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らーめ人間Z。がほぼ日刊でらーめんについて綴るただの日記。文体ときどきフミコフミオインスパイア。食べたラーメンの記録、訪問店の感想だけでなく、ラーメン関連のイベント、キャンペーンの情報などもシェアしていくよ。よろしくね。ピース。ほぼ日刊イトイ新聞とは関係ありません。写真をはじめとしたすべてのコンテンツの無断転載はお断り!

意識高いラーメンとは皆すべからくアートでありボクはその価値を理解することがデキない。

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 ごきげんよう、読者諸賢。ボクはらーめ人間Z。毎週水曜日はボクがはてなブログ編集部が出題するお題に答えてはてなブログを楽しむことにしている日だ。

 今週のお題「芸術の秋」。”涼しく過ごしやすい秋は、落ち着いて芸術を楽しむのにぴったりの季節。展覧会の感想や、自作の絵や写真、最近見た映画のレビューなど、芸術にまつわる投稿をお寄せください。”とのことである。

意識高いラーメンとは皆すべからくアートでありボクはその価値を理解することがデキない。

 改めまして、自己紹介。ボクはらーめ人間Z。らーめん視点からでないとブログが書けないまともない人間だ。

 ラーメンを愛し健康を愛し、そして何よりも平和を愛するボクは、ラーメンと睡運瞑菜350g、そして核廃絶運動のアウフヘーベンの途中のエラーでキタチョーのロケットマンがロケットもどきを撃つのをやめるまで外でラーメンを食わないラーメンハンガーストライキと言うなんだかよくわからんラーメン断食の人造人間、つまりはホムンクルスとして異世界転生していた。早くまとも人間になりたい。

 ラーメン食うに食えない誓約と制約をもって異世界転生したボクは200日超えて現在進行形でラーメン断食続ける底抜けの阿呆、つまりはプロのラーメン断食家である。

 閑話休題。ラーメンに興味ないフツーの人びとがご存知のはずはないのだが、ラーメン俗世には意識高いラーメンと称されているナンだかよくわからんムニャムニャが存在している。

 それは時に麺しかないムニャムニャであり、時に麺のないムニャムニャであり、時に麺が豆腐であるムニャムニャであり、時に麺が肉であるムニャムニャあり、時にビーガンしか食えないムニャムニャであり、時に健康によいと言われているムニャムニャであり、時にフンベツのあるオトナのボクの口からはとても言えないような形状をしている陶器の器に盛られているなんだかよくわからんムニャムニャである。その他にも多くのナンだかよくわからんムニャムニャがラーメン俗世には存在しているがあまりにもその種類は多岐に渡っており、ボクはそれらを今ここにモレなくダブりなく網羅することがデキない。いずれのナンだかよくわからんムニャムニャもダレがそんな阿呆なことをやりはじめたのかボクは知らないが、責任者がいるなら問いタダしたい。責任者はドコか?

 もう一度繰り返すが、そういったナンだかよくわからんムニャムニャのことは世間一般的には意識高いラーメンと呼ばれている。しかし、ボクは世間一般的に意識高いラーメンとよばれているナンだかよくわからんムニャムニャのことを意識他界ラーメンと呼ぶことにしている。ナゼならどの意識他界ラーメンも意識があっちの世界へイッてしまっていなければ創ることができないようなよくわからんムニャムニャだからである。

 そして、先日ボクはラーメンはデザインであり、アートではないということを別途書いた。デザインには答えがあり、アートには答えがない、アートはそのアートを体験するものへの問いかけであるからである。そしてその定義に倣うと意識他界ラーメンとはアートであるということである(関連記事:参照*1

アートを創ることのできる人びとは皆すべからく天才である。ボクにはアートは理解することがデキない。

 アートを創ることのできる人びとはボクからすれば皆すべからく天才である。だから凡人であるボクにはアートは理解することがデキない。

 そしてアートというものの価値はボクには分からない。ボクは凡人だからだ。だから意識他界ラーメンというアートに関しても当然のことながらボクにはその価値を理解することがデキない。

 価値を理解することがデキないということは値段がつけられないということである。だからボクは価値を理解することがデキない意識他界ラーメンを食うことがデキない。

 一方で世の中にはラーメンワンコイン論者というなんだかよくわからんオモチロオカチイ人びとがいる。どういう理屈かよくわからんがそういったオモチロオカチイ人びとはラーメンの価値は一律ワンコインであるとキマっているのである。そういう審美眼をそなえたラーメンワンコイン論者というなんだかよくわからんオモチロオカチイ人びとも天才なのだろう。だからボクはラーメンワンコイン論者の主張するラーメンワンコイン論も意識他界ラーメン同様にその価値を理解することがデキない。

 アートとはムズカチイものだ。やはりボクのような凡人にはアートを理解することは無理ゲーなのだ。

 それではまた会おう。さらばだ、諸賢!

 余談であるがボクの文章師匠であるフミコ・フミオさんは自他ともに認める日本のピカソである。左がブタで右がクマであるらしい。ボクは理解を試みてはみたのだが、残念ながらボクには理解することがデキなかった。つまり大変イカンながらボクはやはりタダの凡人に過ぎなかったというわけである。

(アイキャッチは「芸術の秋」のイラスト文字。)

*1:ラーメンはアートではない。ラーメンはデザインである。