#ほぼにちらーめん

プロのラーメン断食家であるボク,らーめ人間Zが可能な限り毎日タンタンとメンタルしっかり政治・経済・社会・技術の垣根なく知らなかったことを知るために書いているただの日記ブログ.よろしくね,ピース.ほぼ日刊イトイ新聞とは無関係.写真をはじめとした皆あまねく全てのコンテンツの無断転載はお断り!

ラーメン断食が捗ってしまうスパイラルにハマっています。

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 ボクはらーめ人間Z。らーめん視点からでないとブログが書けないまともない人間だ。先日(2017年4月14日)来、ラーメン断食が捗ってしまっている。依然として今日(5月12日)も解禁はできないでいる。食べたいと思うラーメンがゼロ。レスザンゼロ。永遠のゼロ、なわけではないのだ。食べたいと思うラーメンにはこの間、ボクは何度か出会っている。しかし、いざとなると最後の一歩が踏み出せない。結果としてして機会を逸してしまいラーメン断食が捗ってしまっている。

 ボクはこの今の状況をラーメンスランプとも呼んでいる。ボクはラーメンを食べたいと思っているはずなのに、気づくとラーメン食べたくなくなっているのだ。何を言っているのか分からないかもしれないが、ボクも何がどうなっているのやら分からない。何がどうなっているやら自分自身で分かっていないことを解決できるわけがない。だから、結果としてラーメン断食が捗ってしまうというわけだ。

 しかし、自分で自分自身のことを自己分析してみるとラーメン食べたいはずが食べたくなくなっているキッカケにパターンがあるように思えてきたのだ。ようはそのキッカケを回避すればボクは再びらーめんをキメることができるのではないかなと思っている。

 ラーメン食べたいがラーメン食べたくなくなってしまう原因を一言でまとめると「一種のSNS疲れ」なのかな、と思っている。ただそのSNS疲れにもパターンが二通りあるようで、ラーメン店の客の投稿する内容に「そのラーメン美味しそうですね」と思う以前に「こいつら、大丈夫か?」と思ってしまうパターンとラーメン店のお店側のSNSトラブルをみてしまって「トラブル大変ですね」と思う以前に「こいつら、大丈夫か?」と思ってしまうパターンがあるようだ。

 前者のラーメン店の客の投稿する内容に「こいつ、大丈夫か?」と思ってしまうパターンは次のような感じだ。

ボクは今までInstagramを使って食べたいと思ったラーメンの情報を調べていた。お店の名前が分かったらお店の名前をInstagramで検索。お店のジオタグがついているポストを観てお目当てのラーメンがどんな具合であるかを写真と文章を呼んで確認するといった具合だ。しかし最近、ボクがこれをするとボクが食べたいと思っていたお目当てのラーメンを食べたいという気持ちが萎えてしまうのだ。いや、気持ち悪くなってしまうと言っても過言ではない。写真自体はボクもきれいな写真だと思う。しかし文章を読むと食べたくなくなってしまう。そして大抵そういうポストは年間600-800杯ラーメン食べるのをアッピールしている飯自爆テロ人間たち(参照1)なのだ。どこのお店のページをみてもその人達の写真に突き当たる。その人達が行ったことがないお店はトーキョーにはないのではないかと絶望さえしてしまう。

 ちなみにボクはその人達のポストの何がボクを気持ち悪くさせるのかを突き詰めてみることにした。年間600-800杯ラーメン食べるのをアッピールしている人たちの文章を読んでいるといくつか特徴があるようだ。(1)不必要なまでに使われている絵文字。(2)頻出キーワードが「二日酔い」の四文字と「デブ」の二文字(「ハァハァ」「ヒィヒィ」「フゥフゥ」「ングング」「ゴックン」「ンマイ」といった言葉もよく見かける)。(3)お店の情報を営業時間、住所、電話番号等を網羅(なぜInstagramにこの情報を書き込もうと思うのかボクにはよく分からない)。といったところだ。(3)は見方によっては便利だ。しかし(3)(2)(1)を3連コンボでキメられるとボクは立ち直れなくなるのではないかというほどのダメージを受けてしまう。「ハァハァ」「ヒィヒィ」「フゥフゥ」「ングング」「ゴックン」「ンマイ」言っているほぼ毎日二日酔い人間(デブ)がラーメン店でラーメン食べている姿を想像してみてほしい。その同じ「ハァハァ」「ヒィヒィ」「フゥフゥ」「ングング」「ゴックン」「ンマイ」言っているほぼ毎日二日酔い人間(デブ)が絵文字だらけの写真を投稿している姿も想像してみてほしい。ボクはそれを想像してしまうのだ。想像してしまうと食べたかったラーメンが食べたくなくなってしまっている。これは一体何の修行なのだろうか。

Instagramで食べたいラーメンを確認する。すると食べたくなってしまう。しかし「ハァハァ」「ヒィヒィ」「フゥフゥ」「ングング」「ゴックン」「ンマイ」言っているほぼ毎日二日酔い人間(デブ)がそのお店に頻繁にきてないかInstagramで確認しておきたい(絶対に遭遇したくないから)。だからInstagramで食べたいラーメンを確認する。すると食べたくなってしまう。無限ループだ。

ボクのInstagramは非公開設定にしている。そしてほとんどROM専用で使っている(参照2)。その運用方法でボクはこの有様なのだ。ボクにはことラーメンの文脈においてInstagramのどこがおしゃれなのかさっぱり理解できない。

 後者のお店で起こったトラブルに関して言うと、直近でボクが知っているものにはミシュランガイド一つ星ラーメン店 Japanse Soba Noodles 蔦の詐欺サイトに関連するトラブルがある。そのトラブルに関してボクが思ったことについてはすでに書いた(参照3)。少なくともボクは自分が巻き込まれていようといまいとトラブルが起きたというラーメン店に行ってみたいという気持ちは起こらない。トラブル対応がツタないとなおさら行きたくなくなってしまう。

 とかくなぜかラーメン店でトラブルが起きるとお店の側がSNS上で大騒ぎをしはじめる(なぜまずは粛々と自分で対処しようとしないでWWWに同情を求めてくるのか不思議だ)。すると野次馬がやいのやいのしはじめる。ボクはその野次馬には参加しない(文脈次第で同情はもちろんする)。トラブルというのは当事者同士で解決するべき問題だからだ。なぜ横から見ず知らず事情も知らない関係のない人間が名探偵コナンの工藤新一さんの真似事を始めるのだろうか。トラブルの犯人を探すのは野次馬の仕事じゃない。ボクにはさっぱり理解できない。なんのために警察や弁護士がいるのだろうか。

 そういったわけでよほどお店の側に非がないことが明確で無い限り、ボクはトラブルが起きたラーメン店には行きたいと思えないのだ。頻繁にトラブルを起こしているのを見かけるラーメン店に至ってはトラブルを起こしているのを見る度にそのお店には行きたくなくなってしまう。ラーメン店は星の数ほどあるわけだが、実際に行きたい/行くことができるラーメン店となると数は限られてしまう。その限られているパイがどんどん小さくなっていってしまうというわけだ。

 「こいつ、大丈夫か?」と思ってしまう相手がいるかもしれないお店には行きたくないし、トラブルが起きるかもしれないお店にも行きたくない。どちらの状況も剣呑で心穏やかとは程遠いからだ。どうしたらこのラーメン断食が捗ってしまうこのスパイラルから抜け出せるのか。その解決策を見出すことが喫緊のボクの修行というわけなんだね(参照4)。きっつー。

余談のコーナー。

 ボクが本来したいことはとてもシンプルだ。ひとりで静かに心穏やかに食べたいと思うらーめんをキメたい。たったそれだけだ。しかし、それを実現するには敷居が高い。なぜ、こんなシンプルなことが簡単にできないのだろうか。ボクには理解できない。

(ところで「ハァハァ」「ヒィヒィ」「フゥフゥ」「ングング」「ゴックン」「ンマイ」とは一体何なのだろうか。ボクは飲食店で自分が「ハァハァ」「ヒィヒィ」「フゥフゥ」「ングング」「ゴックン」「ンマイ」している様を想像することができない。だから理解できない。無理やり想像してみようとすると卑猥なイメージしか湧いてこないのだ。そしてそれを想像してしまうとラーメンが食べたくなくなってしまう。アイキャッチはループ接続のイラスト。色々もうダメだ。。お題「ラーメン界の噂。」によせて書きました。)