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らーめ人間Z。がほぼ日刊でらーめんについて綴るただの日記。文体ときどきフミコフミオインスパイア。食べたラーメンの記録、訪問店の感想だけでなく、ラーメン関連のイベント、キャンペーンの情報などもシェアしていくよ。よろしくね。ピース。ほぼ日刊イトイ新聞とは関係ありません。写真をはじめとしたすべてのコンテンツの無断転載はお断り!

カールがなければうまい棒を食べればいいじゃない。《前編》

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 ボクはらーめ人間Z。らーめん視点からでないとブログが書けないまともな人間だ。ふとしたことから始まってしまったラーメン断食は今日で48日目だ。あまりにもはかどってしまっているこのラーメン断食はボクは平和利用している。半島の混乱がおさまるまで、ボクは、ラーメンを食べない(参照1)。北の将軍様にはいい加減に諦めて弾道ミサイルを日々発射してだだこね活動するのはやめるんだ。早くラーメン食うらーめ人間に戻りたい者です。

カールショックであるとかカールロスで湧く世の中。

 さて俗世では東日本でのカールの販売が終了するということでカールショックであるとかカールロスであるとかで話題だ。

スーパーでは駆け込みで買う人が急増。小売り側の混乱も見られるほどで、「カールショック」が広がっている。
 
 首都圏地盤の食品スーパー、サミットでは25日のカール4品の販売数量が24日比約6倍と急伸。関東と関西に店舗を構えるライフコーポレーションでは「チーズあじ」の25日の首都圏の販売数量が24日比約4倍、販売が継続される近畿圏でも同2.4倍となった。
引用: 首都圏で「カールショック」 販売4倍、近畿でも2倍に :日本経済新聞

 世の中にはよほどのカールファンなのだろうか。駆け込みで買う人が急増したらしい。実際、ボクのツイッターのタイムラインにもやっとカールのカレー味を見つけたとか、売り切れで買えなかったとかそういったツイートが流れてくるのを散見した。

 ちなみにボクはというと、正直、カールどうでもいい。というのもボクはさほどカールが好きではなかったからだ。他の記事になるがカールについて下記のような記事を見つけた。

筆者もカールについては子供の頃の記憶がある。あのパサパサの食感で、たくさんのカールをほお張っていると上顎にペッタリとくっついた。人にばれないようにそれを舌を駆使してそぎ落とした。遠足のおやつとしてリュックサックにカールをいれていたらいつの間にか袋がつぶれてしまい、食べるときには「C」の形状をしていなくて寂(さみ)しい気持ちになったのを覚えている。
引用元: 「カール」が映す日本社会の風景 編集委員 田中陽 :日本経済新聞

 「おまえ、大丈夫か?」と言いたくなるところを抑えて、ボクがカールについて「そうだね」と思ったところを抜粋すると、まさに「パサパサの食感」という表現に尽きる。美味しいか?と聞かれると美味しいという記憶もあまり、ない。そもそもボクは一体何年前にカールを食べたのが最後だったのかさえ覚えてない。むしろボクがショックなのは近所のスーパーからキャベツ太郎がなくなってしまったことの方がショックだ。

発売当初、1袋70円のカールは一般的な菓子としては若干、高めの価格設定だったが、いまでもスーパーやドラッグストアでは100円前後で売られている。物価の優等生に違いない。しかし、それが仇(あだ)となってしまった節がある。
 
 コンビニエンスストアの存在だ。スーパーなどに比べて売り場面積、陳列棚が狭いコンビニにとって売り場の効率は死活問題でもある。あの大きな袋で100円前後の販売価格だと利幅はとれない。まして、同じ価格帯のおにぎりのように一日に数十個売れるものでもない。カール自体がコンビニのビジネスモデルから吹き飛ばされてしまったのだ。
 
 カールと似たようなスナック類では、カルビーの「じゃがりこ」など単価が高く、しかもかさばらない商品がコンビニの陳列棚に並んでいて、かさばるカールが入り込む余地は少なくなっていた。
<中略>
 物流とコンビニ。今はなくてはならない社会インフラがカールに立ちはだかったのだ。「カールおらが村」には、トラックもコンビニもなかった。
引用元: 「カール」が映す日本社会の風景 編集委員 田中陽 :日本経済新聞

 同記事ではカールがかさばる上に利幅が少ないからコンビニから嫌気されたといったような考察が書かれていた。しかし、ボクからするとそれってカールだけに言えることじゃなくね?と思ったりした。それならいわゆる袋菓子全般今後なくなるのか?と言っているように聞こえなくもない。

 なぜあえてチキンカレー味で攻めているのか、ボクには分からないし、深掘りしたくなるほどの興味ない。

 ボクからすると単純にカールは競合に勝てなかったのだと思っている。ボクはカールよりもうまい棒のほうが好きだ。さきほどの理屈で言うならば、うまい棒も利幅は小さいと思うしかさばる。ではなぜうまい棒はなくならないのだろうか。カールよりは売れているからではないだろうか。

 ちなみにボクはカールショックだとかカールロスが言われている世の中を尻目にうまい棒のチキンカレー味を買ってきた。なぜ普通にカレー味ではなくチキンカレー味なのかボクには分からない。しかし個別包装されていて手がベタついたりしないし、カールよりはしっとりとしていて口の中にまとわりつくようなことが少ないうまい棒の方がボクはカールより好きだ。うまい棒がなくなるという話になったらボクもショックだろう。しかし、カールに関してはまるでショックを受けない。唯一、ショックなことがあるとしたら、カールおじさんのどろぼうひげをカジュアルにコンビニやスーパーで見かけることができなくなることくらいではないだろうか。

人はなぜ販売終了やら閉店となると慌てるのか。

 ちなみにお忘れかも知れないが、ボクのブログはらーめんブログである。だから少しだけラーメンに関する話をしておこう。カールショックにしてもなんにしてもボクにはよくわからないのが「駆け込みで買う」という行為だ。ボクからすると食品の販売終了というのは得てして単純に需要がないからだと思っている。需要がないということはみんな興味がないということだ。逆にそんなに興味があるなら普段から頻繁に購入していることだろう。販売終了と言われてからやっぱり好きだったといったことを言うのは虫がよすぎるのではないだろうか。

 ちなみにラーメン店は生き残り戦争が激しい。日々、群雄割拠して竜虎相搏つしている。だから昨日そこにあったあの店が明日ないといったことはよくある。意識他界ラーメン店などは閉店をツイッターでアッピールしたりするので閉店の数ヶ月前から閉店を知ることができたりする。そういうときにボクがそのお店に駆け込むかといったら、駆け込む場合もあるし、駆け込まない場合もある(大抵駆け込まないのだが)。最近も6月いっぱいで閉店というお店の告知を目にした(最近、ボクは5月いっぱいが5月いっぱいじゃなかったという罠にハマったことがあった(参照2)が、この6月いっぱいというのは6月30日だということをちゃんと確認した)。ツイッターにもお店のホームページにも閉店の理由は書かれてはいなかった。個人的には場所柄的なものから人がさほどこなかったのだろうと思わなくもないのだが、当事者ではないので憶測に過ぎない。ボクはそのお店には、駆け込まないつもりだ。ラーメン断食をやめてまでいくほどの愛着をそのお店に対して感じていないからだ。

 他の人がどうして販売終了やら閉店となると慌てるのか、ボクには分からない。ボクが慌てることがあるとしたら本当に愛着を感じているときだけだからだ。世の中の人々はそんなにウェットな人たちが多いのだろうか。分からない。

後編へ続く。

(基本的にボクは意識他界ラーメンが嫌いだ。だから、朝ベジソバ(参照3)みたいなものは嫌いだし、嫌いなものが提供終了になっても駆け込みで食べに行ったりはしない。ボクには特に好きでもないものに駆け込む人の心理はよく分からない。暇なのだろうか?お題「らーめんあまり関係ない雑記。」によせて書きました。)