#ほぼにちらーめん

プロのラーメン断食家であるボク,らーめ人間Zが可能な限り毎日タンタンとメンタルしっかり政治・経済・社会・技術の垣根なく知らなかったことを知るために書いているただの日記ブログ.よろしくね,ピース.ほぼ日刊イトイ新聞とは無関係.写真をはじめとした皆あまねく全てのコンテンツの無断転載はお断り!

令和初の春分の日(2020年)を受けて断つ。

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 ごきげんよう,読者諸賢.ボクはらーめ人間Z.ラ王真贋の遣い手にしてラーメーン視点からでないとブログが書けないまともないヒューメンだ.
 
 ラーメーンを愛し健康を愛し,そして何よりも平和を愛するボクは,ラーメーンと睡運瞑菜350g,そして核廃絶運動のアウフヘーベンの途中のエラーで世界週末時計の時計の針が過去最大にもどるまで,つまりは世界が令(うるわ)しく平和になったと断言できるまで,外でラーメンを食わない超ラーメンハンガーストライキ2と言うナンだかよくわからんラーメン断食を超えたラーメン断食をさらに超えたラーメン断食の人造人間,つまりはホムンクルスとして異世界転生していた.早くラーメーン食べたい.
 
 外でラーメン食うに食えない誓約とはてなブックマークしたくてもすることができない制約をもって異世界転生したボクは丸2年を超えて現在進行形でラーメン断食続ける底抜けの阿呆,つまりはプロのラーメン断食家,二つ名は「戦えラーメンマン」である.

令和初の春分の日(2020年)を受けて断つ.

 今日は2020年3月20日の金曜日の令和初の春分の日の国民の祝日であり,続く土曜日と日曜日の3連休の初日である.

 国民の祝日に関する法律によれば春分の日とは「自然をたたえ、生物をいつくしむ」日なのだそうだけれど,今,この世界は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックにより不要不急の外出や集まりを避ける日々が続いているものであるから,ボクは外出をすることによって「自然をたたえ、生物をいつくしむ」ことを潔く諦めウチなるインナーワールドに引きこもることによって筋トレをしたり本を読んだりHulu等の動画サービスでコンテンツを消化したりして過ごすことにしたものである.

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 3月14日に開花したサクラがもはや場所によっては満開ないし葉桜になりかけていたりするようであるので,サクラの開花という自然をたたえ,なにかそのあたりに棲息している生物をたたえたい気持ちをグッと堪え,立派な大人のジェントルメンというものは分別というものがあり不要不急の外出や集まりを避けてほしいという政治の要請を受けたならば,専門家会議が「爆発的患者急増」(オーバーシュート)が生じる可能性について「人が密集し、人の出入りが多い大都市圏の方が高い」と警鐘を鳴らしていることも考慮に入れて,潔くその要請に従うものなのである.つまりボクは立派な大人のジェントルメンであるというわけだ.

 閑話休題.

 ところで春分の日とは「昼と夜の長さが等しくなる日」でもあるそうである.実際には若干昼の方が長いそうなのだけれど,であるからしてその年ごとに春分の日は必ずしも同じ日付ではなく3月20日だったり3月21日だったりしているようである.ちなみにヤフー天気アプリでは日の出と日の入りが確認できるものであるから確認してみたところ日の出が5時45分,日の入りが17時53分だったようなので確かに昼の時間の方が若干長かったようである.それにしてもつい先日まで16時半くらいには暗くなっていたものが18時近くまで日があるようになってきたものであるから,いよいよそろそろ気温の高まりも考慮にいれて衣替えの準備もしていかねばなるまい.昨年の5月にはもはや夏日になっていたものであったのだけれど,どうやら今年(2020年)も5月から大変に暑くなるらしい.COVID-19のパンデミックが収束するとかしないとか関係なくこの日本の夏は命の危険のある猛暑という災害であるものであるから,熱中症警報を受信したならば潔く外で激しい運動をすることを控え,不要不急の外出を控え,水分を補給しウチなるインナーワールドで大人しく筋トレしたり本を読んだり動画を観たりして過ごしていたいものである.

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 ちなみに春分の日は3月20日だったり3月21日だったりするということなのだけれど,3月20日だった場合には1995年3月20日に起きた地下鉄サリン事件の日にもなるようだ.

 そんなわけで上記の記事を読んだりもしたのだけれど,ボクが思ったことは社会に出たならばそこには何一つとして絶対唯一の正解というものはないものであるから「何を聞いてもたちどころに答えを出してくれる」ような人びとがいたならば違和感を感じるようでなければならないということである.どんなに素晴らしいカリスマがいたとしてもそのカリスマの出す答えを盲信することなく自分の頭で考えてなにが正しくなにが間違っているかということを考えられるようでなければならないなとボクは思ったものである.そして違和感を感じたならば自分と他人の命を守る行動を迷わずとることのできるようでありたいものである.ようは「逃げる」ということである.生きるためには正面から戦うだけが芸ではないものである.生きるためには危険からはどんどん逃げよう.感染症からも命の危険のある猛暑からもカルト教団からも,自らの命を守るためならば恥も外聞もかなぐり捨ててボクは潔く逃げよう.

 というわけで3月20日に「自然をたたえ、生物をいつくしむ」ことが心の底から皆があまねくできるようになるその日までボクは外でラーメンを食わない!

 それではまた会おう,さらばだ諸賢!!

《本稿はお題「最近気になったニュース」によせて書きました.》