#ほぼにちらーめん

プロのラーメン断食家であるボク,らーめ人間Zが可能な限り毎日タンタンとメンタルしっかり政治・経済・社会・技術の垣根なく知らなかったことを知るために書いているただの日記ブログ.よろしくね,ピース.ほぼ日刊イトイ新聞とは無関係.写真をはじめとした皆あまねく全てのコンテンツの無断転載はお断り!

「やる」と心の中で思ったならその時スデに行動は終わっているボクの働き方や生き方に「迷い」も「決断」もない。

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 ごきげんよう,読者諸賢.ボクはらーめ人間Z.毎週水曜日はボクがはてななブログの編集部メンが出題するお題に答えてはてななブログを楽しむことにしているウィークデイだ.

 はてななブログの編集部メンによれば《はてなブログでは、「りっすん」と共同で特別お題キャンペーンを実施します。働き方や生き方にまつわる#「迷い」と「決断」をテーマに、記事を投稿してください。選考のもと、素敵なエントリーを書いた方には賞金20万円をプレゼント!》とのことであるので今日はボクの「働き方や生き方にまつわる#「迷い」と「決断」をテーマ」というものについて書いてみたいと思うものである.

 どーせ賞金20万円をゲットするのは「はてな」で「りっすん」な御都合主義でいともたやすく選ばれる「こいつ大丈夫か?」と思うような働き方や生き方をしているメンやウーメンの記事であろうと容易に予想がつくものであるから,賞金20万円をゲットすることなどそもそもできない前提でボクらしくテキトーに書きたいと思う.

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 とはいえ,お題に答える前にマズは自己紹介させていただこう.ボクはらーめ人間Z.ラ王真贋の遣い手にしてラーメーン視点からでないとブログが書けないまともないヒューメンだ.

 ラーメーンを愛し健康を愛し,そして何よりも平和を愛するボクは,ラーメーンと睡運瞑菜350g,そして核廃絶運動のアウフヘーベンの途中のエラーで世界週末時計の時計の針が過去最大にもどるまで,つまりは世界が平和になったと断言できるまで,外でラーメンを食わない超ラーメンハンガーストライキ2と言うナンだかよくわからんラーメン断食を超えたラーメン断食をさらに超えたラーメン断食の人造人間,つまりはホムンクルスとして異世界転生していた.早くラーメーン食べたい.

 外でラーメン食うに食えない誓約とはてなブックマークしたくてもすることのできない制約をもって異世界転生したボクは丸2年を超えて現在進行形でラーメン断食続ける底抜けの阿呆,つまりはプロのラーメン断食家,二つ名は「戦えラーメンマン」である.

「やる」と心の中で思ったならその時スデに行動は終わっているボクの働き方や生き方に「迷い」も「決断」もない.

 唐突ではあるのだけれど読者諸賢は次のセリフを御存知だろうか?

「ブッ殺す」と心の中で思ったならッ!その時スデに行動は終わっているんだッ!

 このセリフはボクの大好きな漫画「ジョジョの奇妙な冒険」の第五部に登場する殺し屋チームの1人プロシュート兄貴のセリフなわけなのだけれど,もしも読者諸賢が「ジョジョの奇妙な冒険」を未読でプロシュート兄貴を御存知でないというメンやウーメンであったならば,もしもこのセリフがどのような文脈で使われたものなんか御興味が湧いたものであるならば,ボクは「ジョジョの奇妙な冒険」の第五部を皆あまねくお読みいただくことをオススメしたい.

 閑話休題.

 ボクはこのプロシュート兄貴のセリフが好きだからというわけではないのだけれど,「やる」と心の中で思ったならその時スデに行動は終わっているメンであったものである.

 その端的にして明快な事例というのがボクが2年を超えて,今なお現在進行形で続けているラーメン断食であることはいうまでもないわけであるのだけれど,ボクがラーメン断食を「やる」と決めたときにはスデにラーメン断食をしていたのでラーメン断食をするという「決断」をする行為はラーメン断食を「やる」と決めたときにはスデに終わっていたのである.

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 少し補足をするとボクは本ブログを書き始めた頃には1年に100-150食のラーメンを食すラオタキモメンであったわけなのだけれど,あることをきっかけに実はこのクールでビューティホーハーモニーな日本においてラーメンは絶滅しており,意識他界ラーメンしかなくなっているのではないかと思うようになったら,ラーメンを食うのが阿呆らしくなったのである.

 阿呆らしくなってしまったものをいつまでも食しているのは阿呆のすることである.そして気がついたらボクはいつしかラーメンを一切食すことをやめていたわけなのだけれど,気づいたら食さなくなっていたというのがミソなのである.ボクは心の中で「やる」といつの間にか決めていたときにはスデにラーメン断食を「やる」という「決断」をスデに終えてしまっていたのでラーメン断食を「やる」と決めたときにはスデにラーメン断食家だったのである.

 そういったわけで読者諸賢が仮にメンタルがタンタンとしっかりしていなかったら,仮にメンタルがヘラヘラしているとしたならばボクがなにを言ってるのかさっぱりよくわからなかったかもしれないわけなのだけれど,メンタルがタンタンとしっかりしているメンならば「やる」と心の中で決めたことは気づいたらスデに「やる」という「決断」はスデに終わっているので行動はスデに終わっているということなのである.そこには超スピードだとかトリックだとかそういったものは一切ない.「やる」と決めたことはただシンプルに「やる」それだけのことなのである.

 どうしてボクが「やる」と決めたことは「やる」メンになったのかに関して言えば,幼少の折から気づいたら「やる」と決めたことは「やる」メンだったのでそのオリジンがどこに存在するのかは探求してみたことがないのだけれど,御都合主義的な解釈をするならば,ボクは生まれたときにはスデに「やる」と決めたことは「やる」メンだったのだろうと思われる.

 そしてボクが何かを「やる」と決めたときにはスデにその「決断」をするという行動は終わってしまっているわけなので,そこに「迷い」などといったものはないのである.

 そもそも「迷い」が生じるということはボクに言わせれば「正しくない」ことをしようとしてるから生じる感情だと思っているのである.ボクは「迷い」が生じることは逆にいえば「やらない」ことをすることを「決断」する行動をスデに終えてしまっているのである.

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 というわけで最後に「やる」と決めたら「やる」という「決断」するという行動をスデに終わらせてしまっていることを実践したボクのラーメン断食からの「気づき」「学び」そして「感謝」の阿呆の3大栄養素を「はてな」にまとめておくならば次のようになるというわけである.

  1. ボクは「やる」と心の中で思ったならばそのときには「やる」という「決断」をするという行動をスデに終えている.
  2. ボクが「やる」と心の中で思ったときにスデにやってしまっている行動に「迷い」はない.
  3. ボクが「やる」と決めてスデにやってしまっていることに「迷い」がないのはボクがその「やる」と決めたことを「正しい」と思っているからである.
  4. ボクは「正しい」と思ったことを「やる」ことに「迷い」がない.
  5. ボクに「迷い」があるときは心の中で「正しくない」と思っているときである.
  6. ボクは「正しくない」と心の中で思っていることは「やらない」と決めているので「やらない」と心の中で思ったときには「やらない」という「決断」はスデに終わっている.
  7. ボクはボクが「正しい」と思うことを「やる」ときには「やる」という「決断」がスデに終わってしまっているのは「迷い」がないからである..

ーーもっと書こうと思えば書けるような気がしないでもないわけなのだけれどもはや何段論法になってるのかもよくわからないのでメンドーくさいから以上で潔くオシマイにしておきたいと思う.なので以上である.

 例によってなんだかよくわからなくなったが,ボクが本稿でいいたかったことは次のたった1つのシンプルなアンサーなのである.

 「やる」と心の中で思ったならその時スデに行動は終わっているボクの働き方や生き方に「迷い」も「決断」もない.

 ボクのラーメン断食に「迷い」も「決断」もない.ただボクはラーメン断食を「正しい」と信じているのでタンタンとメンタルしっかり継続できている.ただそれだけのことなのである.

 そして本ブログでは何度もはてななブログの編集部メンがしょーむないお題を出す都度書いているような気がしないでもないわけなのだけれど,もうボク自身同じことを何度も書くことには辟易しはじめているといっても過言ではないのだけれど,そんなタンタンとメンタルしっかり継続できているラーメン断食であるからこそ絶対的全体としての世界が平和になるまでボクが外で食わないことにはたいへんに意義が生じると思うものである.

 ボクは絶対的全体としての世界が令(うるわ)しく平和になるまで外でラーメンを食わない!

 それではまた会おう!さらばだ諸賢!!

《アイキャッチは迷子の女の子のイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや.》