#ほぼにちらーめん

プロのラーメン断食家であるボク,らーめ人間Zが可能な限り毎日タンタンとメンタルしっかり政治・経済・社会・技術の垣根なく知らなかったことを知るために書いているただの日記ブログ.よろしくね,ピース.ほぼ日刊イトイ新聞とは無関係.写真をはじめとした皆あまねく全てのコンテンツの無断転載はお断り!

どうせ表彰されるならノーベル平和賞を獲りたい。

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 ごきげんよう、読者諸賢。ボクはらーめ人間Z。毎週水曜日はボクがはてなブログ編集部が出題するお題に答えてはてなブログを楽しむことにしている日だ。

 今週のお題「表彰状」。

 ”自慢、大歓迎。今週のお題は「表彰状」です。皆さんは何かで表彰状をもらったことはありますか?小学生のときは皆勤賞だった、自由研究や作文で賞をとった……といった自分の経験だけでなく、あなたが「この人に表彰状をあげたい!」と思う人やエピソードも募集します。皆さまのご応募、お待ちしております。”とのことである。

 改めまして自己紹介。ボクはらーめ人間Z。ラ王真贋の使い手にしてラーメーン視点からでないとブログが書けないまともない人間だ。
 
 ラーメーンを愛し健康を愛し、そして何よりも平和を愛するボクは、ラーメーンと睡運瞑菜350g、そして核廃絶運動のアウフヘーベンの途中のエラーで世界週末時計の時計の針が過去最大にもどるまで、つまりは世界が平和になったと断言できるまで、外でラーメンを食わない超ラーメンハンガーストライキ2と言うナンだかよくわからんラーメン断食を超えたラーメン断食をさらに超えたラーメン断食の人造人間、つまりはホムンクルスとして異世界転生していた。早くラーメーン食べたい(関連記事:参照*1参照*2
 
 外でラーメン食うに食えない誓約と制約をもって異世界転生したボクは300日超えて現在進行形でラーメン断食続ける底抜けの阿呆、つまりはプロのラーメン断食家、二つ名は「戦えラーメンマン」である。

赤の他人が赤の他人を評価するとかおこがましい。

 もちろんボクはナニかで表彰状くらいもらったことはある。むしろ生涯で一度も表彰されたことがない人を探す方がムツカチイのではなかろうか。しかし表彰などというものは所詮他人がボクをスゴいと勝手に評してくれただけのことである。表彰されたところで謙虚なボクはボク自身をスゴいとはミジンコの陰茎ほども思わない。タダ、タンタンとボク自身が正しいと信じる道をひた走ることを続けるだけだ。だからボクがナニかで表彰されたことを自慢気に語ったところでナンの意味があろう。そんな自慢話といったものは社員犬だって食すことはデキない。少なくともボクは赤の他人様の自慢話などといったものは読まされても聞かされてもタダ不愉快なだけである(もちろん例外はあるかと思うが、そういう自慢話に出会えることは稀である。イマ、ボクはパッと思いつく不愉快でなかった自慢話を思い出すことがデキない)。

 ボクはラーメン断食続ける底抜けの阿呆だが、赤の他人様が不愉快になるようなことを敢えて狙いすましてやろうとまで思うほどの腐れ外道かつド阿呆ではない。そんなやらんでもいい自慢をあえて狙いすましてコウカイしてしまうのはミシュランガイドに掲載されたり、TRYラーメン大賞に掲載されたり、テレビで紹介されたことをドヤ顔で自慢してしまう意識他界ラーメン店店主という腐れ外道かつド阿呆だけで十分である。さらに礼儀知らずとはまさにこのことといった「食ってみろ!」という無礼千万な態度で「バカを魅了できるのはバカだけ。」というドキュメンタリー映画に出演してしまう意識他界ラーメン店店主は語るに及ぶまい。

 ちなみにボクが表彰状をあげたいと思うような方がいないわけではないが、ボクはそういった赤の他人を赤の他人が表彰するといったもの自体がどうやら嫌いなようである。実際、ケツの青いブログを書いていた頃はボクもそういったことをしてしまったことはあった。しかしそれをわざわざインターネッツの大海にコウカイしてナンの意味があるのだろうかと考えたら阿呆らしくなったのでやめたのである。

 例えば、そういったボクが阿呆らしくなってやめたようなことは、今も食べログとかRettyとかその他有象無象の食のレビューサイトで食痛と呼ばれている人びと(ボクは世の中に食通などストロングゼロだと思っているので、食痛と言い換えることにしている)が日々やっていることであるわけだが、そもそもナンの権限があってそういう食痛の人びとは飲食店を評価しているのだろうか。ナニかそのメニューに対しての権威でもあるならともかく(権威であったとしてもボクはそういったこと、つまりは他人を上から目線で評価してしまうことがデキる人びとの人間性は疑うわけであるが)、大抵そういった食痛な人びとは自炊すらまともにデキない人びとなのである。そんな自炊すらまともにデキない食痛の書いたレビューをみて「美味しそう。」と飲食店を選ぶ食痛のシンパもボクから言わせれば滑稽である。

 ここまでテキトーにノンストップライティングの手法で書いてみてボク自身気づいたのはボクは表彰という下らない仕組みをどうやら受けて断つ存在であったようだ。表彰とかいうタダの幼稚な承認欲求を満たしたいがゆえにしかモノゴトをすることがデキない人間は憐れである。これからはナンだかモシャモシャする表彰を目にしたら受けて断つこともボクのラーメン断食家としての活動に加えようと思う。

どうせ表彰されるならノーベル平和賞を獲りたい。

 閑話休題。そんな表彰という仕組み自体受けて断つ存在であることが判明したボクであるわけだが、ラーメーン御都合主義に則って、どうせ表彰されてしまうならボクが表彰されたい、つまりは獲得したい賞について語って本稿を締めくくりたい。

 冒頭序文にも書いている通り、ボクは世界が平和になるまで外で意識他界ラーメンを食わない。ボクの言う「世界平和」とは世界終末時計が過去最大に戻るまでである。当初ボクが定義したラーメンハンガーストライキの目的もボク自身によって拡張かつ拡大解釈され、これをさらに超える平和があるのかどうかすらよくわからんことになってしまっている。とりあえずボクが思う世界平和とは少なくともニッポンをとりまく情勢でいえばキタチョーからロケットマンがロケットもどき、つまりはミサイルを撃たない状況であるし、キタチョーが核実験をしない状況であるし、コリーアとは従軍慰安婦問題もろもろ全部含めた合意が不可逆に締結する状態であるし、チャーイナやロッシアとの領土問題が解決している状況である。ありとあらゆる争いの火種がストロングゼロになった状況をもってボクは世界が平和になったとみなしたいと思う。ナニより世界が平和になった暁に終末よりの死者である意識他界ラーメンかつ意識他界ラーメン店店主がボクのウチなるインナーワールドの平和をかき乱すことがなくなればいうことはない。

 というわけで表彰とかナンセンス、そんな赤の他人様から上から目線で「ガンバったね。」と褒められるゲームには特に興味のないボクであるが、そんなボクでも唯一表彰されたら嬉しいかもしれないという賞がノーベル平和賞である。そして、それはつまりボクがノーベル平和賞もらえてしまうくらい世界が平和になるまでボクは外で意識他界ラーメンを食べない、ということでもあるというわけだ。

 ちなみにボクがノーベル平和賞を受賞した暁にはその賞金のすべてを絶滅が危惧されているラーメーン店の復興にあてて寄付するつもりだ。ボクは利己主義のためにラーメン断食しているわけではないので平和を愛する皆々さまからの応援はいつでも大歓迎である。ボクはのべつ幕なしナンでも受けて断つ柔軟性の欠片もない石頭ではないのである。

 それではまた会おう。さらばだ、諸賢!

(アイキャッチはノーベル賞のメダルのイラスト。このイラストをアイキャッチを使う頻度が高いような気がするのはちょっと気がひけるものだ。もしかしたらボクがこのイラストをアイキャッチに設定することがなくなる世界、それもまた平和な世界と言えるのかもしれない。)

*1:世界終末時計が過去最短に。ボクは世界が平和になるまで外でラーメンを食わない!

*2:ボクはザ・ラーメンのことをラーメーンと呼ぶことにした。