ごきげんよう,読者諸賢.ボクはらーめ人間Z.ラ王真贋の遣い手にしてラーメーン視点からでないとブログが書けないまともない人間だ.
ラーメーンを愛し健康を愛し,そして何よりも平和を愛するボクは,ラーメーンと睡運瞑菜350g,そして核廃絶運動のアウフヘーベンの途中のエラーで世界週末時計の時計の針が過去最大にもどるまで,つまりは世界が平和になったと断言できるまで,外でラーメンを食わない超ラーメンハンガーストライキ2と言うナンだかよくわからんラーメン断食を超えたラーメン断食をさらに超えたラーメン断食の人造人間,つまりはホムンクルスとして異世界転生していた.早くラーメーン食べたい(関連記事:参照*1、参照*2).
外でラーメン食うに食えない誓約と制約をもって異世界転生したボクは丸1年を超えて現在進行形でラーメン断食続ける底抜けの阿呆,つまりはプロのラーメン断食家,二つ名は「戦えラーメンマン」である.
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フミコ・フミオ先生の「すべての言葉はクソリプ」の言葉の意味をそこはかとなく哲学してみた結果をテキトーに全部語る.
ちょっと珍しくボク自身の話からはじめよう.ボクはそこはかとなく口が悪い.たとえばボクはラヲタキモメンが「ホンビノス貝のグルタミン酸やコハク酸の旨味成分が口腔を潤す」と言っているのをみかけたら「脳みそは大丈夫ですか?」と受け答えするし,また別のラヲタキモメンが「濃厚な煮干しがガツンとキタ!」と言っているのを見かければ「煮干しの角に頭をガツンとぶつけてあちらの世界へ旅立たれてはいかがか?」と受け答えするし,やはりラヲタキモメンが「あそこの行列店のラーメンは4時間並ぶ価値がある!」と豪語していれば「おヒマなんですね」と受け答えするものである.
2018年も11月をむかえ今年も残すところあと2ヶ月をきってしまったわけなのだけれど,この時期になるとそこはかとなくウサンクサーなラーメン本が未だに売れているのかはたまた売れ残っているのか書店に並ぶようになっており,その中の一冊「TRYラーメン大賞」などを手にとったりしてみると表紙に「旨み昇天」などと書かれていたりするのを観るとボクはやはりそこはかとない絶望感に苛まれてしまうのだ.いやむしろそんな「旨み昇天」などという言葉の意味がよくわからないクソワードを世に解き放ってしまう「TRYラーメン大賞」などを未だに読んでる意識他界系のラヲタキモメン諸氏はリアルに「旨み昇天」しかるのちあっちの世界へお旅立ちになられればよろしいのではあるまいか?と思ったりしてしまうのである.
ちなみにそんな口の悪い皮肉の数々が口をついてはクソのように漏れ出てしまうのを禁じ得ない状況に辟易していたボクの目に先日止まったのが下記のビル・ゲイツ氏が糞便を横にトイレ技術を語るという記事であった.
そしてラーメン本の上に踊る糞便のような有異議な言葉の数々と糞便を横に有意義なことを語るビル・ゲイツ氏の記事を相互に読み比べてみては,天と地ほどもある有異議と有意義の落差にボクはボクの目に映る身近な世界のあまりのイカれ具合にヒューメンが発する言葉などすべてウンコなのではないかと自嘲しかるのちメンタルがヘラヘラしそうになってしまっていたのである.
しかしよくよく考えてみるとボクがクソのような言葉を発しているのはクソのような言葉を発しているラヲタキモメンが発端であるので反省するべきはボクではなくラヲタキモメンであるはずなのではあるまいか?と思い直すことにした.ボクはそもそもなにもわるくはないではないか,と.悪いのは脳みそがアレなのではないかと思われるようなクソワードを次から次へと世に解き放つラヲタキモメンと意識他界ラーメン店店主,そしてそれをフィーチャーする「TRYラーメン大賞」の講談社や「ラーメンウォーカー」のKADOKAWAなのである.
そしてナニカとそこはかとなくそんなクソミソにまみれたウンコのことばかりに考えを巡らせていった結果,思い出した言葉がボクのブログセンセイでありツイッターフレンドでもあるフミコ・フミオセンセイ(以降はフミオさんで統一する)のツイートだったのである.
すべての言葉はクソリプ
— フミコ・フミオ (@Delete_All) October 9, 2018
ちなみにボクはこのフミオさんのいう「すべての言葉はクソリプ」の言葉の意味をボクはよく理解できていない.あえて狙いすましてボクの大好きなキン肉マンさん風に言うことを試行してみるならば「へのつっぱりはいらんですよ!」というくらい言葉の意味がよくわからないのである.しかしとにかくすごい迫力であることは言うまでもない.
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閑話休題.
驚くなかれ諸賢,ここまでがウンコにまつわる有異議な話と有意義な話の落差に絶望したボクがウンコについて考えてばかりいたら,吐き出す言葉のすべてがウンコなのではないかと思うようになってしまった結果,先日たまたまみかけたフミオさんの「すべての言葉はクソリプ」という言葉の意味はよくわからんがとにかくすごいゴーリキーワードのことを思い出したというなんだかよくわからん閑話だったのである.
そして以降は特に答えも見つかってはいないけれど折角なのでボクは今後ことある都度「すべての言葉はクソリプ」の意味を考えてみることをしていってみたいということを言いたいだけのどーでもいい本題である.
さてちなみにボクの意見を先に述べさせていただくならば「すべての言葉はクソリプ」というよりも「すべての言葉はウンコ」なのである.前者の「すべての言葉はクソリプ」では自分は正しいという前提になっておりボクにいわせるとちょっと不遜である.かといってボクの主張する「すべての言葉はウンコ」では自嘲が過ぎるものである.自らの発する言葉もそれに対するリプライも皆あまねくこの世界の言葉はウンコであるというわけだ.そんなイカれた世界ではヒューメンたるものなにも言葉を発することができない.
では一体全体どういった場合「すべての言葉はクソリプ」となり「すべての言葉はウンコ」となりうるか,それぞれについて哲学的に思考してみるとその答えは自ずと自明に出た.たとえば「すべての言葉はクソリプ」であるテーゼと「すべての言葉はクソリプでない」アンチテーゼがそれぞれ真であるか偽であるかを考えてみると,どちらも真となりうるのである.こういったケースでは絶対敵全体としての「すべての言葉」という世界を考えたときに,前提があることによって互いに真となりうるという話なのである.ようはこの世界がイカれているという前提において「すべての言葉はクソリプ」は真であるし,逆に真っ当な世界においては「すべての言葉はクソリプでない」のである.同様のことが「すべての言葉はウンコ」にいえることであり,イカれた世界では「すべての言葉はウンコ」であり,真っ当な世界では「すべての言葉はウンコではない」のである.
そして当然ながら「旨み昇天」などという有異議なクソワードが吐き出されるポイズンワールドはイカれており,一方でビル・ゲイツ氏が糞便を横にトイレ技術を語るのは清浄なのである.
とりあえずボクは「旨み昇天」などという有異議なクソワードが連発されるポイズンワールドに外でラーメンを食わない誓約と制約をもって異世界転生したわけなのだけれど,そろそろ並行して存在するであろうビル・ゲイツ氏が糞便を横にトイレ技術を語る清浄世界へ戻りたいものなのである.
とりあえずこの世界はイカれているので「すべての言葉はクソリプ」であり「すべての言葉はウンコ」なのである.というわけですっきりとウンコを吐き出し終わったので本稿はこれにてオシマイである.
それではまた会おう,さらばだ諸賢!快便を祈る!!
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参考.
失業期間中に法事に参加するのは被詮索&被説教地獄だからもうヤメようと思った。心の中で「すべての言葉はクソリプ」「すべての言葉はクソリプ」「すべての言葉はクソリプ」とマントラを唱えて乗り切ったけれど。
— フミコ・フミオ (@Delete_All) 2017年7月10日
フミオさんが「すべての言葉はクソリプ」であるという悟りを開いた瞬間について言及しているツイートが上述のものである.よほどフミオさんは無職期間中に心ないクソリプの嵐に見舞われたのであろう.しかしボクに言わせればイカれた世界における言葉はすべてウンコである.なので他人が発するウンコと自分が発するウンコにいちいち反応するのは無駄である.だからボクは自分が発したウンコについても気に留めないし,他人が発したウンコも気には留めないのである.糞便で溢れた世界で糞便について語るのは無駄であり,無駄なことをするのは無駄である.無駄だとわかってることを何度も言わせるのは無駄なことであり,そんな何度もおなじことをたっっぷりと言わないとわからないのはおバカさんなのである.
《アイキャッチは酷いリプライを飛ばす人のイラスト./本稿はお題「最近気になったニュース」とお題「どうしても言いたい!」によせて書きました.》