#ほぼにちらーめん

プロのラーメン断食家であるボク,らーめ人間Zが可能な限り毎日タンタンとメンタルしっかり政治・経済・社会・技術の垣根なく知らなかったことを知るために書いているただの日記ブログ.よろしくね,ピース.ほぼ日刊イトイ新聞とは無関係.写真をはじめとした皆あまねく全てのコンテンツの無断転載はお断り!

大ラーメン評論家時代が息苦しくてラーメン断食が捗ってしまう問題。《続々》ラーメンブログとしてこの先生きのこるための足掻き。

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 ボクはらーめ人間Z。らーめん視点から出ないとブログが書けないまともない人間だ。ラーメンスランプに陥ってしまったボクはラーメン断食が捗りに捗りまくってしまっている。2017年4月14日から意図せず始まってしまったそれは今日(2017年5月16日)をもってもスランプ脱出を果たせずにいる。きっつー。ボクはべつにラーメンを食べたくないわけなのではない。アドラーさん曰く「トラウマなんてない」という(参考:google:アドラー心理学)。しかし、ボクが苛まれているのは一種のトラウマなのではないだろうか。あえてこれに名前をつけるならラーメントラウマ。ラーメントラウマ克服の手段を見つけられない限り、ボクはラーメンを一生食べられなくなってしまっている。よろしくない兆候だ。きっつー。早くまともラーメントラウマ克服人間になりたいものです。

 さて、昨日。ボクはいいかげんそろそろラーメントラウマを克服し、ラーメンスランプを脱しようとたまたま散歩中にみかけたラーメン店に入ってみようと思い立った(昼を過ぎてもあまりお腹がぺこちゃんにならなかったため散歩してお腹を減らすことにしたのだ)。こんなところにラーメン店があったのか。そういうラーメン店ならばラーメンインスタグラマーの影もないだろう、とはいえ念のためInstagramでラーメンインスタグラマーが不愉快な投稿(参照1)をしていないか確認してみた。パッとみ見当たらない。このラーメン店ならイケる。キテる。ボクはそう思って暖簾を潜ろうとした。すると引き戸が開いて中から客が出てきるなり開口一番こういったのだ。「70点だね」と。ボクはこの一言でそのラーメン店に入りたい気持ちが一気に萎えてしまった。「70点」というのは及第点という意味なのかもしれない。しかし、満点ではないというわけだ。その方がどこの高名な評論家様だったのかボクは知らないし、興味ない。ただ、その「70点だね」と吐き捨てるように言って出て行った様にボクはショックを受けてしまったのだ。お店に入る前からそのお店に入ろうとしているボクに対してもケチをつけられてしまったような心持ちになってしまったというわけだ。ボクはもうお店に入る気が失せてしまっていた。ボクはそのラーメン店に入るのを諦め、別のラーメン店ではないお店でランチを食べることにした。

 ボクは外食したときにそのお店の料理を採点するようなことをしない。ボクは家で料理をしたときに、自分が作った料理に点数をつけられるのが嫌だからだ。仮に外食したことをブログに書くときも「うまい」「まずい」といったことも極力書かないようにしている。仮にボクがそういったことを書いていたとしても参考にしないで欲しい。それはあくまでボクの主観に過ぎないからだ。そもそも食事とはうまいから健康によいということではない。うまいものは健康に悪いということもある。そして得てしてまずいものの方が健康に良かったりするものだ。ボクは食に関して「うまい」「まずい」とか思うことにあまり意味を見いだせないのだ。ナンセンスだと思っていると言っても過言ではないかもしれない。

 ボクが食に求めるのはうまいかどうかというよりも癒やしを求めている。ボクは外食を「贅沢」だと思っている。自分でつくらなくていい贅沢という意味もあるし、健康のことを気兼ねしないという贅沢ということもある(前述のとおりうまいものは得てして健康に悪かったりするからだ)。そして贅沢ゆえに家で自炊するときより多少の値段が高くなることに文句の余地はない(そもそもお店の経営のことを考えたら原価に人件費等の経費や利益が上乗せされるのは当然のことだからだ)。しかし贅沢をキメるからこそ、家で自炊をキメるよりも大きな癒やしを得たいのだ。癒やしを得ようと外食しようとしているところにケチがついたらそのお店に入りたくなる気持ちは失せてしまう。

 だからボクが飲食店でなにかに言及することがあるとしたら、ボクが癒やされたか否かだろう。そしてその癒やされたか否かに点数をつけることはしない。癒やされたか否かはイエスorノーでしかないからだ。そして仮に癒されることがなかったとしてもあえてボクはそれをブログに書こうとは思わないだろう。癒やされなかったなと思ったらもう行かなければいいだけだからだ。ただし、あまりに不愉快なことがあったら後日談として癒やされなかったエピソードを書くことはあるかもしれない。だつてにんげんだもの。よろしくね。ピース。

余談のコーナー。

 食に点数をつけたりといった下世話な行為が始まったのはいつからどのような経緯ではじまったのだろう。食通という考え方も変な話だなと思っている。自分の家でろくに自炊もできないような人間が頻繁に外食しているからといって通になるものだろうか。ボクはそういう人間こそラーメンゴローなのではないのか?と思うのだが違うのだろうか。

 ボクはラヲタでもラーメンインスタグラマーでも食通でもなんでもない。だから気持ちが悪いと思ってしまう。ボクは人の作った料理に楽しそうにいろいろと難癖をつける人たちをみていると「楽しそうですね、ボクもまぜてください」と思う以前に「こいつら、大丈夫か?」と思ってしまう(参照2)。そしてそういう行為を見てしまうと気持ちが悪くなって外食そのものをしたくなくなってしまう。

 食べたラーメンに点数をつけるような人間はきっと自分たちのことをラーメン評論家だと思っているのだろうとボクは思っている。まさに時は大ラーメン評論家時代。きっつー。ボクにはそれが息苦しい。ラーメントラウマが克服できない。ボクはそういうラーメン評論家がああだのこうだの言っていないお店で心を落ち着けてらーめんがキメたいだけなのだ。今はそういうお店を探すのが極端にどうやら難しいらしい。

 そんなわけでボクが昨日食べたのはたまにいく定食屋さんのチキン・チキン定食(唐揚げ二種盛り)だった。街の定食屋さんにラーメン評論家の影はなかったのだ。

(アイキャッチは茸のイラスト。いらすとやさんのきのこネタもそろそろ品切れが近くなってきた。品切れがキテる。ヤバい。お題「ほぼにちらーめんブログ運営ポリシー。」によせて書きました。)