ごきげんよう,読者諸賢.ボクはらーめ人間Z.ラ王真贋の遣い手にしてラーメーン視点からでないとブログが書けないまともないヒューメンだ.ラーメーンを愛し健康を愛し,そして何よりも平和を愛するボクは,ラーメーンと睡運瞑菜350g,そして核廃絶運動のアウフヘーベンの途中のエラーで世界週末時計の時計の針が過去最大にもどるまで,つまりは世界が令(うるわ)しく平和になったと断言できるまで,外でラーメンを食わない超ラーメンハンガーストライキ2と言うナンだかよくわからんラーメン断食を超えたラーメン断食をさらに超えたラーメン断食の人造人間,つまりはホムンクルスとして異世界転生していた.早くラーメーン食べたい.外でラーメン食うに食えない誓約とはてなブックマークしたくてもすることができない制約をもって異世界転生したボクは丸5年を超えて現在進行形でラーメン断食続ける底抜けの阿呆,つまりはプロのラーメン断食家,二つ名は「戦えラーメンマン」である.
(拉麺断食之弐阡陸陌参)子どもの声も基準値を超えれば騒音である(2023年5月2日).
「子どもの声は騒音ではない」。政府は法律で定めることも視野に検討に入りました。騒音の苦情で廃止された公園もある中、社会の意識は変わるのでしょうか。 出典:https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/459003
「子どもの声は騒音ではない」と法律で定めることも視野に政府が検討しているという話題が先日物議を醸していた.そもそも騒音か騒音でないかは基準があり,法律上も環境基本法(平成5年法律第91号)第16条第1項の規定に基づく騒音に係る環境基準というものが存在するのでボクはそれで十分だと思っている.あとはその基準に基づいて騒音か騒音でないかを判断し粛々と対応すればよいものだと思うものである.なので何食ってるとそういった基準や法整備もなされている騒音問題に対して「子どもの声」であるかないかというなんだかよくわからない要素を足そうという面白い発想が生まれるのか理解できない.子どもの声は確かにうるさいものだけれどそれが周りの迷惑にならないようにするための一定の努力をすることによって騒音と見なされる基準未満の音量となるようにすることこそが政治や行政のするべきことなのであって一律「子どもの声」だからという理由で騒音ではないと見なしたならば,子どもが織りなす騒音で悩まされる地域住民は阿鼻叫喚の地獄へと叩き落とされることとなり,要らぬ怨嗟の禍根を積み重ねることとなり果ては重大な事件へと発展することがないとも言えないこととなろう.政治や行政がとる道を誤らなけれ未然に回避することが出来るであろう無駄な怨嗟や怨念の連鎖の結果としての重大事件があるならばなぜそれをやらない理由があろうか.いやない.というわけでボクは「子どもの声は騒音ではない」などというなんだかよくわからないことを法律で定めることも検討してしまうようなことをするよりも子ども声だろうがそうであるまいが騒音の基準を満たしたならばそれを速やかに除去するべく機動的に対処の出来る法整備こそ求めるものである.その騒音が子どもの声の織りなすものであるならばどんなに子どもの声が騒音の基準値を超えようとも近隣の住民に迷惑がかからないようにするための防音設備を速やかに設置するべきであるし,それをするための資金を助成することに一切の躊躇が伴わないようにすればよいのである.それでも尚,どーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっやても子どもの声が騒音となってしまうならばその施設の閉鎖も止むなしであろう.大切なのは子どもも子どもでないものも皆あまねく快適に過ごすことの出来る社会の実現であり誰か特定の個人や集団のみが利益を得るような社会にしないことなのである.目指すべきはベストミックス!以上である.それではまた会おう,さらばだ諸賢!!