#ほぼ日らーめん

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らーめ人間Z。がほぼ日刊でらーめんについて綴るただの日記。文体ときどきフミコフミオインスパイア。食べたラーメンの記録、訪問店の感想だけでなく、ラーメン関連のイベント、キャンペーンの情報などもシェアしていくよ。よろしくね。ピース。ほぼ日刊イトイ新聞とは関係ありません。写真をはじめとしたすべてのコンテンツの無断転載はお断り!

鯖の塩焼きを頼んだら頭の向きが反対で出てきてもしゃもしゃした。

 ボクはらーめ人間Z。らーめん視点から出ないとブログが書けないまともない人間だ。平和祈願のラーメンハンガーストライキへと昇華したラーメン断食は100日を達成できた。今日はラーメン断食101日目だ。ラーメン断食100日を達成できたらプロのラーメン断食家を襲名するという言葉どおり、ボクは昨日からプロのラーメン断食家だ。プロのラーメン断食家に恥じぬようラーメン以外のことも積極的に学んでいきたい者です。

 ボクは外でラーメンを食わないで101日を過ごすことができた。当然ながら、ボクも生きているので、何かを食わないと命を永らえることができない。日々、朝昼晩、それなりに栄養のバランスに気をつけながら食生活を営んでいる。オフィスワーカーのボクはどうしてもランチは会社の近くで外食をしなければならない。さすがに朝、弁当をつくる余裕はないのだ。会社近くにやってきている弁当業者さんから弁当を買ったり、コンビニ弁当買ったり、ファストフードをお持ち帰りしたりといった選択肢もあるが、自席でランチを食うのは音やにおいで周りに迷惑をかけるので避けるようにしている。

 そんなボクがよく利用するのがどことは言わないが業者がやっている大衆食堂のようなところだ(ラーメン不毛地帯ではあるのだが、どういう土地柄なのかは説明を割愛するが大衆食堂っぽいお店がチラホラあるのはありがたい)。正直パートのオバハンたちの就業態度がよいとは言えない大衆食堂なので、その点はあまり好きではないのだが、食材のレパートリーが豊富なのがありがたい。普段、ボクは魚料理を家であまりつくらないので、ボクがその大衆食堂でもっぱら食べるのは魚料理にするようにしている。

鯖の塩焼きを頼んだら頭の向きが反対で出てきてもしゃもしゃした。

 そういったわけで先日、ボクはその大衆食堂で鯖の塩焼きを食べることにした(魚料理は日替わりなのだ)。ちなみにボクは鯖が好きだ。鯖は素敵だ。鯖寿司から鯖の水煮の缶詰まで、鯖の料理ならボクはなんでも好きだ。しかし中でも鯖の塩焼きは愛していると言っても過言ではないかもしれない。

 しかし、その日、ボクはそのボクの大好きな鯖の塩焼きで「嘘だろ?」と思うことがあったのだ。鯖のお頭つきの開きのような切り身(なぜ開きのような切り身にお頭がついていたのかはよく分からない)の塩焼きだったのだが、頭の向きが右向きだったのだ。「嘘だろ?!」。ボクは驚いてしまった。

参考:google:魚 頭の向き

 ちなみに上記のように「魚 頭の向き」でGoogle検索すると日本の場合、左上位という考え方から焼き魚の頭の向きは左にするというのが一般的だ。ボクは滅多に家で焼き魚をしないのだが、ボクは家では常に魚の頭の向きは左向きにしてきた。

参考:google:魚 切り身 向き

 なぜ、今回、鯖の塩焼きの頭の向きが右で出てきたのだろうか。ボクは開きのような切り身であったことが気になってしまった。たしかに魚の切り身は皮のある方を上にするということがある。たしかに今回のお頭がついていた鯖の切り身風の塩焼きは皮が上になるようになってはいた。しかし頭の向きは左にすることもできた。というかなぜ切り身にお頭を残すのかよく分からない。鯖のお頭がついていなければ別段なにもボクはもしゃもしゃしないで済むというのに。。

開きのような切り身にお頭がついてる焼き魚の頭の向きは右が正しいのだろうか。

 一応、ボクが知っていることを書いておくと「焼き魚の頭は左」「川魚の場合は頭左で背を手前」「切り身は皮を上。背を左側に、腹を右側」「開きは身が表」「切り身は皮が表」。今回ボクが食べた鯖は身を半分に開き風に切り、半身を切った形で出てきていた。しかもお頭つき。お頭を取ってしまえば「切り身は皮が表」で何のもしゃもしゃもなかったのだが、もはや何が正しいのかよく分からない。

 とりあえずボクは出されたままにそのままその鯖の塩焼きを食べたわけなのだが、食べてる最中も、食べ終わった数日が経過した今ももしゃもしゃし続けている。きっとお頭をとってしまってくれていたらこのもしゃもしゃはなかったのだろう。まだ当面ボクはもしゃもしゃしそうだ。

(アイキャッチはサバのイラスト。いらすとやさんの魚のイラストはカレイだけを除いて頭が左だ。魚の頭は左という一般論に倣っているのだろう。カレイは料理を出すときは川魚のように背を手前にするという意味では海の中にいるイメージなのだろう。いらすとやさんが実際のところどう考えているのかはよく分からない。