#ほぼにちらーめん

プロのラーメン断食家であるボク,らーめ人間Zが可能な限り毎日タンタンとメンタルしっかり政治・経済・社会・技術の垣根なく知らなかったことを知るために書いているただの日記ブログ.よろしくね,ピース.ほぼ日刊イトイ新聞とは無関係.写真をはじめとした皆あまねく全てのコンテンツの無断転載はお断り!

SNSには何を書いてもいいという意見に対する個人的見解。

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 炎上ブロガーとして結構有名な方が上述のようなエントリを書かれていたので、それをまくらに本エントリは書く。

 上述のエントリはあくまでまくらとして使わせてもらうだけなので、上述のエントリの互助会云々の内容を引き継ぐものではないし、はてなブックマークに限定せず SNS と対象を拡げて個人的見解を述べていきたいと思う。

 SNSには何を書いたっていいのか?ということに対するわたしの見解。

 SNSにどんな表現で何を書いてもいいと思っているか?と聞かれたら、わたしの答えはノーだ。ではなぜノーなのか、その理由を書いていく。

 理由は大きく2つあるので先にその二つとはなにかということを書いておくと

  • そもそも何でもは書けない。
  • SNS は社会に対する自分の顔だから。

の2つの理由だ。

 まずひとつ目の方から説明する。そもそも何でもは書けない。最近それこそポリコレ棍棒という言葉がよく言われるようになってきていて、まるでポリティカル・コレクトネスそのものが悪いような印象が世の中に蔓延しているような雰囲気があるが、そもそもそうではないだろう。

 そもそもポリティカル・コレクトネスが何か分かっていたら、少なくとも差別や偏見に満ちた言葉を使ったり、他人を誹謗中傷するような言葉は使えないはずだ。ドナルド・トランプ次期米大統領の当選を予見できなかったのは、ポリティカル・コレクトネスを言われることを恐れてそういった言葉を心の中では思っていつつも表に出せなかったからといったことが皮肉としてとりあげられているが、差別や偏見に満ちた言葉や他人を誹謗中傷するような言葉を思ったまま世の中にありのままでレリゴーレリゴー発信することが容認される世の中と、それに対する安全装置としてのポリティカル・コレクトネスが働く世の中とどちらがいいかと聞かれたら、わたしは断然後者だ。

 ちなみに日本はポリティカル・コレクトネスという安全装置はほとんど働いていない国だ。それは先日の新語・流行語大賞で「日本死ね」が選ばれてしまうことから自明だろう。話題の若手社会学者先生があれは比喩(メタファー)だから問題ないと言ったことを言っていたがそれも的外れもいいところ。あくまで2016年の新語・流行語としてそういう言葉が使われたということでは選ばれるのは問題ないとわたしも思うが、どんなメタファーだろうと「死ね」という言葉が安易に使われるような世の中が容認されていいわけがない。

参考:

 次にふたつ目、 SNS は社会に対する自分の顔だということ。日本ではどうにも匿名だったら何でも言っていいと思っている風潮があるようにわたしには思えてならない。それは米本国では不調なのに、日本ではTwitterが好調なのに顕著にみることができると思っている。ちなみに匿名だったら、自分だということを社会に知られず何でも言いたい放題だと本気で思っているんだとしたら、考えが浅すぎやしないだろうか。とくにそのブログから営利を発生させているブロガーでPVアッピールをせっせとしているようなブロガーなどは特にだ。彼、彼女らはそのPVや収益アッピールが真実なのであれば年間のブログからの収益が20万円を超えているはずである。それは確定申告をしなければならないことを意味し、確定申告をするということは会社には少なくとも知られているということだ(本業をもっているのであればだが)。ちなみに確定申告してなかったら脱税だからね。国税なめたらいけないよ?

参考:Twitter、日本の月間利用者が4000万人超え 9カ月で500万人増 - ITmedia ニュース

 もちろん、世の中の風潮としてキチンと本業で成果を出せるならば、副業を許そうという向きがあるのは事実だ。しかし、例えばそれこそ WELQ で問題になったようなゴミ記事を量産してPVを稼ぐ手法でアフィリエイト副収入を得ていることが会社にバレたとき、そのブロガーは本業の方を素知らぬ顔で続けられると思っているのだろうか?だとしたらそれは浅薄だろう。そのブログを書いているブロガーが働いているということが、本業の会社のイメージを毀損するならば、最悪懲戒免職だってありうるというくらいの想像力は働いてしかるべきだと思う。また、仮に一度そういう形で職を失って次の拾い手があると思うのだろうか?あるかもしれないが、探す際には相当骨が折れることになるだろうというのは想像に難くない。そんな無責任丸出しの人間を安直に雇用する会社があるとしたら、その会社もまた程度が知れている。つまるところ無責任にいいかげんによく知りもしないことをポンポン世の中に発信はできない、ということだ。いいかげんな自分という人間像を広く世界に拡散したいならご自由にどうぞだが。

参考:【魚拓】News Up WELQ騒動から見えた3つのこと | NHKニュース

というわけで以上2つがわたしが SNS に何でも書いていいとは思っていない理由だ。

最後にわたしがブログを続けていく上で留意していくことをまとめておく。以下の2つのことをしないように運営していくつもりだ。

  • 特定の人間や集団に対する差別や偏見、誹謗中傷をするような言葉を使用しない。
  • 自分がろくに知りもしないことをポンポンと安易に広めるような真似はしない。

ちなみに末尾になってしまったが、このエントリはまったくらーめん関係ない。あくまでブログそのものを書き続けていくために現時点の考えをまとめるために書いた。やれやれ。。。おっぱい!!

余談

ブックマークコメントは何書いたって良いんだよという話 - ポジ熊の人生記

69: 互助と言うのは正確ではないお互いに助け合ってなどいないのだから。ゴミ記事拡散器だと言うようにわたしは変えた。

2016/12/04 08:34

はてブに載るはてなブロガーは全員互助会と開き直っていいんじゃないか説 - 未分類なブログ

131: いつまで互助会と呼ぶのか。はてブにはゴミ記事拡散器の側面があるというだけの話。はてなブックマークのホットエントリ評価ロジックを運営側に継続的に改善していって欲しい。Googleは勝手にやっていくだろうから

2016/12/04 11:42

 余談として最近わたしがしたはてなブックマークコメントについてもう少し書く。

 最近 WELQ の問題があって、キュレーションなんてとどのつまりはゴミ記事拡散器じゃないかといったことが話題になったが、はてなブックマークもそれは対岸の火事ではない。はてなでは一般に互助会と呼ばれているものがようはそれなわけだが、人によって互助会とするものの解釈がまちまちで互助会はあるとかないとかいう水掛け論に終始していて話にならない。なので今後わたしは互助会という呼び方は辞め、ゴミ記事拡散器と呼ぶことにすることにした。

 ちなみにはてなブックマークがゴミ記事拡散器になってしまうのははてなブックマークのホットエントリの評価ロジックが古典的にブックマーク数で並べているだけだからだ(もしかしたらそうじゃないのかもしれないがそういうようにしかみえない)。はてなブックマークはもっとホットエントリを評価する際にブックマーク数だけでなく、そのコンテンツそのものの優良性を評価できるように改善されなくてはダメだ。Googleは勝手にそれを進めていくだろうから(Evilでないならばだが)そのうち今現在はページランクが高くなってしまっているようなゴミ記事もいずれは淘汰されていくだろうと思っている。はてなは DeNA の二の舞いを演じたくないならば、もっと適切にホットエントリを評価できるようにしなければダメだ。はてなブックマークの開発陣にはもっともっとアグレッシブに頑張って改善に勤しんで欲しい。

了:3939文字

お題「らーめんあまり関係ない雑記。」:今現在、ロボットは文章を読めないと言われている。しかしこのままゴミ記事拡散器の拡散を許していってしまうと、わたしたちは正しい情報を見つけることが困難になってしまう。キュレーションは虚構とかいう話に甘んじるのではなく、より優良なコンテンツに巡り会える環境が整っていかなければわたしたちの未来は暗い。このエントリはそんなことを悶々と考えながら書かれた。おっぱい!!!

※アイキャッチは馬鹿にしている人のイラスト。こういうのもよろしくないよね、と。いらすとやさんの守備範囲の広さにはいつも感謝。

*1:ソースが日刊スポーツというのは気になってはいる。