ごきげんよう,読者諸賢.ボクはらーめ人間Z.ラ王真贋の遣い手にしてラーメーン視点からでないとブログが書けないまともないヒューメンだ.
ラーメーンを愛し健康を愛し,そして何よりも平和を愛するボクは,ラーメーンと睡運瞑菜350g,そして核廃絶運動のアウフヘーベンの途中のエラーで世界週末時計の時計の針が過去最大にもどるまで,つまりは世界が平和になったと断言できるまで,外でラーメンを食わない超ラーメンハンガーストライキ2と言うナンだかよくわからんラーメン断食を超えたラーメン断食をさらに超えたラーメン断食の人造人間,つまりはホムンクルスとして異世界転生していた.早くラーメーン食べたい.
外でラーメン食うに食えない誓約とはてなブックマークしたくてもすることができない制約をもって異世界転生したボクは丸1年を超えて現在進行形でラーメン断食続ける底抜けの阿呆,つまりはプロのラーメン断食家,二つ名は「戦えラーメンマン」である.
マッチョバイアスのかかったはてななフミコ・フミオ先生は滅びればいい.
先日「今、少女漫画雑誌を読む人は減っています。読むと夢と希望が奪われる漫画にあえてお金を出して買う人はいないでしょう。」と副題のついた上述の記事が話題になっていた.
はてななブックマークでは全文ちゃんと読んだのだろうか?と素朴にクエスチョンに思うほどこの記事に対する批難のコメントほど評価が高かったのだけれど,ボクはこの記事を好感をもって読んだものである*1.
特に副題となっている部分に言及している箇所は考え方として「ナルヘソナー」と思ったので下記に引用して紹介しておきたい.
――35年間少女漫画に携わってきて、楠本さんは今後、少女漫画にどんな風になってほしいと思いますか?
今、少女漫画雑誌を読む人は減っていますよね。それは、そもそもの雑誌離れや、他に面白いことがいっぱいあったり、いろいろ理由があるとは思うんですけど、やっぱり、「女の子は自分を磨いて、結婚して、幸せになるんだ」ってもう100年前みたいな話には、夢も希望も感じられないからじゃないでしょうか。遅まきですけど、社会はようやく変わってきています。普通に考えても、読むと夢と希望が奪われる漫画にあえてお金を出して買う人はいないでしょう。それは少女漫画の自殺だな、って思います。
少女漫画が、ただ不作為にジェンダーバイアスを容認するのをやめて、それを覆すような、肯定感や勇気を与える場となれば、自ずと少女漫画を読む人もまた増えるんじゃないかと私は思うんですけど。私の希望的観測かもしれません。
それでも私は、私に出来ることからやりたい。この世には滅びればいいことはたくさんあるけれど、まずは一番身近なところにあるジェンダーバイアスあたりから、なくしていければな、と思っています。
引用元: 「ジェンダーバイアスのかかった漫画は滅びればいい」。漫画家・楠本まきはなぜ登場人物にこう語らせたのか | ハフポスト(太字筆者).
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閑話休題.
たしかに楠本まきさんのおっしゃるとおり「この世には滅びればいいことはたくさんあるけれど、まずは一番身近なところにある」これはヒドいというナニカをなくしていければよいという考え方,ボクはとてもよいと思ったものである.
少なくともボクはこの考え方は柔軟なものの考え方の上に成り立っているものだと思ったから共感したものである.
ちなみにボクは毎日タンタンとメンタルしっかりマッソーを追い込んでいるちょっとしたラーメンマンというよりもキン肉マン,つまりはちょっとしたマッチョなのだけれど,このイカれた世界にはマッチョに対する偏見に溢れていると思うことがしばしばあるものである.
そんなボクにとってこの世には滅びればいいことはたくさんあるけれど,まずは一番身近なところにあるものでなくしたいなと思っているものはマッチョに対する偏見,つまりはマッチョバイアスである.
このイカれたクールでビューティホーハーモニーなポイズンワールドではジェンダーバイアスは当然ヒドいわけなのだけれど,マッチョバイアスも大概にヒドいものである.このイカれたクールでビューティホーハーモニーなポイズンワールドではマッチョが虐げられているといっても過言ではない.
本稿では以降より特にここ最近になってボクがはてななブログの世界で文章師匠としてリスペクトしていたフミコ・フミオ先生(以降はフミオ先生と表記)が投稿していた読むと夢と希望が奪われるマッチョバイアスの甚だしいツイートやブログエントリがヒドかったので,それらを紹介することによって「読むと夢と希望が奪われるマッチョバイアスのかかったフミコ・フミオ先生は滅びればいい」と思っていることについて書いていこうと思う.
(1)マッチョなスタンスという意味不明.
そもそもごくたまに「マッチョ」という言葉に言及されていたフミオ先生*2だったのだけれど,最近になって「マッチョ」を多用するようになった.
なにかがきっかけでフミオ先生のマッチョにお気に入りのスイッチがはいってしまったのかもしれない,死亡フラグが立ってしまったのかもしれない.だかしかし,その真相たるや定かではない.
マッチョなスタンスってイヤがられガチだけど、何かをしようとするときは一時的にマッチョなスタンスが必要だと僕は考える。「ギアを入れる」って感じで。
— フミコ・フミオ (@Delete_All) 2019年4月3日
そしてここ最近で最初のマッチョ発言は上記のものだったのだけれど,ボクにはここでいうフミオ先生の意味するところのマッチョの意味がよくわからなかったのである.
「マッチョなスタンス?」
「ギアを入れる?」
...なにをおっしゃっているのかさっぱり分からない.
そもそもフミオ先生は自称腰痛持ちで時に歩くことすらままならなくなるほどの運動不足なメンであり,毎日大好きな野球観戦のあとに酔いつぶれる酔っぱらいの中年のオッサンだったはずである.
そんなマッチョから程遠い不健康なオッサンに偏見に満ちたマッチョなスタンスを説明されても説得力がないのはある意味当然といえば当然である.
厳しいことをいうようではあるのだけれどボクは自分からあえて狙いすまして運動不足と酔っぱらいの道を選んだメンやウーメンに同情はしても共感はしないものである.そして出来うるものならそんな運動不足の酔っぱらいがテキトーにマッチョを語るのはやめてもらいたいなと思っている.
とはいえこれくらいのなんだかよくわからない発言は目くじらを立てるようなものではない.
なぜならツイッターにおいてはいともたやすく行われるえげつないテキトーツイートなどというものは日常茶飯事だからである.そしてなによりそんなテキトーツイートの1つ1つにいちいち目くじらを立てるのはリアルなマッチョのすることではないからである.
(2)「元のエンジンのパワーをアップさせて今の仕事を7割の力でやれるようにする」ことがマッチョという意味不明.
仕事は7割ぐらいの力でこなすのが無理もミスもなくていいと気づいた。これ「力を抜く」という意味ではなく「元のエンジンのパワーをアップさせて今の仕事を7割の力でやれるようにする」というかなりマッチョな意味ね。
— フミコ・フミオ (@Delete_All) 2019年4月7日
つづいて次にマッチョについて言及したフミオ先生のツイートにおける上記のマッチョの意味合いもなんだかよくわからないものだった.
もう一度大事なことなのでたっぷりと噛んで含めるように前提を振り返ろうと思うのだけれど,そもそもフミオ先生は自称腰痛持ちで時に歩くことすらままならなくなるほどの運動不足なメンであり,毎日大好きな野球観戦のあとに酔いつぶれる酔っぱらいの中年のオッサンだったはずである.
そんな普段筋トレもロクにしていない腰痛持ちアッピールがしつこいフミオ先生に筋トレのことなんてわからないだろうと思うので,少なくともタンタンとメンタルしっかり継続した筋トレによって最大筋力が向上した結果,従前は全力でやらないとできなかったことが7割のマッソーでできるようにすることを指してマッチョとおっしゃっているのかどうかはわからないけれど,定かではさっぱりないけれど,きっとそういった意味合いで言っているわけでは「ない」のだと思うのである.
なによりそれのどこがマッチョなのかはボクにはさっぱりよくわからなかったのである.
普段筋トレもロクにしていない腰痛持ちアッピールがしつこいフミオ先生がテキトーなことをおっしゃることによってマッチョのなんだかよくわからない意味合いの拡張が行われるのは不愉快なものである.
とはいえツイッターでいともたやすく行われるえげつないテキトーツイートに目くじらを立てるのはリアルなマッチョのすることではない.マッチョバイアスがヒデーなとはボクは思ったけれど,ボクはこのツイートもスルーした.
(3)滅茶苦茶マッチョな考え方という意味不明.
「滅茶苦茶マッチョな考え方をするんですね」と言われたので「貧弱な体をしてる人から平均的な体格の人はそう見えるかもしれませんね」とマッチョな嫌味で返したら無駄に白熱した議論がクールダウンしてちょうど良かった。
— フミコ・フミオ (@Delete_All) 2019年4月10日
そして直近最後にフミオ先生が「マッチョ」に言及していたのが上記のツイート.
誰かからフミオ先生が「滅茶苦茶マッチョな考え方をするんですね」と言われたそうなのだけれど,時系列的にこの「マッチョな考え方」について詳細が言及されていたのが次のエントリだと思うのだけれど,それが正しいならばマッチョとは「ガツンとやればいいだけっすよ」といった時代遅れのパワーハラスメントのことを指していうのだと思うのである.
いつもの居酒屋で中ジョッキを飲みながら話を聞くと、実にどうでもいい話であった。今月から同僚の下に配属された新人さんの勤務中居眠りにどう対処すればいいかわからない、というのだ。「ガツンとやればいいだけっすよ」と僕が言うと、そういうの時代遅れだよね…と前置きして「彼にもいいところはあると思うんだよ」などと彼は言うのだ。「いやいや1ミクロンもいいところがない人間の方が宝くじ1等前後賞当選レベルでしょ」「そういう屁理屈はやめてくれよ」中ジョッキ追加!
新人が居眠りするのは個性らしいよ。 - Everything you've ever Dreamed
これではマッチョとはただの「老害」のことではないか.
一応,毎日マッソーを追い込んでいるリアルなマッチョのボクから言わせてもらうならロクに運動もしない腰痛持ちアッピールがしつこい平均的体型(?)の酔っぱらいの中年のオッサンであるフミオ先生に「マッチョ」を語ってほしくないのである.
せめて毎日ラジオ体操するなりして腰痛で動けないといった情けないことをツイートしてアッピールするのをやめられるくらい多少のリアルマッチョになってから,「マッチョとは何か?」を自らの肉体でもって理解してからフミオ先生にはマッチョを語るようにしてもらいたいなと思うものである.
本当に毎日カラダを鍛えているマッチョは心にヨユーがあるものである.そしてその思考は柔軟なのである.
少なくとも勤務中の居眠りに「ガツンとやればいいだけっすよ」などという発言が口をついてくるようなリアルなマッチョはいない.もっとスマートな解決方法を考え,実行することができるのがリアルなマッチョなのである*3.
リアルなマッチョが脳みそまで筋肉でできていないのは実際にリアルなマッチョとなにかに取り組んだことがあれば一目瞭然だし,そんなリアルなマッチョがどういったものであるか理解しているならばマッチョバイアスは雲散霧消するはずなのである.
そして多少なりともマッチョなボクから言わせてもらうならば脳みそまで筋肉でガッチガチにできているようなガッチガチの凝り固まった古い考え方を刷新できないメンやウーメンを指して表現する言葉としては「老害」という適した言葉がスデにあるので「マッチョ」ではなく「老害」を使うようにしてもらいたいと思うものなのである.
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フミオ先生のように来るべきクールでビューティホーハーモニーな令和時代のセンシティブな社会問題であるハラスメントに対して感覚が鈍い昭和の老害なハンメンキョーシに「マッチョ=老害」という偏見を拡散されてしまう世界,マッチョが生きにくい世界,ボクはそれをキン肉族3大奥義のひとつマッスル・インフェルノと呼ぶ.
ボクは世界平和を望むマッチョである.なので読むと夢と希望が奪われるマッチョバイアスのかかったフミコ・フミオ先生は滅びればよいと思います.
ピース.
以上である.それではまた会おう,さらばだ諸賢!
参考.
ボクはフミオ先生の発言や文章はスバラシーと思うものはスバラシーと思うしリスペクトの対象だとは思うのだけれど,一方でフミオ先生の他人の気持ちを慮ることのできない無神経な人間性が時折垣間見られるのはたいへんにザンネンでならないとも思うものである.
とはいえボクはそんなフミオ先生のザンネンな人間性が垣間見られた際のフミオ先生もボクにとっての先生であることには変わりない.そんな時は先生は先生でもボクはフミオ先生のことをハンメンキョーシとして見習うことにようにすればよいからである.
そしてハンメンキョーシとしてのフミオ先生から得た「気づき」「学び」そして「感謝」の阿呆の3大栄養素を補給することによって腐れ外道かつド阿呆にだけはならないように気をつけていきたいと思うものである.
「ガツンとやればいいだけっすよ」という考え方はマッチョではないということがわかる話.
今どきお子様向けのスポーツでだって「ガツンとやればいいだけっすよ」などといういともたやすく行われるえげつないパワーハラスメント指導方針は「虐待」と言われる世の中なのである.マッチョというものはスマートなものでありむしろ短絡的な「ガツンとやればいいだけっすよ」などということを安直に発言するようなおバカさんのことを指しては呼ばないのである.
マッチョがマッチョでない人間から虐げられてきた歴史を紐解くGIGAZINE.
アフリカ系アメリカ人のボディビルダーであり、現在はサプリメント販売企業に勤めるBrandon Edwards氏は、「人種差別的な書き込みは珍しくもありませんでした。興味深かった点は、最も多くの書き込みをしているユーザーは、特にボディビルに関心を持っていなかったという点です」と述べており、実はボディビルに興味のない人による汚い書き込みが多かったと述べています。
引用元: 「中傷や暴言が当たり前」だったボディビルダーのインターネットフォーラムの歴史とは? - GIGAZINE
上記の一番差別的な書き込みをしていたメンが特にボディビル(ようはマッチョ)に興味がないメンだったというのはマッチョバイアスのひどいフミコ・フミオ先生とも共通するところでとても興味深いものである.
多様性に対する意見としてボクが読んで共感を覚えた記事.
その後もマッチョをバカにし続けるフミコフミオ.
- (2019年6月14日)「忙しい」ばかり言っている人は学習をしないのだろうか(2019年6月11~13日) - フミコフミオの物欲日記
「そういえば新卒で入った会社で「忙しいというヤツは自分に能力がないと言っているのと一緒」と仰る先輩がいた。ああ、そういうマッチョな意見もあるのだなあ、と感動した」フミコフミオには学習能力がないので永遠に他人をバカにし続けるのだろうと思われる.
《アイキャッチは高齢化社会のイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや.老害なメンやウーメンには若い世代に支えてもらうことになる自覚がないのだろうとボクは思う.若者をないがしろにした老害世代がしかるのち年金受給年齢になった頃,若者に大切にしてもらうことが期待できないことはいうまでもないとボクは思うのだけれど.年金がそのころに支払われる保障はないわけだけれど./本稿はお題「最近気になったニュース」によせて書きました.》
*1:そもそもはてななブックマークのコメントの評価の仕方がおかしいのでそこはしかたがないとも言えよう
*2:参照:マッチョ from:delete_all - Twitter検索
*3:例えば勤務中の居眠りメン対策にボクにはリアル・マッチョな知見がある.それは後日,本ブログに書こうと思う.少なくとも「ガツンとやればいいだけっすよ」などということではないから安心してもらいたい