#ほぼにちらーめん

プロのラーメン断食家であるボク,らーめ人間Zが可能な限り毎日タンタンとメンタルしっかり政治・経済・社会・技術の垣根なく知らなかったことを知るために書いているただの日記ブログ.よろしくね,ピース.ほぼ日刊イトイ新聞とは無関係.写真をはじめとした皆あまねく全てのコンテンツの無断転載はお断り!

《後編》孤独のグルメ Season6 初回「大阪府美章園のお好み焼き定食と平野の串かつ」を観た感想。

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 ボクはらーめ人間Z。らーめん視点からでないとブログが書けないまともない人間だ。孤独のグルメ Season6 第1話は「大阪府美章園のお好み焼き定食と平野の串カツ」だった。題材が「お好み焼き」と「串カツ」と言う2つの豪華な回だった。あまりひとつのブログエントリを長々と書くのがボクは好きではない。だからボクはボクの感想を書くブログを2つに分けることにした。

 《前編》では「お好み焼き」についての感想をキメた(関連記事)。だから《後編》の今回は「串カツ」について感想をキメたいと思う。串カツと言う話題について語ろうと思うとベタなところで思いつくのはソース二度づけ禁止と言うやつだ。実際、孤独のグルメ Season6 第1話は「大阪府美章園のお好み焼き定食と平野の串カツ」でも串カツのソース二度づけ禁止については触れられていた。串カツのソースは共有のものだから、いちど口にした串カツをもう一度ソースにつけるという二度づけ行為は普通に不衛生だと思うしありえないとボクは思う。ボクは身内でも嫌だが、見知らぬ他人がいちど口につけた串カツをソース二度づけしているのを見つけてしまったら串カツのソース二度づけ禁止が暗黙の了解だからありえないとか思う以前に「こいつ、大丈夫か?」と思ってしまう。ボクは「こいつ、大丈夫か?」と思う相手とは批判する以前に関わらないようにしている(関連記事)。串カツのソース二度づけ人間と絶対かかわらないようにしようとすると下手をするとボクは串カツを食べる以前に串カツを卒業することになってしまうかもしれない。きっつー。ボクだって串カツは食べたいのに!

 串カツのソース二度づけ禁止と言うのを、らーめんに寄せて考えてみた。結論から言うとボクはらーめんは自由でよかったなぁと安心した。らーめんで「つける」と言う言葉から連想するのはもちろんつけ麺。つけ麺のつけ汁は他人と共有なんてしない。つけ麺のつけ汁はお一人様につきひとつずつ。お店によっては二種類のつけ汁がついてくるところもある。つけ麺のつけ汁はお一人様につき最低でもひとつ専有できる。専有できるからつけ麺の麺や具を二度づけどころが三度づけしようがつけ汁に浸してしまおうが、それは食べ手の自由だ。らーめんには自由。串カツと違ってらーめん自由でよかった。つけ麺のおかげでボクは二度づけ、三度づけしても他人から「こいつ、大丈夫か?」と思われる心配はない。ボクはつけ麺のおかげで二度づけ、三度づけしている他人をみかけてもらーめん卒業しなくて済みそうだ。やっぱりらーめんさいこー。

与太話のコーナー。

 つけ麺は素敵だ。つけ麺をラーメンではないとかいう意味不明な人もいるようだが、ボクはラーメンは自由だと思っている。ラーメンというくくりにおいてはなんでもアリ。ボクはまとも界におけるラーメンとボクがらーめんだと思うらーめんとは区別するようにしている。それでもボクはボクの思うらーめんの中でもつけ麺はらーめんだと思っている。まぜそばもらーめんだと思っている。

 つけ麺もお店によってスタイルが全く異なるのが面白いなあとボクは思っている。先日、ボクは魚介豚骨熱をこじらせていたときに何店舗かつけ麺を食べて回る機会があったのだが、そのときいろいろ思ったことがあったものだ。思いついたことをつらつらと書くスタイルでボクはブログを書いている。だからいつそのことを書く気持ちになれるか分からない。でも、そんなに遠くないうちに魚介豚骨熱をさます一連の活動の中でボクが感じたことをブログに書いてみたい(関連記事)。

(アイキャッチは串カツをソースに二度漬けする人のイラスト。そもそも串カツのソースはなぜ共有するのかというのがボクには分からない。適量を個別に出すでは何故ダメなのだろうか。屋台ならスペースの問題も理解できなくはない。さほど興味がないから掘り下げる気にならない。)