ごきげんよう,読者諸賢.ボクはらーめ人間Z.ラ王真贋の遣い手にしてラーメーン視点からでないとブログが書けないまともないヒューメンだ.
ラーメーンを愛し健康を愛し,そして何よりも平和を愛するボクは,ラーメーンと睡運瞑菜350g,そして核廃絶運動のアウフヘーベンの途中のエラーで世界週末時計の時計の針が過去最大にもどるまで,つまりは世界が令(うるわ)しく平和になったと断言できるまで,外でラーメンを食わない超ラーメンハンガーストライキ2と言うナンだかよくわからんラーメン断食を超えたラーメン断食をさらに超えたラーメン断食の人造人間,つまりはホムンクルスとして異世界転生していた.早くラーメーン食べたい.
外でラーメン食うに食えない誓約とはてなブックマークしたくてもすることができない制約をもって異世界転生したボクは丸2年を超えて現在進行形でラーメン断食続ける底抜けの阿呆,つまりはプロのラーメン断食家,二つ名は「戦えラーメンマン」である.
ソロ忘年会を受けて断つ.
読者諸賢は「ソロ忘年会」というものを御存知だろうか?
ボクはたいへんに正直者であるので正直に吐露するものであるのだけれど,ボクは今朝,ボクの大好きなツイッターのトレンドにその「ソロ忘年会」というなんだかよくわからない言葉がノミネートされることがなければ,きっと気にもとめなかったことだと思われる.つまりは今朝までボクは「ソロ忘年会」という言葉を知らなかったというわけだ.
「ソロ忘年会」と聞くとその言葉の響きから1人で孤独に忘年会を行うただの「家飲み」のようなものを想像するものであったのだけれど,ところがどっこいどうやら「ソロ忘年会」というものはそういったものではなく,飲食店で見ず知らずのスタッフと乾杯しゲームで盛り上がるり「お仕事おつかれさま」と労をねぎらってもらうというなんだか痛々しいサービスのことをいうものであるらしい.
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ところで一方で最近は会社の忘年会は時間とマネーの無駄であると参加しない「忘年会スルー」も流行っているようであるのだけれど,会社の忘年会をスルーして,それでも自分の労は「ソロ忘年会」サービスを利用することによって見ず知らずの赤の他人からマネーを払ってねぎらってもらいたいというなんだかよくわからない人物がいるのだとしたら,随分とメンタルがヘラヘラした人物もいたもんだなあとカワイソーにボクは感じたものである.
ちなみにボクはといえば筋金入りのタンタンとメンタルがしっかりしたちょっとしたマッチョであるものであるから,会社の忘年会とか忘年会でないとか関係なく飲み会という飲み会をスルーして参加しないこと幾星霜もの歲月を重ねているものであるし,1年の総括として年末に1年の自らの行いを省みることをすることはあっても,今年一年を「よくがんばったね」「よくやったね」「よくできたね」といったことをわざわざ見ず知らずの他人様からねぎらっていただく必要はないのである.
というかボク自身がこの1年何をしてきたかということを全く知りもしない赤の他人様から労ってもらうとむしろそこにボクならば空虚さを感じるものであり,むしろ心が折れそうである.そういった言葉をかけてもらうことによってよりより「ボクはがんばろう」「ボクはやってやろう」「ボクはできる」といった心を鼓舞することができるのは,それを見守っていてくれた人がいて,その見守っていてくれた人から今年一年を「よくがんばったね」「よくやったね」「よくできたね」といってもらってはじめて意味があるのである.
中身のない空虚な労いの言葉をマネーを払ってかけてもらうことによって「ボクはがんばろう」「ボクはやってやろう」「ボクはできる」と心を鼓舞することができる人がもしも存在するならば,ボクはそれを否定したりはしないものであるのだけれど,ボクはそんなことをしてもむしろ自分がみっともなくなってしまい心が折れてしまいそうであるからそういったことをすることは絶対にしないようにしたいと思うものである.
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最後に折角であるから「忘年会スルー」と「ソロ忘年会」それぞれに対してボクの思うところを書いておくと,ボクに言わせれば「忘年会」という存在そのものがナンセンスであるからどちらもナンセンスであるという話である.なによりその年のことを忘れる会と書いて「忘年会」という名前からしてろくでもないではないかと思うのである.今年1年を振り返ってよかったことと悪かったことそれぞれを糧にするからこそ新しくやってくる次の1年をよりよく過ごすことができるようになるものである.なので,気持ちの切り替えをするという意味ではよろしくなかった悪い出来事と決別することを決めるのはよいことだと思うわけなのだけれど,忘れてしまってはいけないのである.
というわけでこの世界から「忘年会」という時間とマネーの無駄が潰えるその日までボクは外でラーメンを食わない.
1年の仕事の労を労い合うのは苦楽を本当に共にした仲間がいたならば自然とねぎらい合うものである.その労いあうことをするためにわざわざ酒の席を用意する必要はミジンコのチンチンほどもない.少なくともボクはそう思うし,ボクが働く職場ではこの考え方を否定してくるようななんだかよくわからない人物が1人もいないことが幸いである.そういう意味ではウチの会社と会社の同僚のみんなにはマジ感謝といっても過言ではない.
それではまた会おう!さらばだ諸賢!!
参考.
《本稿はお題「最近気になったニュース」によせて書きました.》