ごきげんよう,読者諸賢.ボクはらーめ人間Z.ラ王真贋の遣い手にしてラーメーン視点からでないとブログが書けないまともないヒューメンだ.
ラーメーンを愛し健康を愛し,そして何よりも平和を愛するボクは,ラーメーンと睡運瞑菜350g,そして核廃絶運動のアウフヘーベンの途中のエラーで世界週末時計の時計の針が過去最大にもどるまで,つまりは世界が令(うるわ)しく平和になったと断言できるまで,外でラーメンを食わない超ラーメンハンガーストライキ2と言うナンだかよくわからんラーメン断食を超えたラーメン断食をさらに超えたラーメン断食の人造人間,つまりはホムンクルスとして異世界転生していた.早くラーメーン食べたい.
外でラーメン食うに食えない誓約とはてなブックマークしたくてもすることができない制約をもって異世界転生したボクは丸2年を超えて現在進行形でラーメン断食続ける底抜けの阿呆,つまりはプロのラーメン断食家,二つ名は「戦えラーメンマン」である.
ホラッチョのフミコフミオが「教養としての」がタイトルに入る本がちょっと多すぎじゃないのというのでウチの会社の近くの書店で平積みされている「教養としての」がタイトルに入る本を実際に探してみた.
唐突ではあるのだけれど,やぶから棒ではあるのだけれど,読者諸賢は「教養がある」というのはどういう人物のことを指していうものであろうか?
ボクはボクに教養があるというほどにおこがましくはないのだけれど,そこまで傲慢ではないのだけれど,そこまで傲岸不遜ではないのだけれど,そこまで自意識過剰ではないのだけれど,ボクが思う「教養がある」人物というものは自らが知らないことを知っている人物のことだと思っている.
なのでボクが思うに基本的に他人を見下している人間に「教養がある」人物などというものはいないと思っている.ましてやはてななブロガーの中でも人を見下していることにかけては屈指のホラ吹きブロガーであるフミコフミオ(褒められた人物ではないので継承は略す)に「教養がある」はずがあろうはずがないと思うわけである.
そんなホラ吹きブロガーであるフミコフミオが次のようなツイートを先日していた.
ときどき立ち寄る書店に「教養としての」本コーナーが出来ていた。「教養としての」がタイトルに入る本、ちょっと多すぎじゃないの…。
— フミコ・フミオ (@Delete_All) 2019年7月1日
そもそも書店に「教養としての」本コーナーなどというものが特設されているような書店があるということがにわかに信じがたいわけなのだけれど,フミコフミオのツイートにはときどき立ち寄る書店としか書いていないので事実確認のしようがない.
なので別の視点でもってフミコフミオがいうように「教養としての」がタイトルにはいる本が多いのかどうか確認をしてみることにした.
まずアマゾンで紙の本で「教養としての」という検索キーワードで書籍数を確認してみたところ4,000冊以上がヒットした*1.
なるほど少なくはなさそうである.
スポンサーリンク
次にKindle本で同じことをしてみた.
結果は279冊だった*2.
さらに気になっていたのでウチの会社のちかくのそれなりに大きな書店にいって「教養としての」がタイトルに入っている本が目につくほど多いかどうかをランチのあとの休憩時間に確認してきてみた.
ちなみにフミコフミオがいうように「ちょっと多すぎ」というほどに多いというならば「教養としての」がタイトルに入る本がウチの会社の近くのそれなりに大きな書店でもそこら中に平積みされていてもおかしくないはずである.
結論からいうとボクがウチの会社の近くの書店で気にしながら平積みされている本を確認していって「教養として」がタイトルに入っている本は1冊しかなかった.
それが次の「教養として学んでおきたい哲学」である.
さらにユルい条件で「教養」という言葉が入っている本にまで範囲を広げたときに発見したのが次の「社会学史」という本である.この本は帯に「教養」という言葉が入っていた.
正直,こんなことはやってみる前からわかっていたことではあるのだけれど,たしかにフミコフミオがいうように「教養」がつくことを謳う書籍はなるほど少なくはないのだろうなと思うわけなのだけれど,フミコフミオのいうような「ちょっと多すぎ」といえるほどのレベルで目につくかというと実際に書店に足を運ぶとそんなことは「ない」のである.
そもそも書店に「教養としての」本コーナーなどというものがあったということ自体が絶対にありえないとまではいわないまでも多分にウサンクセーわけなのだけれど,フミコフミオが大げさにいうほどにはボクが自分の目で確認してみたかぎり「教養としての」がタイトルに入る本がちょっと多すぎるっていうことはないんじゃね?ということだったのである.
ーー以上である.
スポンサーリンク
今回もしょーむないものを斬ってしまった感は否めないわけなのだけれど,ウサンクセーなウソクセーなと思ったことをボクは自分の目と耳で確認することはきちんとやっていきたいと思っている.
最後についでに書いておくのだけれど,冒頭にも書いてみたとおりボクにいわせれば教養を得るということは知らないことを知るためのものであるので,知らないことを知るための本というものが多すぎる世界があるとするならばそれは多分にスバラシー世界であると思うのである.未知のモノゴトで溢れかえってる世界こそがスバラシー世界なのである.
一方で何でも知った気になってしまっている教養のないフミコフミオのようなおバカさんが自分が知っていること知らない相手がいると見下して小馬鹿にしてくる人間ばかりがイキっている世界はポイズンなのである.そんな世界はインフェルノだといっても過言ではないとボクは思うのである.
とりあえず後者の世界でないことが確認できてよかったなということで,それではさらばだ諸賢!また会おう!!
《アイキャッチはファクトチェックをする人のイラスト(女性) | かわいいフリー素材集 いらすとや./本稿はお題「どうしても言いたい!」によせて書きました.》