ボクはらーめ人間Z。らーめん視点からでないとブログが書けないまともない人間だ。らーめん視点からブログを書くというとよく勘違いされるのはボクがラヲタなのではないかということ。ボクは何度も言うとおりラヲタではない(関連記事)。明確に区別しておきたいのはボクはらーめんが好きなのであってラーメンが好きなわけではないということ。ラーメン自由。ラーメン・フリーダム。たとえビーガン麺をラーメンと言うロクでもないお店があろうとボクは勝手にすればいいと思う。ボクは「こいつ、大丈夫か?」と思うから関わらないというだけに過ぎない(関連記事)。ボクはボクがらーめんだと思うものと自由なラーメンとの間には万里の長城を築いている。いつかベルリンの壁のようにハンマーでその境界線を叩き壊すときがやってくるだろうか。今のボクには分からない。いつかハンマーでその間にある大きな交わらない壁を壊せるときがくるかどうかを模索するのも修行だったんだね、まとも人間になるための。早くまとも人間になりたいものです。
ボクはラヲタではない。だから俗なラーメン情報にはとんと疎い。あちらで新店、こちらで閉店の情報にはとんと疎い。そういう情報にやたら敏い人たちがいる。しかしボクはそういう情報にやたら敏い人たちを見ていると「こいつ、大丈夫か?」と思ってしまう(関連記事)。ボクはラーメン情報には疎い。だから、最近だと2017年4月22日で天神下の名店、らーめん大喜が春日通りの拡張の影響で一時閉店、移転することも知らなかった。パパパパパインが閉店をやめてどこかで再開を画していることも一旦の閉店ギリギリまで知らなかった(一時閉店に際しても結局食べには行かなかった)。がんこ一条流の池袋店が閉店することはギリギリ知っていたけど、食べ納めに行くことはなかった。ボクはこれらの情報はツイッターのTLに流れてきたのをたまたま目にして得た。しかし、そういう情報を発信している人たちはどうやって情報を得ているのだろうか。分からないし、興味もない。仮に分かったとしても、あえて真似したいとも思わない。ボクは自分の興味が高まってきたときに自分から調べたいからだ。簡単にググって見つけることができればそれでいい(見つけられないから困るわけだけど)。
最近では限定ラーメンの情報等も追いかけなくなった。だから限定ラーメンの情報にも疎い。ボクも一時期は限定ラーメンを追いかけたりしていたものだった。だけど、色々と不快な体験を重ねたことで自分がいつのまにか限定ラーメンを食べることが目的になってしまっていたことに気づいた。ボクは自分が食べたいときに食べたいらーめんを食べたいのであって、限定ラーメンが必ずしもボクがそのとき食べたいらーめんであるとは限らないというごく当たり前のことに気づいてしまった。例によって気づいたらマゾっていたというわけだ。ボクは気づくとマゾっている。ボクはマゾではない。マゾるの不快。マゾり続けるとストレスでラーメン卒業してしまう(関連記事)。それはボクの望むところではない。ボクは自分が主導権を握りたい。そういう意味ではボクはなぜそんな客をマゾらせるような限定ラーメンが世の中に溢れているのかが不思議だ。まとも界は皆マゾなのだろうか。まとも人間は皆マゾなのか。だとしたらまとも人間への道のりはやはり遠いものだね。はやくまともらーめ人間に戻りたいものです。
与太話のコーナー。
ボクは自分が今何らーめん腹(以降、何らーめんバラと表記)なのかすら分からないときがある。そういうときに限定ラーメンに逃げるような真似はしないようにしているつもりだ。他人から示された解(ラーメン)がボクにとっての正解(らーめん)である可能性が低いからだ。先日、Siriに「ボクが食べたいらーめんは何?」と試しに尋ねてみた(関連記事)。そのときSiriは「面白い質問ですね、らーめ人間さん」と答えた。間違えた。Siriはラーメン情報をそこはかとなく教えてくれたのだった。ただ、そのラーメン情報はボクが求めているらーめん情報ではなかったのだ。ボクのiPhoneの中にはこれでもかという数のらーめん写真が収められている。しかし、Siriはボクの今食べたいらーめんは何か答えられない。Siriは「面白い質問ですね」とお茶を濁すばかりだ。きっつー。さて、ボクは一体今、何らーめんバラなんだろうか。自分でも分からない。魚介豚骨熱(関連記事)と家系熱(関連記事)が高いことだけはたしかなのだけど、イマココで食べたいらーめんは何なのか、いつも分からなくなる。ボクは自分が何らーめんバラなのかわからない時にはらーめん食べない。日々刻々と変わるボクの今何らーめんバラに自問自答してその時々変わる食べたいらーめんを探すしかない。これも修行だったんだね、まともらーめ人間になるための。まともらーめ人間に早くなりたいものです。
(お題「ラーメン界の噂。」によせて書きました。アイキャッチはヲタ芸・オタ芸のイラスト。突き抜けたオタクはある意味伝統芸能だとボクは思っている。真似ができない。ラヲタは「こいつ、大丈夫か?」と思ってしまう。だから真似したくない。真似できないのと真似したくないの違いは似て非なるものだとボクは思う。)