年末をいくつかのお題「てぬきらーめん」で〆る。
一本目として上記のエントリを書いたのだが、少々わたし自身が他人のプライバシーについてどのように侵害しないようにしているかについて書いておこうと思う。
唐突だが、わたしがよくいくらーめん店にはわたしなどよりよほどそのお店のことラヴな存在がいるらしい。わたしはそのあのお店ラヴな存在のことを勝手に強敵と書いて友(トモ)と呼ばせてもらっている(強敵なトモもノリのよい方のようで同様に返してくれることがある。とてもよい方だ。いつもありがとーね)。
そんな強敵なソヤツは最近はついにラーメンラリーという商品で公式にシール化までされやがった。ヤロー許せない。
わたしが勝手に強敵と書いて友(トモ)と呼んでいるアヤツがかわいくシール化されていた。くーヤロー許せない。
しかしそんな強敵なソヤツとわたしは面識はゼロ。レスザンゼロ。永遠のゼロ。なので、わたしがその強敵と書いて友(トモ)と呼んでいるアヤツに対して考えているプライバシーについて説明することで、わたしが他人のプライバシーについてどう考えているかを説明しようと思う。ツイートに連投したのでそれらをここに引用しててぬきする。
わたしはらーめんを食べることがただ好きなだけであってそれによって癒しを得たいだけなのだ。そこに他の余計な要素は基本的には求めていない。そこにある一杯のらーめんを食べることと作り手との対話(主に敬意を伝えること)を楽しみたいだけ。それをブログを通じて再確認した。
— garage-kid (@76whizkidz) December 31, 2016
偶然に遭遇するのと見つけにいくのは全然違うからね。わたしは見つけに行く行為はプライバシー侵害だと思っている。わたしは他人がされるのはよいと思っていても自分がされたくないことを相手にすることはしない。
— garage-kid (@76whizkidz) December 31, 2016
「他人がされるのはよいと思っていても自分がされたくないことを相手にすることはしない」こと。それをわたしはものの分別というものだと思っている。それがない人間が信用できるか、と聞かれたらわたしはデキない。信用ゼロ。レスザンゼロ。永遠のゼロ。しかもまがりなりにも企業がそれを?そんなのはあり得ないだろ。
さて、最後に強敵と書いて友(トモ)と呼んでいるアヤツに誤解を与えぬよう伝えておきたい。このエントリをみつけて楽しんで読んでくれると嬉しいのだが。今年は貴女に会うことは叶わなかった。だがわたしはそれはそれでとても楽しかった。偶然にあのすてきなお店で遭遇したらそのときはご挨拶しましょう。強敵と書いて友(トモ)な貴女がいかほどにあのすてきなお店を愛しているかを語ってくれるのをわたしは大変に楽しみにしている。よいお年を。来年もよろしくね。
余談。
日本は他人のプライバシーについてもカジュアルに侵害するが、同様に他人の著作に対するリスペクトも薄い。なのでそれに対する苦言と、わたしの立場を明らかにするために上記のエントリを今年は書いた。来年ももしかしたら同様のことを書くかもしれない。日本人のカジュアルなプライバシー侵害と著作権侵害、2017年はすこしマシになってくれないかなあ、と願っている。
※アイキャッチはコアクマイマイ。そう、わたしが強敵と書いて友(トモ)と呼んでいるアヤツのシールだ。くー、シール化されやがってうらやましい。ヤロー許せない!また来年もよろしくね。ピース。