ボクはらーめ人間Z。らーめん視点からでないとブログが書けないまともない人間だ。ボクのことを古きよき1950年代のらーめんが好きならーめ人間だと思っている人がいるみたいだけどそれは正しくない。ボクは必ずしも最近の流行りの《ラーメン》が嫌いなわけではない。ただ単純にそれは《ラーメン》なのであってボクにとってのらーめんではないということに過ぎない。ボクは基本的に新しいものが好きだ。新しいものが好きなのと流行に流されるのはボクは違うと思っている。ボクは流行っているという理由でものごとに食いつく節操のないのが嫌いなだけにすぎない。ボクには流行っているという理由でものごとにくいつくための修行が足りない。早くまとも流行に流されやすい人間になりたいものです。
巷のまとも界では、写ルンですが新しいンですと女子大生(以降、JDと表記)の間で話題らしい(外部リンク)。デジタルネイティブ世代にとっては、確かに写ルンですを見たことも使ったこともないから新しいと感じるのはわからなくもない。しかし、今更写ルンですのことをボクはかけらもいいとは思わない。ボクは写ルンですを新しいンですという人たちのことを手当たり次第に「こいつ、大丈夫か?」と思ってしまうことだけはしないように気をつけてる(関連記事)。
まとも界の流行と言うのは得てしてオトナによって作られたものであることが多い。特にファッションの類などはよく言われる通り30年で流行が一巡するようになっている。だから親の世代が10代20代だった頃に流行したファッションが、子供の世代が10代20代になった頃に回帰して再流行するというのはよくあることだ。流行なんてロクでもない。
当該の記事を読んでも、写ルンですを若者がよいと思うキッカケになった媒介が「芸能人のインスタ」だというだけで意図的に作られた流行というようにしかボクには感じられない。たしかにインスタで写ルンですを新しいンですとアッピールしていた芸能人をよく見かけていた記憶がボクにもあった。正直、ボクはそのときそういう芸能人のことを「こいつ、大丈夫か?」と思っていた。だけどスルーしていた。
富士フィルムのコメントによるとこの写ルンですのブームは「自然発生的」にキテるブームとのことらしい。正直、どちらでもいい。でもボクにはオトナが意図的につくったブームのようにしか思えない。ボクにはオトナによって作られた流行に若者が踊らされているようにしか思えない。だから若者たちがあたかも自分たちで流行を作ったかのようにものごとを言わされているようにみえてボクは胸がイタむ。
当該記事中の「物心付いた時からデジタルに慣れ親しんだ若い世代の方にとって、フィルム独特の風合いを新鮮に、さらに現像をしないと何が写っているかわからないワクワク感にも魅力を感じていただいているのでは」というところを読んでいても全くボクは共感を感じられない。ボクはどうせアナログに新しさを感じたいなら、そもそも写真を撮ること自体をやめたらどうか?と思わなくもない。
古いものが新しいという同じ理屈でいくと、音楽にもそういうものがあると思っている。デジタルネイティブ世代にはきっと往年の名曲、THE BLUE HEARTSのリンダリンダは新しく感じるのではないかとボクは思っている。その歌詞の中に「ドブネズミみたいに美しくなりたい。写真には写らない美しさがあるから」というのがある。
歩きスマホ大好きで前を向いて歩けない。写真に写った世界しか見れない。そんなかわいそうなデジタルネイティブ世代には写真には写らないドブネズミの美しさはきっと分からないだろう。ボクは知らないものを新しいものと魅力的に感じるなら写真には写らないドブネズミの美しさこそデジタルネイティブ世代には感じてほしい。
与太話のコーナー。
最近ボクはインスタやめた(関連記事)。歩きスマホするのもやめた(関連記事:前編/後編)。インスタやめて自分の目で世の中を見ている。歩きスマホやするのやめてちゃんと前を向いて歩いている。そうすると街行く若者のファッションがちゃんと目に入ってくる。
最近流行っているJDファッションでスカジャンにロングスカートというものがあるような気がしている。正直ボクがそういうファッションをしているJDを見かけると田舎のヤンキー先輩(レディース)しか想起できない。今それが流行だと思っているJDからしてみると、自分がしている格好はかっこいいとか思っているのかもしれない。でもボクには田舎のヤンキー先輩(レディース)にしか見えない。古いものを新しいと言わされているJDはかわいそうだ。ボクは田舎のヤンキー先輩(レディース)ファッションを新しいンですという人たちのことを手当たり次第に「こいつ、大丈夫か?」と思ってしまうことだけはしないように気をつけている。
ところでボクも、最近までらーめんの文脈で、流行に踊らされるようならーめんとの付き合い方をしてきてしまった。ボクはラヲタではない(関連記事)。ラヲタではないと言いつつ残念なことにラヲタと同じような行動をとってきてしまっていた。新店があそこにできていると聞けば気になり、あの有名店で限定麺が提供されると聞けばそれが気になりといったようなそういう情報に踊らされるようならーめんとの付き合い方をしてきてしまっていた。知らず知らずとボクは受動的になっていた。マゾっていた。
そんなマゾっていたボクだが、ものごとを受動的にキメられるのが嫌いだ。だからもうマゾらない。ボクは自分のことは自分でキメたい。
(お題「らーめんあまり関係ない雑記。」によせて書きました。アイキャッチはモダンボーイのイラストとモダンガールのイラスト。知らないものを新しいというメソッドでキメるならボクはとことん突き詰めて原始時代にまで回帰すればいいと思っている。ボクたちは前にしか進めないのだ。後ろを向いてるヒマはない。いらすとやさんはきっと分かってるはずだ、多分。)