ボクはらーめ人間Z。らーめん視点からでないとブログが書けないまともない人間だ。月日は百代の過客。2017年ももう4月が訪れようとしている。いや、ごめんなさい、今日は4月1日でした。まとも界では春は出会いと別れの季節と呼ばれている。しかし、ボクにとっては異動と移動の季節だ(参照1)。2017年は年明けから転売ヤーに誹謗中傷されたり(参照2)、体調壊したりと散々な年明けとなってしまったわけだけども、ある種メンタルがタフにできているのがボクの唯一無二の取り柄。ブログの書き方を見なおしたりしつつ2017年の3ヶ月を乗り切った。色々と物事を見なおしているからといって、らーめん大好きに変わりはない。今はこっそりボクは魚介豚骨熱(参照3)と家系熱(参照4)に苛まれている。3ヶ月ゆっくりとマイペースに時間をかけて前者の魚介豚骨熱の方は少し治まりをみせつつある。だからボクはこの辺で2017年、ボクがどのように魚介豚骨熱を覚ましてきたかのメモワールを書いておくことにした。
ところでメモワールって何?という話なわけだ。ボクは今、ハルキインスパイアで「らーめんについて語るときにボクの語ること」をキメたいと思っている。だから走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)を買ったということを書いた(参照5)。実はまだ読了はしていないのだけれども(だいたい半分読み終えたところだ)、ハルキによるメモワールが何であるかという記述があったので引用し紹介しておきたい。
二十数年前、自分が初心者ランナーであった当時のことをひとつひとつ思い返し、記憶をたどり、そのころにつけていた簡単な日誌を読み返し(僕は日記を書き続けられない性格なのだが、ランニングの日誌だけはわりに丁寧につけている)、文章にまとめている。自分のたどってきた足取りを確認するためでもあり、その時代の自分の心持ちを掘り起こすためでもある。自分を戒めるためでもあり、励ますためでもある。そしてどこかの時点で眠りこんでしまっていたある種の動機を、揺り動かすためでもある。言うなれば思考の道筋をつけるために文章を書いている。しかし結果的には──あくまで結果的にはということだが──これは、走るという行為を軸にした「個人史」みたいなものになっているのかもしれない。
引用: 走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)
ボクは当該本を読み始める前、メモワール=エッセイ(随筆)だと思っていた。しかし、メモワール=個人史だととてもしっくりとくるものがある。ボクはボクの魚介豚骨熱を覚ますためにこの3ヶ月かけてやってきたことを語ることを個人史(メモワール)と呼ぶことにした。だからこのエントリのタイトルを「魚介豚骨ラーメン熱を覚ますメモワール」としたというわけだ。
タイトルは実際に書くにあたって変えていくかもしれない。しかし、今ボクは次のようなことをこれから書いていきたいと思っている。
- 本当にいいモノには客が合わせてくれるという考え方が咀嚼できてきました(参照6)。
- 池袋でワンダーな魚介豚骨ラーメンを完結する(参照7)。
- 池袋でラーメン官僚が薦めていた魚介豚骨つけ麺をキメる(参照8)。
- ワンダーな魚介豚骨ラーメンで魚介豚骨熱がさらに上がる。
- 池袋に魚介豚骨のオリジンに触れに行く。
- 一斉を風靡した魚介豚骨つけ麺をキメに行く。
- 高田馬場で武蔵と再会する。
- ラーメン大好き小泉さん(5)を読みました。
- ラーメンの原点とはなにか。
すでに9件あるので4月はこれらについて消化していくだけでも1日1記事で9日分のストックがあるというわけだ。ひとつだけ問題なのはこれらのひとつひとつがさほど軽くないということ。間に軽い息抜きをはさみつつマイペースに書いていきたいと思っている。タンタンと書くことができるのもボクの取り柄だ。
本格的に「らーめんについて語るときにボクの語ること」つまりらーめんという行為を軸にしたボクの「個人史」を書くのは当該本を読み終えてからにしていこうと思う。とは言え、今は今あるボクの個人史のストックを並行して消化していこうと思う。よろしくね。ピース。
与太話のコーナー。
できるだけボクの「魚介豚骨ラーメン熱を覚ますメモワール(個人史)」は今回書いた順番でシーケンシャルに書いていくつもりだ。というのもそれが時系列になっているからだ。ボクのそのときの気持ちの高鳴り次第で公開していく順番が前後する可能性はあるが、このエントリで時系列が崩れないようにだけしておきたい。あくまで自分のためのらーめん日誌としてあとで追いかけやすくしたいというだけのスケベ心を満たしたいだけからなわけだが。よろしくね。ピース。
(このエントリはお題「復習らーめん。」によせて復習らーめんの予告、備忘録として書かれた。アイキャッチはメモ帳のイラスト(文房具)。メモワールはいらすとやさんにはなかったのだもの。)