#ほぼにちらーめん

プロのラーメン断食家であるボク,らーめ人間Zが可能な限り毎日タンタンとメンタルしっかり政治・経済・社会・技術の垣根なく知らなかったことを知るために書いているただの日記ブログ.よろしくね,ピース.ほぼ日刊イトイ新聞とは無関係.写真をはじめとした皆あまねく全てのコンテンツの無断転載はお断り!

安室奈美恵さんの引退を敬老の日に受けて断つ。

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 ごきげんよう,読者諸賢.ボクはらーめ人間Z.ラ王真贋の使い手にしてラーメーン視点からでないとブログが書けないまともない人間だ.
 
 ラーメーンを愛し健康を愛し,そして何よりも平和を愛するボクは,ラーメーンと睡運瞑菜350g,そして核廃絶運動のアウフヘーベンの途中のエラーで世界週末時計の時計の針が過去最大にもどるまで,つまりは世界が平和になったと断言できるまで,外でラーメンを食わない超ラーメンハンガーストライキ2と言うナンだかよくわからんラーメン断食を超えたラーメン断食をさらに超えたラーメン断食の人造人間,つまりはホムンクルスとして異世界転生していた.早くラーメーン食べたい(関連記事:参照*1参照*2
 
 外でラーメン食うに食えない誓約と制約をもって異世界転生したボクは丸1年を超えて現在進行形でラーメン断食続ける底抜けの阿呆,つまりはプロのラーメン断食家,二つ名は「戦えラーメンマン」である.

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安室奈美恵さんの引退を敬老の日に受けて断つ.

 今日は2018年9月17日の月曜日,月曜日だけれど祝日なので休日である.なんの祝日かといえば敬老の日である.そして敬老の日とは内閣府の《「国民の祝日」について》のページを参照すると「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う。」祝日であると書かかれている.読者諸賢は敬老の日について御納得いただけたであろうか?

 内閣府から示されている敬老の日の定義からボクがそこはかとなく感じる《多年にわたり社会につくしてきた老人》から受けるイメージは,すでに定年を迎え現役を引退しているメンである.しかし,今,現役のサラリーメンをしているボクがモシャモシャするのはボクには現役を引退できることはなさそうであるということだ.

 例えば上述の記事である.この記事は今月(2018年9月)の3日に日本経済新聞が自民党総裁選(7日告示―20日投開票)を前にした安倍晋三首相に対して行ったインタビューであるわけなのだけれど,来たる自民党総裁選で勝てば安倍晋三首相の任期が2021年9月まで3年延びる前提において,最初の1年で生涯現役時代にふさわしい雇用制度を構築し「次の2年で医療・年金など社会保障制度全般にわたる改革を進める」と強調されているのである.

 当然ながら生涯現役というのは一生引退しないということである.たいへんにありがたいことに安倍晋三首相が来たる自民党総裁選で勝利すると次の3年でボクらニッポン国民は一生引退しないで働き続けることのできる制度基盤が整えられてしまうらしい.

 ボクはできうることなら死ぬまで生活できるだけのマネーが潤沢にあるならば今すぐにだって引退したいものだけれど,当面,そんな潤沢なマネーが用意できる見込はない.医療・年金など社会保障制度全般にわたる改革の内容いかんではそもそも年金はもらえなくなるかもしれない.

 というわけでボクが多年に渡り社会に尽くし続けて今の老人と呼ばれる世代の仲間入りをするころ,きっとボクはまだ現役なのだろう.一生働き続けなければならぬやもしれぬ,そんな一生現役な社会をつくるのに尽力してきてくれた現役の老人世代になにを感謝することがあるのだろうか?むしろ今現在は年金マネーをもらえている老人世代が現役世代に対して感謝するべき日があってもよいのではないのか?と考えたりするととてもモシャモシャするのが今日の敬老の日であるというわけだ.こういうときボクらはどういう顔をしたらいいのだろうか?笑えばいいのだろうか.

「生涯現役」というゴーリキ感溢れるパウワーワードを耳にして真っ先にボクが思い浮かべるのはゼノ・ゾルディックおじいちゃんなのだけれど,ゼノおじいちゃんが「生涯現役」なのは趣味と実益が一致しているライフアズワークが実践できているからであるのでボクには無理ゲーである.
「生涯現役」というゴーリキ感溢れるパウワーワードを耳にして真っ先にボクが思い浮かべるのはゼノ・ゾルディックおじいちゃんなのだけれど,ゼノおじいちゃんが「生涯現役」なのは趣味と実益が一致しているライフアズワークが実践できているからであるのでボクには無理ゲーである.
(引用元:HUNTER×HUNTER モノクロ版 11 (ジャンプコミックスDIGITAL)/p112)

 閑話休題.その一方で世の中には気軽に「引退」の二文字を口にできる類の人びともいる.

 ちょうどタイムリーに昨日(2018年9月16日)をもって芸能活動を「引退」した安室奈美恵さんなどがそのステレオタイプであると言えよう.

 そして安室奈美恵さんの「引退」に対してボクのブログ師匠でありツイッターフレンドでもあるフミコ・フミオさん(以降はフミオさんと表記する)が率直な気持ちをツイートをしているのをボクは見つけた.フミオさんの感想はたいへんに正直なものだなあと思う一方で,ボクにも安室奈美恵さんの「引退」には生涯現役社会の文脈では安室奈美恵さんの「引退」を羨ましいと思う半面,羨ましくないと思うところもあるので,羨ましいメンと羨ましくないメンを正解なく書きとどめおこうと思う.

 まず安室奈美恵さんの「引退」を羨ましいと思うのは,ボクが一生働き続けなければならない可能性が高いからである.大事なことなのでたっぷりと書くけれど,ボクは死ぬまで生活にこまらないだけの潤沢マネーがスデにあるならば今スグに働くのをやめたいメンである.ボクは将来の生活,つまりはライフにマネーの不安があるから仕事つまりはワークをしているだけであり,ライフにマネーの不安がないならワークしないのである.ライフイズマネー.

 一方で安室奈美恵さんの「引退」を羨ましくないと思うメンもあるのである.人生が100年とするならば40歳で引退した安室奈美恵さんは残りの人生60年をこれまでやってきたこととは別のことをして生きていくことになるということである.なにもしないというオプションももちろんあるだろうけれど,ヒューメンなどというものは結構案外なにもしない,つまりはヒマなことにはあっという間に飽きてしまうものである.そして小人閑居して不善を為すというけれど,大抵のメンというものはヒマだとろくなことをしないものである.例えば50歳くらいのオッサンがヒマにまかせてメンをウチで打ち始めてしまったりすると脱サラして意識他界ラーメン店をはじめてしまうようなことが1つの例であると言えよう.というわけで安室奈美恵さんは「引退」したといは言っても人生を「引退」したわけではないのであろうから小人閑居して不善を為すといった愚行に陥らないためにも結局なにか仕事をするのだろうとボクは思っている.なので結局仕事をしているというのであれば,ボクは安室奈美恵さんのことを羨ましいとは思えないというわけなのである.

 つまりとどのつまりは結局どういったものがボクにとってのパーフェクツなライフかといえば,ライフの心配をする必要がないほどのマネーが潤沢にある前提において,ヒマを持て余すことなくナニカすることがある状態ではないかと思うのである.

 とりあえずヒマを持て余してメンを打ち始めるといった頭の悪いことことだけには手を染めず,それでいて誰にも迷惑をかけずにライフタイムを有意義に過ごすことのできる行為とはナニカをそこはかとなく考えてみた.するとどうやらひとつは読書であり,ひとつはこうしてタダの日記を書くことであるような気がしてきた.あとはマッソーを鍛えることだろう.マッソーは裏切らない.

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 というわけで読者諸賢にはボクがなにを言っているのかなんだかよくわからんかもしれないが,本稿を書いたことによって,ボクはおそらくすることのできない「引退」を仮にナニカの間違いでできてしまったときにボクがしたいことを3つリストアップすることができた.

 (1)読書(2)ブログという名のタダの日記を書く(3)マッソーを鍛える.

 以上の3つをするだけで生きていけるライフがあるならば,きっとボクはそれを極楽と呼ぶだろう.そんな極楽ライフがいつかやってくる可能性がゼロでないならば,もうちょっと汚仕事をガンバるぞいしてみようかなと思えてきた.

 それではまた会おう,さらばだ諸賢!

《本稿はお題「最近気になったニュース」今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」によせて書きました.》

参考:

 安室奈美恵さんの引退メッセージ(全文)を読んでみても安室奈美恵さんが今後なにをする予定なのかは不明だ.グーグル先生にクエスチョンしてみると御本人とは全く関係のないメンがテキトーな憶測メッセージをのべつ幕なし公開しているのだけれど,そういったテキトーなメッセージになんの需要があるのか,誰得なのかについてはボクの口からはなんとも言えないものである.とりあえずボクにはなんの需要もないものであることだけは確かではあるのだけれど.

*1:世界終末時計が過去最短に。ボクは世界が平和になるまで外でラーメンを食わない!

*2:ボクはザ・ラーメンのことをラーメーンと呼ぶことにした。