#ほぼにちらーめん

プロのラーメン断食家であるボク,らーめ人間Zが可能な限り毎日タンタンとメンタルしっかり政治・経済・社会・技術の垣根なく知らなかったことを知るために書いているただの日記ブログ.よろしくね,ピース.ほぼ日刊イトイ新聞とは無関係.写真をはじめとした皆あまねく全てのコンテンツの無断転載はお断り!

仁義なき武装連勤《1》:ゴールデンウィークを廃止しよう?デービッド・アトキンソンさんの「新・観光立国論」を読んでいたことを思い出した。

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 ボクはらーめ人間Z。らーめん視点でないとブログが書けないまともない人間だ。ボクがゴールデンウィークにラーメン店の営業時間を調べるわけがない(参照)。まとも人間がこぞって休みを取得するこの期間に観光に興じるのは高値掴みをするのが落ちだ。ボクは仁義なき武装連勤を今年はキメることにした。今は昼休みの時間を使ってこの日記を書いている。

 今日、ボクは少し混雑が緩やかな通勤電車で日本経済新聞をいつもどおり読んでいた。そして日本経済新聞のコラム「春秋」のコーナーに目が止まった。だから今日はそのコラムをお題にエントリを書いてみたいと思う。当該のコラムからボクの目に止まった部分を引用させてもらおう。

 ゴールデンウイークを廃止しよう――。文化財の補修を手がける小西美術工芸社のデービッド・アトキンソン社長がそう提言している。元投資銀行のアナリストで「新・観光立国論」の著作を持つ。大型連休というかき入れ時に頼る限り、観光業の進化は難しいと語る。
引用: (春秋)ゴールデンウイークを廃止しよう――。文化財の補修を手がける小西美術工芸社のデービッド・アトキンソン社長がそう提言 :日本経済新聞

 ボクもデービッド・アトキンソンさんの当該本は以前読んだことがあった。しかし、ゴールデンウィークを廃止しようという意見に関してはすっかり忘れていた。あくまでボク個人のことを言わせてもらうとゴールデンウィークのような大型連勤… じゃなかった大型連休があってくれたほうがよい。普段の通勤が痛勤ではなくなるし(それでもドア付近には守護神がいたのだが)、職場近くの食堂などはいつもよりも空いているし(おばはんたちがギャーギャーやってるのはいつもどおりだったが)、職場にも人は少ないし、むしろ神器なき武装連勤をキメたほうがボクは仕事が捗るからだ。ボクはゴールデンウィークは存続した上で、みなが自分の好きなオフピーク(閑散期)で連休をキメればいいと思っている。必要なのはそういう有給休暇を取りやすい職場の風土だとボクは思う。観光業の進化という観点で言うならば、そういうオフピークで観光をキメたいと思う人や外国人観光客の需要もうまく書き入れる企業努力をしろということだと思っている。ゴールデンウィークを廃止する必要はない。

 なにより世の中の人々が頑張って大型連休で高値掴みするために日々節約に勤しんでいる風潮には涙ぐましいものがある。ボクはスーパーで安売りのタイミングに合わせて主婦層があつまってきて安売り品を死体に群がるハイエナのようにさらっていく様をみていると「こいつ、大丈夫か?」と思いそうになってしまう。しかしゴールデンウィークなどの大型連休で贅沢に高値掴みをキメるための準備をしているというのであれば理解できなくもない。涙ぐましくも倹しい努力だと解釈できなくもない。素晴らしい。ボクは並ぶのが嫌い、とにかく嫌いだ(参照)。そして高値掴みをするのも嫌だ。だから連休をキメるとしてもオフピークにキメることにしている。しかしボクは自分と考え方が違うからといって何でもかんでも「こいつ、大丈夫か?」と関わらないことをキメるわけではないのだ(参照)。人によって大事にしたいものが違うのは当たり前のことだからだ。

 デービッド・アトキンソンさんの当該本が示唆に富んだ素晴らしい主張をしているのはボクにも理解はできる。しかし、いくら素晴らしい示唆に富んだ意見を主張している本だからといって、すべての主張を鵜呑みにする必要はない。ボクは自分自身の意見を持つことが大事だと思っている。自分の意見を探すのも修行というわけだ(参照)。

 続く:仁義なき武装連勤《2》

余談のコーナー。

 たしかデービッド・アトキンソンさんの当該本では「おもてなしは過剰サービス」といったことを言っていたような記憶がある。ボクはどちらかというとそちらの主張の方が身につまされる思いを感じた記憶がある。日本にはチップという考え方がないが、海外ではチップは普通だ。海外においてはボクがやっておいてほしいことの対価に見合ったおカネを払えば、サービス提供者側は応じてくれることが多い。対して日本の場合はどうかというと、サービス提供者がドヤ顔でお前のためにこれをやっておいてやったぞ、うれしいだろ?と「おもてなし」をアッピールしてくるというわけだ。例えそれがボクの望んでいるものであろうとなかろうと。

 もちろんボクはカネを払えばなんでも解決できると思っているようなモンスターではない。たとえばクリーニングをしたいのだがそういったサービスはありますか?といったことを聞いたとき、海外では仮にそういったクリーニングのサービスをやっていなかったとしても対価としていくら払ってくれればやりますよといった反応が返ってくる。そういった海外のサービス業の対応のほうがむしろ「おもてなし」なのではないのか?ということがいいたいだけだ。当該本にもそのようなくだりがあったと記憶している。

 日本の場合は得てして、そういうサービスは承っておりませんとバッサリと切られてしまう。おカネこそとりはしないがサービスに柔軟性がないのだ。だからボクは結構最近まで「おもてなし」というのは「もて」なすつもりが「なし」という意味だと思っていた。ボクは無料の恩着せがましい余計なお世話がほしいのではない。むしろそれなら放っておいておいてほしいのだ。"Do not disturb.“とはそういう意味なのだから。

お題「らーめんあまり関係ない雑記。」によせて書きました。アイキャッチは外国人観光客のイラスト。インバウンド需要を取り込むことと連休需要は別に両立できる。閑散期にどういう書き入れ施策を講じられるかが観光業に求められていることではないだろうか、とボクは思う。)