の意見を参考に、サリンの生成方法を割り出していった。
生成に必要な薬品の販売ルートをたどると、教団のダミー会社が浮上。県警は、サリン被害のため入院していた河野さんが退院した7月30日を待って事情聴取したが、それ以前に上原さんらは教団の存在をつかんでいたという。「冬ごろには確信を持っていた」
県警と報道各社は河野さんを犯人視していたが、上原さんは「猛毒のサリン。一般家庭では作れないと違和感を持っていた」と振り返る。一方で「県警には河野さんが犯人だと思った人もいたかもしれない」。 出典:発生1カ月後「オウムの影」 松本サリン事件追った刑事:日本経済新聞

そしてこの事件で忘れてはならないことは第1通報者の方が長野県警と報道各社の過剰な報道によってあたかも犯人であるかのようにされてしまったことである.その方の冤罪は晴らされたわけだけれど,一度犯人視されてしまったことによって被った心身,経済的な損失は計り知れないものがあったであろうことは想像に難くない.松本サリン事件であったようなテロ行為が2度と起こさせてはならないことともに冤罪も絶対に許してはならないということをボクは改めて心に刻み込んだ.この世界からテロ行為と冤罪が根絶されるその日までボクは外でラーメンを食わない!以上である.それではまた会おう,さらばだ諸賢!!

参考.