ごきげんよう、読者諸賢。ボクはらーめ人間Z。らーめん視点からでないとブログが書けないまともない人間だ。
ラーメンを愛し健康を愛し、そして何よりも平和を愛するボクは、ラーメンと睡運瞑菜350g、そして核廃絶運動のアウフヘーベンの途中のエラーでキタチョーのロケットマンがロケットもどきを撃つのをやめるまで外でラーメンを食わないラーメンハンガーストライキと言うナンだかよくわからんラーメン断食の人造人間、つまりはホムンクルスとして異世界転生していた。早くまとも人間になりたい。
ラーメン食うに食えない誓約と制約をもって異世界転生したボクは200日超えて現在進行形でラーメン断食続ける底抜けの阿呆、つまりはプロのラーメン断食家である。
読者諸賢は映画「ラーメンヘッズ」という映画が上映されるのをご存知だろうか。
読者諸賢は映画「ラーメンヘッズ」という映画が上映されるのをご存知だろうか。1月27日から限られた映画館で上映されるスバラチイ映画であるという。最近、ツイッターを見ていると毎日タダラーメン食ってるようなアタマのオモチロオカチイ人びとが口々にスバラチイ映画だと絶賛しているのできっとスバラチイ映画なのだろう(先行上映会にでも招待されていち早く観たのかもしれないが、映画「ラーメンヘッズ」を絶賛している人びとがスデに映画を本当に観たのかどうかは定かでない)。
参考:映画「ラーメンヘッズ」公式サイト/RAMEN HEADS official Site
ちなみにボクは下記に埋め込んだユーチューブの予告編を観てみたが「食ってみろ!」などと居丈高に上から目線で自らの創ってしまったナンだかよくわからんムニャムニャ、つまりは意識他界ラーメンをドヤっている意識他界ラーメン店主の姿がダイヤモンド★フユカイなだけであり、全くどこがスバラチイ映画なのかよくわからなかった。この予告編を観て、この映画を観たくなるのはどういう御都合主義者なのだろうか。
少し上記の予告編から「ナンダコレ?」とボクが思ったシーンをスクリーンショットで引用し紹介する(挙げ始めるとキリがないので大人らしく3つに留めた)。
まず最初にナンダコレ、と思ったのは地べたに寝転んでラーメンを食うタイヘンにお行儀のよいお子様たちだ。正直、こんなお行儀のよいお子様がそこら中にうごうごと存在しているのをボクは信じたくないものだ。親という責任者がいるならトイタダシタイ。親はドコか?
次にカリスマ3人の夢のコラボというのもナンのギャグだのだろうか。一人は4時間並ばないと食べれないようなナンだかよくわからんムニャムニャをつくってしまう経営哲学の店主、一人は(本人かどうかは定かでないが)詐欺サイトに自ら誘導してしまうツタない店主、そして一人は湯河原をトーキョーと扱うことに対してノーと言わない上に日本料理出身なのにラーメンつくろうと思ってしまったナンだかよくわからん店主である。たしかにカリスマと言えようがナンだかよくわからんカリスマである。一人ひとりでも十分にナンだかよくわからんのに3人集まったらナンだかよくわからんムニャムニャを超えたナンだかよくわからんムニャムニャをさらに超えたナンだかよくわからんムニャムニャ、つまりは意識他界ラーメン3でも創れるとでもいうのだろうか(関連記事:参照*1、参照*2)。
そして阿呆のような行列に並ぶヒトたちを前に「アウトです。」という様子も紹介されているが、そんなことはそもそも自明であろう。行列をつくってドヤ顔してしまうような意識他界ラーメン店にわざわざ並びに行くのがそもそもアウトなのである。この予告編の冒頭で「バカでないとバカを魅了デキない。」というコメントがあるのだが、そういう意味では魅了されたバカが行列を作っているというのはイイエテミョーである。バカにバカにされてまで食いにいくバカでなければ食うことがデキないのが意識他界ラーメンということになろう。タイヘンに憐れである。人生の貴重な時間を使うならもっとスマートなことに使いたいものである。
映画「ラーメン侍」は大作。あまねくラーメン映画は例外なく大作になると言っても過言ではない。
閑話休題。ボクに言わせれば、そんな意識他界ラーメンに人生を捧げてしまった意識他界ラーメン店主たちの映画「ラーメンヘッズ」などドーデモイイのである。ナゼならボクは意識他界ラーメンをテーマに選んでしまうような映画が観る価値がストロングゼロな大作にしかならないことをスデに実は知っていたからだ。
最近、ボクがフールーで観て10分強で視聴をやめたのが映画「ラーメン侍」だ。ほとんどネタバレにもならないので、10分までの内容を記憶してる限りで紹介するとこのような具合である。「九州でラーメン店を経営している主人公がスタッフと一緒にラーメンを作っていると、スタッフが豚骨を炊きすぎてスープをダメにしてしまう。ダメになったスープは使えないので、その日は閉店。スープをダメにしたスタッフに主人公が強烈な平手打ちで説教をするが、平手打ちされたスタッフは主人公に対する怒りを露わにしてやめてしまう。ここで回想シーンがはじまり、主人公の過去が語られ始める。東京のデザイン会社でうだつのあがらない仕事をしている様が延々と流れる。ナゼかそのデザイン会社には故佐野実さんの姿があるのだが、故佐野実さんがナンの役なのかはボクが観た範囲ではよくわからなかった。」以上が映画「ラーメン侍」の冒頭10分ほどのあらすじである。
ちなみにボクは根性論が嫌いである。そして何より暴力が嫌いである。この映画「ラーメン侍」は始まった途端に根性論と暴力、そしてナンだかよくわからん意識他界説教から始まる。それだけでボクはもうお腹がいっぱいだ。
意識他界ラーメン店に意識他界ラーメン食いに行くと、ナンだかよくわからんヘンなコダワリをもった意識他界ラーメン店主が根性論と暴力をスタッフにむけて奮っている様を見かけることができることがある。そういった意識他界ラーメン店における時代錯誤の労働環境を如実に表現した作品としては確かに映画「ラーメン侍」は意義のある作品かも知れない。むしろ大作と言えよう。「ラーメン侍」は2011年の作品だが、2018年の今でも労働環境的には意識他界ラーメン店はボクは大差ないと思っている。「嘘だろ?」と思う諸賢は昨今、意識他界ラーメン店が人手不足なのかスタッフをどこも募集しているので新卒入社するのもよいし、転職してみてもよいだろう。ゼヒ、しかるのち実態がどうであるかインターネッツの大海にコウカイしてみてもらいたい。
余談だが、ボクは故佐野実さんが嫌いである。ナゼならヘンなコダワリをもった意識他界ラーメン店主がさも立派であるような誤認識を世の中に広めたからである(メディアが悪いとも言えよう)。ボクに言わせればそんな故佐野実さんをインスパイアしたようなヘンなコダワリをもった意識他界ラーメン店主に君子はストロングゼロ。ヘンなコダワリをもった意識他界ラーメン店主は根性論で生きている腐れ外道かド阿呆、もしくは腐れ外道かつド阿呆である。タダのド阿呆ならまだ可愛げのあるド阿呆だと思わなくもないが、その多くはヘンなコダワリをもった腐れ外道、もしくは腐れ外道かつド阿呆であると言えよう。ヘンなコダワリが亡くなったらタダのラーメン店主になれるかもしれないが、まず無理ゲーであろう。ザンネンなことである。なむなむ。
ボクに言わせれば、冒頭の映画「ラーメンヘッズ」からも同じような根性論の臭いがプンプンしてならない。仮に映画館に足を運んでもボクなら最初の10分で映画館の外に出てしまうのがオチである。
そんなあらかじめ結果がわかっているようなマネーのムダ遣いを狙いすましてやってしまうほどボクの底抜けの阿呆もいきすぎてはいないのである。
読者諸賢が映画「ラーメンヘッズ」を観るかどうかは自由である。ボクはお止めしない。しかし、しかるのち感想をインターネッツの大海にコウカイするのを忘れないで欲しい。ボクはそのコウカイを観て、映画「ラーメンヘッズ」を観に行かなくてよかったとホッと胸をなでおろすことだろう。
それではさらばだ諸賢、また会おう。
(アイキャッチはマナーの悪い映画館の客のイラスト。ボクはナンでも映画にしてみればいいというものではないと思っている。予告編を観ただけでも「ラーメンヘッズ」はラーメン俗世が近寄るべきでない「こいつらダイジョーブか?」であることを教えてくれる問題作であるのを理解デキるものだが、こんな映画を観ないとラーメン俗世がヤバいことがわからない人びともボクに言わせれば相当にヤバいのである。/本稿はお題「ラーメン界の噂。」によせて書きました。)