#ほぼにちらーめん

プロのラーメン断食家であるボク,らーめ人間Zが可能な限り毎日タンタンとメンタルしっかり政治・経済・社会・技術の垣根なく知らなかったことを知るために書いているただの日記ブログ.よろしくね,ピース.ほぼ日刊イトイ新聞とは無関係.写真をはじめとした皆あまねく全てのコンテンツの無断転載はお断り!

エア花見よりエアラーメン。

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  ボクはらーめ人間Z。らーめん視点からでないとブログが書けないまともない人間だ。ボクは花見は痛勤移動時や散歩したりジョギングしているときについでにキメるようにしている。場所取りして酒飲みながら桜酒とかいったことはしない。ましてや朝から雨がふる寒いプレミアムフライデーに新人社員に場所取りを強要したりしない。TPOにあわせた物事の楽しみ方ができないマゾをキメることがまとも人間への修行なのだとしたらまとも人間への道のりは遠すぎる。修行きっつー。早くまとも人間になりたいものです。

 そんなまとも界では「エア花見」が話題だ。火付け役はテレビのニュース(番組は忘れた)によると例によってインスタの同ハッシュタグ「#エア花見」らしくまとも界はあいも変わらず猫も杓子もインスタらしい。しかしボクはインスタは卒業した(関連記事)。だからあまりエア花見興味ない。ボクは花(桜)は痛勤移動時や散歩したりジョギングしているときについでに愛でたい。

参考:#エア花見 • Instagram photos and videos

 「花より男子」という言葉がある。いや、Google日本語入力が間違えました。なぜ第一候補を花より男子にもってくるのか、Google日本語入力おそろしい。改めまして「花より団子」という言葉がある。ボクの場合、もちろん「花よりらーめん」。そこから転じて「エア花見よりもエアらーめん」というわけだ。

参考:MISC-雑記-エアらーめん カテゴリーの記事一覧 - #ほぼにちらーめん

 改めてボクは強調しておきたいと思うのだが、ボクはラヲタなわけではない(関連記事)。だから日々らーめんのこと「好き好き抱いて愛している」と言ってはいるが、毎日2-3食、年間600-800食もらーめん食べたりは「しない」。せいぜい週に2-3食なのだ(家で食べる袋麺やカップ麺を加えると3-4食になることはあるが)。ボクは食べた杯数をアッピールしないとらーめん愛を語ってはいけないような風潮が嫌いだ。だから年間600-800食を謳っている人にやたらとメディアが食いついてコメントを求める風潮も嫌いだ。ボクからすると年間600-800食らーめん食べる人間は「こいつ、大丈夫か?」なので関わりたくない(関連記事)。なによりそういった年間600-800食を謳っている人たちが因果応報でどういう末路を辿ってもボクには関係ないし興味ない。何度でもハッキリ言おうと思うのだが「らーめんは健康に悪い」。なにより塩分が多いのがダメだ(関連記事)。自分でつくってみるとその辺りはよく分かる(自作らーめんの話は追々していきたい)。健康志向を謳ったらーめんが増えているが、もやしをのせて野菜たくさんとか言われるのはもうたくさんだ(そもそももやしも高騰している)。一日に必要な緑黄色野菜が全部摂れるといったことを謳うらーめんもなくはないが、ボクはそんならーめんは食べたくない(そういうのはスープパスタというのだ)。らーめんの定義はテキトーで「これがボクのらーめん」と言えばどうみても「焼きそば」でもらーめん。らーめんは自由。だからあまりボクも野暮なことは言いたくない。しかし、それでもボクにはボクの中で「これがらーめん」と思っているものがある。だから、誰がなんと言おうと「らーめんは健康に悪い」がボクの持論だ。

 健康に悪いらーめんを愛でたい。でも、食べるのは控えたい。そんなときにボクは「エアらーめん」をキメる。「らーめんが好きだ」だけど実際に食べるのは胃弱、高血圧だから控えないといけない、そういう方々には是非とも「エアらーめん」をキメてみてもらいたい。「エアらーめん」なら基本的に安心・安全だ。

 ただし「エアらーめん」にもひとつだけ副作用がある。だから最後に用法用量をお間違えなくという諸注意をして終わりたい。適度な「エアらーめん」をキメることができればらーめん欲を満たすことができ、満足できる。しかし、過度に「エアらーめん」をキメてしまうのは危険だ。逆にリアルらーめんをキメたくなってしまう。どの程度の「エアらーめん」をキメることで自分のらーめん欲を満たすことができるようになるかは個々人で千差万別だ。ボクも未だに「エアらーめん」をキメ過ぎてしまうことがある。「エアらーめん」のキメ過ぎでリアルらーめんをキメたくなってしまう。日々のメンタル修行大事。早くまとも人間になりたいものです。

インスパイアされたエントリや与太話のコーナー。

「花は満開の時だけをめでるものなのだろうか」と徒然草で兼好は書いた。続けて「近く咲きそうな枝先や、花びらが散っている庭も見どころが多い」と訴える。「家を出ずに花のさまを思い描くのもまたよい」。今風の言葉でいえば「エア花見」か。花好きを前面に出さずに、静かに趣を味わうのが風流人だ、ともいう。
引用: 数日前の夕、東京の上野公園に足を運んだ。三分咲きほどのサクラの下、青のシートに料理や飲み物を並べ若者たちがはしゃいでいる :日本経済新聞

 日本経済新聞の春秋(コラム)ですら「エア花見」をとりあげている。まとも界は猫も杓子も「エア花見」。ボクは「エア花見」より断然「エアらーめん」だ。

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このエントリは幾分のインスパイアを上記のエントリからキメています。ボクのインスパイアについてはこちらの関連記事に以前説明を書きました。

お題「エアらーめん。」によせて書きました。アイキャッチはお花見のイラスト「場所取り」。ボクは花より団子、団子よりらーめん。場所取りはしない。いらすとやさんにはいつも感謝。)