#ほぼにちらーめん

プロのラーメン断食家であるボク,らーめ人間Zが可能な限り毎日タンタンとメンタルしっかり政治・経済・社会・技術の垣根なく知らなかったことを知るために書いているただの日記ブログ.よろしくね,ピース.ほぼ日刊イトイ新聞とは無関係.写真をはじめとした皆あまねく全てのコンテンツの無断転載はお断り!

AI手塚治虫を受けて断つ。

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 ごきげんよう,読者諸賢.ボクはらーめ人間Z.ラ王真贋の遣い手にしてラーメーン視点からでないとブログが書けないまともないヒューメンだ.
 
 ラーメーンを愛し健康を愛し,そして何よりも平和を愛するボクは,ラーメーンと睡運瞑菜350g,そして核廃絶運動のアウフヘーベンの途中のエラーで世界週末時計の時計の針が過去最大にもどるまで,つまりは世界が令(うるわ)しく平和になったと断言できるまで,外でラーメンを食わない超ラーメンハンガーストライキ2と言うナンだかよくわからんラーメン断食を超えたラーメン断食をさらに超えたラーメン断食の人造人間,つまりはホムンクルスとして異世界転生していた.早くラーメーン食べたい.
 
 外でラーメン食うに食えない誓約とはてなブックマークしたくてもすることができない制約をもって異世界転生したボクは丸2年を超えて現在進行形でラーメン断食続ける底抜けの阿呆,つまりはプロのラーメン断食家,二つ名は「戦えラーメンマン」である.

AI手塚治虫を受けて断つ.

 今日は2020年2月9日の日曜日の漫画の日である.ちなみになぜ2月9日が漫画の日なのかというと,漫画の神と称された偉大なる漫画家,手塚治虫先生がお亡くなりになったのが2月9日だからというのが由来なのだそうである.ボクならば手塚治虫先生のお亡くなりになった日ではなく,手塚治虫先生がお生まれになった日を同記念日にするところなのだけれど,2月9日を漫画の日と制定しようと思った人びとがなにを思って手塚治虫先生のお生まれになった日ではなく,お亡くなりになった日を記念日にしようと考えたのかはよくわからないものである.手塚治虫先生の命日を広く一般に記憶してもらいたかったということなのであろうか?

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 閑話休題.

 そんな偉大なる手塚治虫先生がお亡くなりになったのは1989年の2月9日だったそうであるので,今年(2020年)で31年目になるのだそうだけれど,この節目の悪い31年目の命日を記念したつもりなのかどうかはよくわからないのだけれど,手塚治虫先生の「新作」が読めると話題になっている.ボクが有料サブスクライブしている日本経済新聞の記事へのリンクを下記に付しておこう.

 そして記事によると次のように書かれている.

半導体大手のキオクシア(旧東芝メモリ)は7日、人工知能(AI)を使って制作した故・手塚治虫氏の"新作"マンガが、講談社が27日発売するコミック誌「モーニング」に掲載されると発表した。手塚作品を学習したAIがつくる筋書きやキャラクターを基に、クリエイターが作品を仕上げる。キオクシアのAI技術者や手塚プロダクションが共同制作する。

 重要なのは太字にしたところかなとボクは思ったわけなのだけれど,手塚治虫先生の過去の作品を学習した手塚治虫先生っぽいなにかが筋書きやキャラクターを「創造」し,それにならって誰だかわからないクリエイターが作品を仕上げるのだそうである.

 ちなみにボクの知っているA Iは言葉の意味を理解して「思考」することができるわけではないものであるから「創造」をすることは難しいという理解なのだけれど,また手塚治虫先生っぽい挙動をすることはできたとしても手塚治虫先生御本人にはなり変わりえないという理解でいるのだけれど,なにをもって今回の試みのことを関係各位が手塚治虫先生の「新作」と主張しているのかについてはかなり謎である.

 なにより昨年末のNHK紅白歌合戦の際にA I美空ひばりという故美空ひばりさんっぽいボーカロイドを美空ひばりさんが復活する体で披露することによって,それが美空ひばりさんっぽいなにかであるだけで美空ひばりさん御本人ではないことがよくよく理解できている人びとから大きな批難を浴びたばかりだというのに,なぜあえて狙いすまして手塚治虫先生の「新作」であるという触れ込みで作品を世に出そうと考えてしまったのかについてはやはりボクにはよく理解ができないものである.

 少なからずボクが考えるところにおいては人間にかぎらない生命というものには終わりというものがあるから尊いのであって,どんなにその生命が失われた人間の過去の行いを機械が学習しそれっぽい動作を再現したとしても,それはお亡くなりになった方御本人にはなり得ないのである.もしも故人を偲びたいというのであれば,故人の遺作を読み返すなり聴き返すなりするといったことをすることが故人の尊厳を尊重することになるのではないかとボクは考えるものである.

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 最後に余談ではあるのだけれど,テクノロジーがどの程度発展し故人っぽいなにかの再現度がどの程度精度高くできるようになったかということを実験すること自体をボクは咎めようというわけではない.なのでA I美空ひばり先生のケースでもA I手塚治虫先生のケースでも御本人の「新作」という体で世の中に出さなければなにも思うところはないのである.もう一度たっぷりと書いておくのだけれど,人間にかぎらない生命には終わりがあるから尊いのである.当人とは異なる利権のために故人のような挙動をするなにかを利用することは潔く差し控えることのできる倫理観を養いたい.

 ちなみにクールでビューティホーな日本政府が掲げている2050年までのムーンショット目標の中には「電脳化」っぽいものが入っているのだけれど,それも実現可能か可能でないかということを脇においておいて,仮に実現できたとした際に,クローン技術と併用することによって故人を蘇らせるといったことをするかと問われたならば「しない」ということを選択することができるのがボクは正しい倫理観であると考えているものである.テクノロジーがどんなに発達したとしてもあえて狙いすましてやっていいこととやってはならない不可侵な領域とを冷静に判断できるようでなければならない.

 さて,これで3回目になるけれど何度でも大事なことはたっぷりと書いておくものだから書いておくのだけれど人間に限らない生命には終わりがあるから尊いのである.手塚治虫先生の名作であるブラックジャックの登場人物である本間丈太郎先生も「人間が生きものの生き死にを自由にしようなんておこがましいとは思わんかね」といっている.医師免許も取得されていた手塚治虫先生がもし本当に今御存命で御自身の「新作」が御自身ではないそれっぽいなにかによって生み出されようとしていることを知ったならば一体どういう反応をなされるだろうか.まさにそれこそ神のみぞ知ることであると言えよう.

 というわけで生命の尊さを理解できたなどと言えるおこがましい人物は現れないと思うけれど,ボクはボクを含めた人類が生命の尊さの意味を正しく理解できるようになったといえるその日まで外でラーメンを食わない!

ーー以上である.それではまた会おう,さらばだ諸賢!

参考.

《本稿はお題「最近気になったニュース」によせて書きました.》