#ほぼにちらーめん

プロのラーメン断食家であるボク,らーめ人間Zが可能な限り毎日タンタンとメンタルしっかり政治・経済・社会・技術の垣根なく知らなかったことを知るために書いているただの日記ブログ.よろしくね,ピース.ほぼ日刊イトイ新聞とは無関係.写真をはじめとした皆あまねく全てのコンテンツの無断転載はお断り!

炎上回避術として「嫌い」の代わりに「興味ない」というのは結構むつかしい。

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 ごきげんよう、読者諸賢。ボクはらーめ人間Z。ラ王真贋の使い手にしてラーメーン視点からでないとブログが書けないまともない人間だ。
 
 ラーメーンを愛し健康を愛し、そして何よりも平和を愛するボクは、ラーメーンと睡運瞑菜350g、そして核廃絶運動のアウフヘーベンの途中のエラーで世界週末時計の時計の針が過去最大にもどるまで、つまりは世界が平和になったと断言できるまで、外でラーメンを食わない超ラーメンハンガーストライキ2と言うナンだかよくわからんラーメン断食を超えたラーメン断食をさらに超えたラーメン断食の人造人間、つまりはホムンクルスとして異世界転生していた。早くラーメーン食べたい(関連記事:参照*1参照*2
 
 外でラーメン食うに食えない誓約と制約をもって異世界転生したボクは丸1年を超えて現在進行形でラーメン断食続ける底抜けの阿呆、つまりはプロのラーメン断食家、二つ名は「戦えラーメンマン」である。

炎上回避術として「嫌い」の代わりに「興味ない」というのは結構むつかしい。

 読者諸賢が信じるか信じないかはさておき、ボクはタイヘンな正直者である。なので好きなものは好きだといい、嫌いなものははっきり嫌いだというのである。

 しかしどうやらあまりモノゴトの好き嫌いのようなものをインターネッツにおいて直截な物言いでコウカイしてしまうと時に炎上してしまうようである。

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 先日、ボクの文章師匠つまりはセンテンススプリングマスター、フミコ・フミオさん(以降フミオさんと表記)からの下記に付すような啓示をボクはツイッターで目にとめた。

 端的かつ直截な物言いでモノゴトの好き嫌い、とくに「嫌い」であるということをインターネッツで表明、つまりはコウカイしてしまうと炎上の危険があるので「嫌い」の代わりに「興味ない」というとよいと思うよ、とのことである。

 このツイートを拝見して、ボクはこの炎上回避策の「言うは易く行うは難し」さに身悶えした。というのも「嫌い」よりも「興味ない」方がより強いからである。

 「興味ない」が「嫌い」より強いとはどういうことかといえば、「嫌い」ならばまだ対象に対して関心をもっていることを示すわけなので、妙な話ではあるのだが関心がある分、なにかのファクターが働くと「嫌い」が「好き」に転じるワンダーが起きる可能性がゼロではないのである。一方の「興味ない」は対象に対する関心がゼロであることを表す。関心ゼロは関心がないのでゼロはゼロ、レスザンゼロ、永遠のゼロ、そしてストロングゼロなのである。ゼロは最強であり最強ゼロに勝てる「嫌い」も「好き」もないのである。おわかりいただけただろうか?

 話が脱線してしまったので本筋に戻そうと思う。炎上回避策としてボクが「嫌い」なものを「嫌い」というのではなく「興味ない」というのはタイヘンにむつかちいという話である。

 例えばボクは意識他界ラーメンが「嫌い」である。意識他界ラーメンなど地獄の業火に焼かれて火葬通過しかるのち灰燼に帰せばよいと思っていると言っても過言ではない。意識他界ラーメンを見かけるとついついいつも三途の川のこちら側からなむなむ早く成仏されよと念仏を唱える条件反射を起こしてしまうことに関して言えば言い訳のしようもなく自分でも阿呆やなと思ってしまうことを否定なさることができない。

 しかしそんな意識他界ラーメンが「嫌い」なボクは正直者であるので、ボクは意識他界ラーメンのことを「興味ない」わけではないということを正直にコウカイしておきたいと思う。ボクはタイヘンにザンネンなことに意識他界ラーメンに関心はおありになるのである。

 冒頭のフミオさんのツイートには実は続きがあり、ボクは正直にフミオさんに「先生、「嫌い」ではなく「興味ない」はむつかしいです。」とクソリプをさせていただいたのであるが、それに対してフミオさんは優しくアドバイスをくださったのだ。「無になるのです...。」と。

 「無になるのです...。」これまたタイヘンにむつかしい難題である。

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 しかしよくよく考えてみたならば「無」になるための修行をボクは実はスデにしていたことに気がついた。そう、ラーメン断食である。

 ラーメン断食とはボクが大事にしているメンがヘラヘラしないためにやることにしていることの箇条書きのやることリスト、ほぼにちらーめんプロトコルの一番最初に書かれている毎日やることにしていることである。そう「メンがヘラヘラを受けて断つ」というラーメン断食のゴールとはつまり「無」になることだったということだったのだ。

 ラーメン断食、メンがヘラヘラを受けて断ち続けた先に待つのは、メンがヘラヘラに対する無関心、メンがヘラヘラ関心ゼロ、つまりは「無」の境地であったということなのだ。

 そういうわけでタイヘンにけわちい道のりになることはもはや約束された未来なのは自ずから明らか、つまりは自明であるわけだが、これからもよりストイックにボクはラーメン断食にコミットし、メンがヘラヘラを受けて断ってイキたいと思う。

 それではまた会おう。さらばだ、諸賢!

《アイキャッチは「無」のイラスト。「無」でいらすとやさんを検索してみたらこれ以上ないイラストを見つけることができた。いらすとやさんはあらためてすごいと思った。/実はボクのことを相変わらずラーメン断食家ではなくラヲタキモメンであると勘違いしているおもちろい人が絶えないのもボクのラーメン断食修行と布教が足りていないからであろう。よりボクのラーメン断食修行によってボクが無の境地に近づけば、ラーメン断食の認知度向上、布教しかるのちボクをラヲタキモメンと誤認するおもちろいヒトも「無」へと帰すであろう。/本稿はお題「最近気になったニュース」によせて書きました。》

*1:世界終末時計が過去最短に。ボクは世界が平和になるまで外でラーメンを食わない!

*2:ボクはザ・ラーメンのことをラーメーンと呼ぶことにした。