ごきげんよう,読者諸賢.ボクはらーめ人間Z.ラ王真贋の遣い手にしてラーメーン視点からでないとブログが書けないまともない人間だ.
ラーメーンを愛し健康を愛し,そして何よりも平和を愛するボクは,ラーメーンと睡運瞑菜350g,そして核廃絶運動のアウフヘーベンの途中のエラーで世界週末時計の時計の針が過去最大にもどるまで,つまりは世界が平和になったと断言できるまで,外でラーメンを食わない超ラーメンハンガーストライキ2と言うナンだかよくわからんラーメン断食を超えたラーメン断食をさらに超えたラーメン断食の人造人間,つまりはホムンクルスとして異世界転生していた.早くラーメーン食べたい(関連記事:参照*1、参照*2).
外でラーメン食うに食えない誓約と制約をもって異世界転生したボクは丸1年を超えて現在進行形でラーメン断食続ける底抜けの阿呆,つまりはプロのラーメン断食家,二つ名は「戦えラーメンマン」である.
ラーメン断食家のボクが食してみたい東京の豚丼3選.
諸賢は豚肉はお好きなメンであろうか?はたまたお好きでないメンであろうか?というかそもそも豚は神聖なる生き物であるので食すことを断じてならないとされているような信仰をお持ちであるがゆえに食したくても食すことのできないメンであろうか?
ボクは豚肉を食すことを好むメンである.むしろサピエンス(以降はヒューメンと表記する)の長い歴史の中で様々な他の獰猛な動物たちの中から家畜にできそうな動物と家畜にすることがむつかしい動物とを選定していった中で選ばれた豚というカワイソーな種を食すことを愛しているといっても過言ではない.家畜化されたカワイソーな豚という種の肉を食すというヒューメンの業を潔く受け入れ,食した豚の命の分まで立派に生きていきたいと思っているものである.日々食す豚肉にマジ感謝.
そんな日々ヒューメンに家畜化された豚というカワイソーな動物の肉を食す業を受け入れ,その肉を食すことに感謝しているボクが好んで食す食べ物のひとつが豚丼であることは言うに及ぶべくもない.主にボクの食事はウチなるインナーワールドにおいて自分自身で調理して食す自炊であるわけだかれど,外の世界で食す豚丼もまた無類であり,オイシー豚丼を食すことのできる飲食店を探すことに日夜余念はないのである.
スポンサーリンク
閑話休題.
ではここからが本稿の本題である.ボクはほとんどの食事を自炊することにしているので滅多にもはや外で食事をしないわけなのだけれど,外で食事することがゼロではないので外食する機会に恵まれたときのためにオイシソーな飲食店の目星を予めつけておくようにしておくようにしている.その情報源として活用しているもののひとつがボクが有料サブスクライブしているdマガジンに毎週水曜日に配信されてくる週刊東京ウォーカー+である.
その週刊東京ウォーカー+の2019年No.3(2019年1月23日発行)で特集されていたのがたいへんにありがたいことに「東京の豚丼」だったのである.この特集において紹介されていた東京で豚丼を提供する飲食店は例によって12店舗だったのだけれど(なぜ12店舗なのかは相変わらず謎だ),飲食店で喫煙を未だ許可しているお店にボクは絶対に行かないので,喫煙可/分煙/ランチ禁煙を除外した9店舗の中からよりよりボクが行ってみたいと思った3店舗の豚丼提供飲食店を下記に記録しておきたいと思う.
(1)豚大学 神保町校舎(神保町).
まず神保町にあるという豚大学 神保町校舎に目を引かれた.圧倒的なボリュームで有名なお店だそうである.豚丼には小,中,大があり,それぞれ1,000g,1,500g,2,000gの量があるそうだ.しかし,まずは小サイズの1,000gを完食することができなければ,さらに上位の中と大は注文できない仕組みになっているそうだ.某ラーメン二郎とは異なりおバカさんがインスタバエのために完食出来もしない全マシオプションを注文したりできないシステムを採用している点はたいへんに賢明であるなとボクは思ったのものである.
それにしても1,000gでも十分なボリュームであるのでもしもこちらを訪れるならば十二分にオナカがペコちゃんな状態になっていることを確認してから訪れねばならぬだろう.
(2)じゅじゅ庵(芝公園).
2軒めの気になったお店は芝公園にあるというじゅじゅ庵である.特にボクの目を引いたのは写真の左下の並の2倍界王拳の肉の量があるという「豚丼(特)しょうが」である.豚といえば生姜焼きをまっさきに連想するボクにとって豚と生姜は切っても切れない最強タッグである.そんな最強タッグが2倍界王拳している「豚丼(特)しょうが」はその触れ込みだけで十二分にオイシーことが約束されているようなものである.
芝公園に行こうと思うことなど滅多にないボクだが芝公園を訪れた際にはこちらのお店は訪れてみたいお店の第一候補として記憶しておこう.
(3)どんぶり屋ぽん(東高円寺).
最後の3軒めは東高円寺にあるというどんぶり屋ぽんである.「上質な肉を安く食べてもらいたい」というオーナーが手掛ける豚丼専門店だそうなのだが,このセリフ,故・大勝軒の山岸一雄さんの「自分が小さいころ貧しくてあまり満足にご飯が食べられなかったから、お客さんには安い値段で腹いっぱい食わせてあげたい」というセリフのパクリなんじゃないかと思うくらいソックリなのだが,大体飲食店のオーナーのいうことなどというものはカワリバエのしないものであるのでボクは潔くオリジナルであるということにしておいて差し上げたいと思う.
ちなみにボクの目を引いたのは右ページの豚丼(大)である.この圧巻ボリュームで850円というのはこれまで(1)(2)でボクが食してみたいと思ったお店の豚丼が1,000円を超えていたところから考えるとたしかに経営努力をしている印象が強く伺えるものである.
とま玉豚丼は同じようなものをボクは自炊時によく食しているので,むしろこちらが変わり種というよりもボクは身近に感じられてしまうものであり,やはり豚丼は写真右の豚丼のようであってほしいものである.
ーー以上である.
スポンサーリンク
最後に余談だが,ボクら日本人は豚を家畜として飼育し,その肉を食して生きながらえている民族である.そんなボクが日本人として生きていく上においてはハラル対応豚丼とかいうなんだかよくわからんものが誕生しないことを願うものである.一方でボクの忌み嫌う意識他界ラーメン界隈ではビーガンのためのベジソバであったり,一蘭のとんこつ100%不使用ラーメンとかいうなんだかよくわからんものがメインで提供されるなんだかよくわからんことが起きてしまっており,まったくもって痛ましいばかりである.そういったものは出すこと自体は個別ハラル対応なり個別ビーガン対応を柔軟に行うことにより追加料金を払えばできるようにしておけば良いだけの話であり,メインでそういうなんだかよくわからんお店を出した挙句,豚肉を食す日本人にまで豚肉未使用のなんだかよくわからん豚骨ラーメン風のナニカを食べさせようとするのはやめろとボクは思うのである.
食用の家畜として育てられた豚を食すことこそが日本人にとっては当たり前のことであり,その業を背負って食した豚の分までタンタンとメンタルしっかり生きていくのが食用に家畜として育てられた豚を食したボクら日本人の責務であるとボクは思うのである.ボクの血や肉となった数多くの豚たちにボクは感謝しかないし,ボクはボクの血肉となった豚たちの分も立派に天寿をまっとうしたいと思うのである.
それではまた会おう,さらばだ諸賢!健闘を祈る!!
《本稿はお題「行きたい場所」によせて書きました.》